石川 吾郎 『死をめぐるあれやこれ』

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高槻市のミニコミ紙『芥川だより』に私が寄稿している
短いコラムをここに掲げます。(逆向きの時間系列になっています。

日銀の利上げの生活への影響と報道(114)
2024年4月

 三月十九日に植田日銀総裁は金利の引き上げをしてマイナス金利の解除を発表した。従来の政策金利のマイナス0.1%を0.2%ポイント引き上げた形だ。その理由としては春闘が5%アップしたからだと。だが賃上げは大企業だけのことで、中小零細企業の労働者がの給料が上がるわけはない。中小零細はそれほどの体力はない。加えて最近のほとんどの物の物価上昇で、実質賃金は下がり続けている。

 金利0.1%というのは、それは銀行が融資をする場合の金利だ。この金利はたちまち私たち国民の多くが抱えている変動金利制の住宅ローンに適用されることになる。また中小零細企業の借入金利も上がる。物価が高騰するなか、私たちの家計にさらに追い打ちをかけると同時に、中小零細企業がこの金利に圧迫され倒産においこまれる。

 一方、この利上げは金融機関をもうけさせる政策変更だ。私たちがメガバンクの口座に預金している普通預金の金利は、20倍になると報道されているが、その実態は、融資の金利が0.1%に対して、これはその二割の0.02%になるにすぎない。つまりはメガバンクは残りの八割分は濡れ手に泡で自動的に儲けとなる仕組みになっている。

 普通預金の金利は各銀行独自で決めることができるので、一部のネットバンクなどはこれは当てはまらないのだが、大部分の市中銀行もメガバンクに習うことになる。つまりこの政策は、弱者は死んでもいいという極めて弱者に冷酷な政策なのだ。

 このような「銀行に不都合な」事情は大手メディア、特にNHKはその解説番組でも一言も国民に伝えず口を閉ざしている。このような事実が日本の低迷する現状を固定化し、格差を拡大することの大きな要因になっていると私は考える。日本政府のトップに居座る者たちは、裏金を使い脱法行為を行い、この国を韓国のような激しい格差社会へと作り変えている。

 この状況を改善するには、国民がNHK報道の問題を認識することと、選挙で自公政権にNOを突きつけることがまず必要だろう。

いまさらのコロナ(113)
2024年3月

 この二月、いまさらながら小生、コロナに罹ってしまった。はじめは、単なる風邪症状と何も変わらない症状で、少し咳が出てのどが痛いというくらいだった。ちょっと熱も出たかもしれない。それもまもなく軽くなっていった。その程度だったので、医者にかかるタイミングも逸してしまった。

 ところがその後がいけなかった、だんだん身体のだるさを強く感じるようになって、それがいつまでも続く。とくに不眠の日が続いて、一日中頭がぼんやりする状態からなかなか抜けない。以前にもらっていた睡眠導入剤を飲んでも全く効果がない。食欲がなく、味もおいしくない。そんな状態が3週間ほどたって、たまたま体重をはかると、五キロほどもやせていた。太りぎみで、これまで何度もダイエットを試みたことがあったが、こんなに体重を落とせたことはなかったのだが。そのうちカレーの匂いをさっぱり感じないことに気がついた。それでいろいろなものの匂いをかいでみるが、全く匂いがない。ようやく、自分がコロナに罹ったんだという確信にいたった。

 結局、医者に診てもらうことのないままになった。強烈な不眠は改善してきたが、頭の働きがぼんやりして、細かいことを考えることができないというのは、程度はましになったものの、まだ続いている気がする。これもコロナの後遺症のブレイン・フォグ(脳の霧)というやつに違いない。

 発症から一月がたった。匂いは、妻が揃えてくれた四種類ほどの匂いのエッセンスを毎日かいで訓練したたまものか、少しずつ回復をしている。ブレイン・フォグもこの文章を書けるくらいには回復してきた。ただ体重が減って、筋肉量もだいぶ失われてしまったようで、階段を上るのが苦しい状態が続いている。今は筋肉をつけるために、タンパク質を多く取るようにして、できる範囲で運動を心がけている。

 調べてみると、2月末現在コロナは再び増加しており第十波の流行になっているらしい。第五類に格下げされたといっても、読者の皆さんは是非ご用心あれ。さる知人によると、早めに病院に行き、検査でコロナ陽性と診断され治療薬を処方されて飲んだら、その人にはかなり効果があったとのことだった(だがかなり高価なのだが)。早めに診てもらうべきだった。

防災・減災の国家プロジェクトの必要(112)
2024年 2月

 能登半島地震から一月以上が経った。被災された方々のニュースを見るにつけ心が痛む。しかしこれが明日の自分たちの姿かもしれないと考えると他人事ではない。

 日本で起こる地震は、大きく分けると2種類あり、一つは内陸や陸に近い海底にある断層に起因する地震、もう一つはプレート境界で発生する巨大地震だ。日本は二つの大陸プレートから成っており、これを太平洋プレートとフィリピン海プレートの二つの海洋プレートが主に東側から潜りこみ続けて、歪みがたまったところで大陸プレートが跳ね返って、巨大地震をほぼ定期的に起こす構造になっている。地球科学的にこれは避けることができない。

 最近とくに日本列島は地震活動が活発化の時期に入っている。南海トラフ巨大地震が間近に迫り、プレート境界型巨大地震に先立つ、内陸の断層型地震が頻発する時期に突入しているのだ。熊本地震や今回の能登半島地震はまさにこのタイプの地震だ。これらの地震は規模はそれほどでなくとも、直下型になることが多く、震度七になることも多いのがこわい。なにせ断層は日本のなかに網目のように張り巡らされている。これはどこでいつ起こるか予測が困難だが必ず起こってくる。そしてその締めくくりのように南海トラフ巨大地震が、悪くすれば二度連続して起こってくる。

 政府は、南海トラフでは犠牲者が三十万人と予想をしているが、それだけで済むのかは分からない。近畿から東海・四国、さらには首都圏にも被害が及ぶ。東京一極集中のわが国では、被害が少ない地方でも、交通手段などのインフラが破壊されて生活を維持できなくなる可能性は大きい。大阪や名古屋の低地の街も津波に沈むが、その他の被害を免れる地域も、その後の生活が立ちゆかなくなる可能性が大きい。これは個人の対策ではどうにもならない。

 今回の能登半島地震で、岸田政権は臨時予算を組むことすらしていない。これまで震度七の地震には政府はすべて臨時予算を組んでことにあたってきた。この反応の鈍さは目に余るものがある。さらに今のタイミングで、政府が五年十年の国家プロジェクトとして防災・減災の総合的な対策に乗り出さなければならない。だが岸田内閣はそのような大規模プロジェクトを行おうという気力も気概もない。

 このような政府をもっている我々国民は、自助で巨大地震・津波に対処しなければならない、ということに等しい。これはつまり見捨てられた国民ということになる・・・。

元日・能登の大地震に思う(111)
2024年1月

 元日、日本人の多くがこの震災のニュースにショックを受けた。この大地震には十分な前兆があった。なにせこの地方には、群発地震が続いていたのは有名だ。

 ところで、日本にはまだこの地方と同様な前兆がみられる地方がいくつかある。一つは千葉県沖ないし東京湾。ここでも同様な群発地震が頻発して、マグニチュード(M)7以上の地震が予想されている。この地震の恐ろしいのは首都直下型かそれに近いものになる点で、被害は甚大となる。
 次は有名な南海トラフ巨大地震。阪神地方から東海地方全域にM8クラスが二回襲い津波被害も甚大となるのは確実だ。 さらには北海道東北部の千島海溝の巨大地震。規模は東日本大地震と同じM9になると予想されている。

 今日本は巨大地震が多発する時期を迎えている。最も必要なのは、必ず起こってくる巨大地震の被害を最小にする対策の実行である。そのためには巨大な国家予算を計画的に投入すべきだ。これには建設国債の発行も必要になる。

 国債は国の借金であり、これを増やしてはいけないという論がある。しかし国民が富むためには、実は政府は赤字でなければならない。政府の黒字は国民の赤字なのだ。政府はこの三十年の緊縮政策で、ほぼ予算規模を縮小しわが国の衰退をもたらし、財源が足りないと消費税増税や年金負担増額などで国民の生活を貧困に追い込んできた。政府を黒字にするとはとんでもなく誤った政策である。政府の赤字はあるべき姿なのだ。

 今、巨大地震対策でインフラ整備・被害の最小化を目指す令和のニューディールと言えるような政府の財政拡大が必要な曲面なのだ。国民を緊縮脳へと洗脳する実行役は、実はNHKニュースとニュース解説だ。予算の拡大に対して常に批判的なコメントを加えて国民を洗脳していることに、気づくべきだ。ただし予算の腐敗した使用には、厳しい監視の目が必要なことは言うをまたない。

『ザイム真理教』のインパクト(110)
2023年12月

 最近いろんなところで森永卓郎氏の『ザイム真理教』という本が話題になっているらしい。財務省が中心になって「国の借金でわが国の国民は孫子の世代に莫大な負債を残す」という説を吹聴していて、これはカルト教団と同様の手口だという。

 森永氏曰く「カルト教団の常とう手段は、「あなたには悪霊がついています。このままでは、家族や子孫にいたるまで、被害が及びます」などと言って恐怖心を煽り「悪霊を退治するためにはこの壺を買いなさい」と言って、カネをだまし取る。搾取はエスカレートしていき、やがて信者の生活が根本から破壊されてしまう。財務省がやってきたことも基本的に同じだ。日本の財政は世界と比較して飛びぬけて多い借金を抱え、しかもその借金が増え続けている。その借金は、あなたたちの子どもの世代に付け回され、彼らに不幸をもたらす。それを回避する手段は、消費税率を引き上げていくこと以外にあり得ない。もしそれをしなければ、円や国債が暴落しハイパーインフレが日本を襲う、という神話を語り続けているのだ。」

 この結果三十年間日本政府は緊縮財政を続け、消費増税を断行し、歳出カットを名目に国民に負担を押しつける政策を続け、ごく最近のコスト高によるインフレまで、デフレが続くことになった。

 そしてさらに、ステルス増税が目白押しなのだという。六五才まで支払いが延長される年金制度の改悪(これで百万円の負担増になるという)、主婦年金の改悪廃止、介護保険の内容を縮小厳格化(介護度一と二の不適用化)、給与所得控除の縮小・退職金控除縮小の検討。少子化対策の財源を医療保険に上乗せ。社会保険料の引き上げ・社会保障費削減の推進。また防衛税導入の時期検討中、など。

 税と社会保障の国民負担率はすでに五十%に迫っている(一昨年で四八%)。江戸時代でも年貢は四公六民といわれ、五公五民となると一揆や逃散が起こるレベルになるという。令和の世の日本国民は、江戸時代の年貢と同レベルの負担を負っていることになる。この民主主義の時代に、われわれ庶民はこんな状況におかれていることを知っておかねばならない。
《参考》ネット検索で「森永卓郎の戦争と平和講座」

増税メガネ(109)
2023年11月

 このあだ名が国会にまで登場してすっかり定着した感がある岸田首相が、よほどこのあだ名を嫌ったのか、早速所得税減税を打ち出した。しかしその規模はとてつもなくショボくて、一桁間違っているのかと思わせるようなものだ。食料など生活必需品の値上がりがとてつもないこのごろ、まっとうな政策は消費税の廃止を置いてないだろう。しかし決してそれは実現されない。というのも財務省が許さないからだという。

 なぜか。財務省の高級官僚は増税を実現すれば昇進が約束され、減税を許せば昇進の夢は消えるのだという。どんなに反国民的であろうと増税を進める仕組みになっているのだという。これはどうも単なる噂ではないらしい。

 というのもノーパンシャブシャブスキャンダルで旧大蔵省が解体されて、平成十三年に財務省が設立されるにあたって、財務省設置法第三条で「健全な財政の確保…を図ることを任務とする」と規定されてしまっているからだ。「健全な財政の確保」とは、つまり政府が税収以上の支出をせず、国債を発行しないこと、つまりは緊縮政策を行うことを意味している。増税をして税収を上げることは財務省とその役人の一番の任務だということになる。国民がどれほど生活にあえいでいてもこの日本最強の省庁はそれを見ず、政府にも消費税減税・廃止といった本格的な減税は許すことは絶対しない。この方針に抵抗する内閣はスキャンダルで倒される。国税庁が財務省に属している以上、それは可能でたやすいことなのだ。

 わが国の三十年に及ぶ経済的後退の状態のかなりの部分は、この事実が大きくかかわっていると言える。マスコミも財務省を敵にまわすような報道は一切しない、タブーなのだ。

 国の仕組みで、財務省がこのような強大な権力をもってしまう状況は、変えていかなければならない。さもなければ我々国民はどんなに生活に困窮しても増税され続けることになる。私たちが生き残るためには、このような構造を改めるまっとうな政治勢力を育てていくことがどうしても必要だ…。これができる野党勢力とは?

膝と人生(108)
2023年10月

 この9月に五十年ぶりに高校の同窓会に出席した。その後今はない実家のあたりを歩き回ってあたりの変化に感傷にふけった。ふいに振り向いた拍子に左膝に痛みが走った。それから歩くにも一歩ごとに痛みがある。京都の自宅にやっとの思いで帰ったがそれから膝の痛みとの闘いが続いている。

 足を引きずって歩くことはできるが、五分ほど立っているとじくじくと痛む。痛みで膝は完全には伸ばせない。屈曲するには支障がない。ただひねりの力がかかるとギクッと痛む。このままでは今まで生活の中で出来てきた多くの事ができなくなってしまう。特に楽しみにしている植物園の散歩と花の撮影ができない。

 「膝の痛み」を検索すると、YOUTUBEで驚くほどの数の動画が挙げられている。多くの人が膝の問題で悩んでいることを実感する。それで勉強をしていろいろやってみる。まずはリハビリ運動のやり方。またスポーツテーピングのやり方など。テーピングは確かに効果を感じて楽になるのだが、あとで皮膚が炎症を起こして長くはできない。

 膝の構造を調べてみると、一つの関節に過ぎないのに、実に多くの筋肉と腱がつながっている。膝という一つの関節の複雑さと偉大さをつくづく感じる。

 驚いたのは膝の内側の痛みの多くが、足の親指を屈曲させる筋肉が膝の部位まで伸びていて、その走行に沿ってマッサージをするだけで、改善するという情報だった。実際にやってみると確かに効果を感じた。しかし、今回の私の症状はそれだけでは無理だった。他にいくつかのマッサージ方法や筋肉や腱のほぐし方で自分に合いそうなものを試してみる。痛む膝をかばって体の他の部分が緊張してアンバランスになる。膝の関節一つで自分の体の運動機能のシステム全体が崩れていくのを感じる。こういったことも人は受け入れていかなければならないのだろう。

 三週間ばかりで、ようやく少し改善してきたようだ。しかしまだまだ油断はできない。これからは、サポーターの装着は必須になるだろう。まだやっておきたいいくつかの事がある。崩れていく体のシステムをだましだまし、その中でなんとかしのいでいくことになるのだろうと、今さらながら思っている。

核汚染水海洋投棄の報道は科学的か?(107)
2023年9月

本誌が二百号を迎えた。この半分以上に関係してきたことは、筆者は誇りに思う。

 福島の原発の核汚染水の海洋投棄を岸田政府は開始をした。NHKをはじめとしたマスメディアはすべて、汚染水を「処理水」と呼び、これを海水で薄めるので安心だと報道し続けている。中国政府がこれに抗議をすると「科学的に対応すべきだ」と反論した。しかし科学的とはどのようにすることなのだろうか。

 そもそも「処理水」とは何か。福島第一原発敷地に貯留された水はトリチウムだけを含んでいるのではなく、溶けだした核燃料と接触して様々な核物質を溶かこんだ汚染水なのだ。この多く
(全部ではない)は一旦はALPSという処理装置を通したものだが、これは不完全なもので、海洋投棄される「処理水」には、現在でも多種類の放射性物質が含まれているのは専門家にとっては常識だ。この点、通常の原発から海洋に投棄されている処理水とは違う。単にトリチウムだけの問題なのではないのだ。

 NHKなどのマスコミはこの事実を一切触れようとしない。この度のテレビ報道を筆者は注意深くチェックをしていたが、この「処理水」のトリチウム以外の核物質に言及したニュースは、8月末の時点でBSTBSの「報道1930」だけで、地上波のニュースは一切この事実に触れなかった。中国がこれに猛烈に抗議をして日本産の水産物輸入禁止に踏み切ったニュースは、マスコミの論点反らしには幸いした。とくにNHKはこれ幸いと中国への非難と漁民の災難ばかりを報道するようになった。ここに日本政府とNHK・マスコミが国民をだましていると私が考える理由がある。

 「科学的に安全だ」と言うならば、なすべきことは海洋投棄する汚染水の検査を改めて第三者機関が行い、この内容をすべて公開し安全性を確認することであり、それが最低限の「科学的」な方法であろう。これを実行すれば福島の漁業関係者も反対することはなく、中国に対する最も強力な反論になる。これはごく簡単に実行可能なことで経費も微々たるものだ。

 しかし政府はかたくなにこれをしようとせず、マスコミも他の核種の存在には頬かむりをして国民に知らせようとしない。さらに海洋投棄以外の方法もあり得るということにも頬かむりをして、これ以外に方法がないという雰囲気を作ってしまっている。この国の政府とNHK・マスコミは、真に腐っていることの証左であろう。今後、海洋投棄のこの問題をNHKや他のマスコミがどのように報道していくか、注意深く見ていく必要がある。これはマスメディアの試金石になる。

 誤解をしていただきたくないが、筆者は中国の主張に同調しているわけではない。事実関係を科学的に考えれば、以上のようになるだろうことを述べているのだ。むしろこの際、中国依存の体質をもつ日本経済の脱中国化を図るべきだと考えている。

猛暑と風水害の夏に思う(106)
2023年8月

 今年の暑さは近年以上の激しさで、昼間に外出をするだけでも危険な状態が続いている。この気候で農作物は大丈夫なのだろうかと考えていると、ニュースで食料自給率がカロリー的には三八%しか達成されていないのだそうだ。
今は世界的な異常気象とウクライナ戦争による穀物の不足で、食料の奪い合いさえ起こってきているのだと伝えられる。

 食料の確保は、国の最大の安全保障といっていい。食料を輸入にたよれば、当然相手国の事情によって食料確保が左右され、場合によっては国民が飢餓に苦しむことになる。歴史を見ればこれはよく起こることだ。世界の多くの国とくに欧米の先進国は農業の保護に力を注いで、農家に対して手厚く補助をしているという。これは食料の確保とともに国土の保全に寄与するからだ。

 しかし日本国の政府は、食料安全保障を本気で取り組んだ形跡は、残念ながらない。この自給率が上がらないことが何より証明している。歴代の自民党政権はいったいだれのために政治を行っているのだろう。特殊な高級食品の輸出には力を入れているようだが、国民の基本的な食料の確保という観点からは、ほとんど何もしていないに等しい。

 そういえば、健康への危険性から世界の各地で禁止になっている除草剤グリホサート(ラウンドアップ)の残留基準を百倍まで緩和して、日本のホームセンターで簡単に入手して使えるようにして、海外の巨大企業に貢献しているのが日本政府だ、ということを国民は覚えておいたほうがいいだろう。

国難・南海トラフ巨大地震対策(105)
2023年7月

 最近地震が異様に多い。そこで思い出すのは南海トラフ巨大地震。これは皆さんもご存じだろう。今後三十年以内に発生する確率は七十から八十パーセントと言われる。阪神淡路大震災は発生する確率が五パーセントと言われて起こった。

歴史上では文字記録に残っているだけで九十年から二六十年を周期として、西暦八八七年から巨大地震が七回起こっている。このうち三回は二回がセットで起こっているので、合計で十回の巨大地震が起こっている。

 一回だけで起こるものは、М9の規模の超巨大地震であり(これを全割れという)、二回セットで起こるもの(これを半割れという)はМ8の巨大地震である。どちらにしても、静岡県から宮崎県の太平洋側は最強の震度7の揺れにみまわれ、東日本大震災と同様かそれ以上の大津波が襲うのが確実とされている。しかも震源に近い静岡や和歌山などでは、地震発生の二・三分以内に津波が到達してしまう地域もあるという恐ろしいものだ。

 半割れの場合は、必ずはじめは静岡・愛知沖を震源とする東海地震であり、その後に紀伊半島から四国沖を震源とする南海地震が続く。前回は一九四四年と四六年であった。前々回は一八五四年の安政年間で、この時は三十時間を隔てて二回の巨大地震が連続した。またその前一七〇七年の宝永大地震は、日本史上最大級の地震(全割れであった)で、その四九日後には、有名な富士山の宝永噴火が起こり江戸にも火山灰が降り積もった。

 この巨大地震が現在起これば、犠牲者は三十万人を超すとも言われている。被災地はわが国の中枢をなす地域で、首都圏の機能の麻痺と流通の麻痺を起こすのは明らかで、被害は東日本大震災の比ではない。国家的対策としてのインフラの強化や強靭化の事業が必須だ。

 しかし政府は危機を予想はするが、一向に本格対策に乗り出していない。近い将来必ず起こり国難となる大災害に対して、本格的な防災対策にとりかからないということは、政府がこの国を守ろうとしていないに等しい。この巨大地震に対して国家事業として巨大予算を組む国難対策政府を作るのは今しかないだろう。次の総選挙にはこのことを忘れてはいけない。

 なお気象庁のホームページに想定される震度の規模や津波の高さ、想定の被害などシミュレーションが出ているので、ぜひチェックされることをおすすめする。

究極のロビー活動(104)
2023年6月

 ロビー活動とは特定の主張をもつ団体や個人が政府の政策に影響を及ぼすために行う私的な政治活動ということだ。米国で国会議員に自らに有利な法律を制定させようと活動する巨大企業のプロモーションが有名だ。

 規制はあるものの、その裏では巨額の金が動くことになるらしい。ところが日本では、米国よりもっと効率的な制度が確立しているという。それが首相が組織する有識者会議や諮問会議といったもの。

総理大臣がこのような会議に対して、ある懸案について諮問をすると、この会議からの答申書が作成される。

NHKのニュースはすかさず会議の責任者が首相に答申書をうやうやしく手渡す姿を報道する。中身についてはあまり深掘りしない。ただいかにも権威ありそうな雰囲気を画面で伝える。

 こういった会議には「民間議員」と呼ばれる不思議な者たちが出入りする。かれらは「議員」と呼ばれるが決して選挙で選ばれたわけではなく、ただ大企業の経営者や「学識者」とされる大企業の利益の代弁者たちを政権が指名しただけ。これがまさにロビイスト。竹中某はその代表格だった。こういった者たちが国策に提言をする。それはほとんど常に国民の大部分に不利で、大企業に利益になることなのだ。しばしば他国の巨大企業に有利な制度さえも導入されてきた。

 このような提言をもとに、内閣は一年間の「骨太の方針」なるものを作り六月に発表する。これが世界で一番効率的なロビー活動というわけだ。諮問会議や有識者会議には、大企業や海外巨大企業の利益の拡大させる意欲満々の「学者」や企業の代表が「民間議員」として指名されているのだから。こんな仕組みを何とか壊すことをしないと・・・。

 とりわけ、NHKニュースがこういった仕組みの権威付けの道具になっているのは、実に罪深いことだ。

二つの邸宅(103)
2023年5月

 新緑に誘われて、連休中京都市でも人出の少ない場所を求めて一日散策をした。疎水の近くで、有名な建築家ヴォ―リズ設計になる遺伝学者・駒井卓旧邸に行き会った。
 古びているが瀟洒な二階建ての洋館だ。来館者は他にいなかったので、ヴォランティアの方にたっぷり解説していただいた。

 家の各所にちりばめられた斬新なデザインに惹かれた。またキッチンが実によく考えられ、使いやすそうだった。奥さんを中心に大事に作られたとのことだった。

 それで、昔訪れた奈良・春日大社の馬酔木の森を抜けた高畑町の志賀直哉旧邸を思い出した。ここも奥さんの居心地を中心に考えられていると教えられた。主人の書斎はいずれも北側のすみだった。

 両邸にはともにサンルームがあり、志賀邸は庭の芝生に接続して広々としており、駒井邸は二階に大文字山と比叡山と庭の緑を望むことができて、ロッキングチェアに座っていつまでもまったりしたいとつくづく思った。

 この両邸は、とくに奥さんの生活を中心に考えられていることが共通している。そういえば昔、志賀邸を訪れた際に、案内の方が家を新築される際には建築家さんとまた見にこられるといいですよ、と言われたのを思い出した。しかしそれはなかなか贅沢なことだ。

岸田内閣の少子化対策は誰のためか(102)
2023年4月

 岸田内閣は「異次元の少子化対策」のたたき台なるものを発表した。子育て支援としては、
@児童手当の所得制限を撤廃して高額所得者まで支払うとする。
A年齢制限を十五才から十八才まで延長する。
B育児休業したときの給付金を手取り百%にする。 これは手取りの高い人にも同様に支給することになる。

それはそれで意味はなくはないだろう。しかしこういった政策では少子化対策には効果は期待できない。

 そもそも最も大きな問題は、収入が低くて若者が結婚できなくなっているという現状だ。
実際に年収が高いと結婚率は上がる。年収五百万以上では五十%以上となるが、若者の多くを占める年収百万の後半の層では十五%未満となる。
結婚をして子供をもつことは経済的にこれだけ困難になっている。
ここを底上げしないと若者は結婚できず、子供も生まれないことになる。
休業保障にしても給料の低い人には少ししかもらえない。収入の低い独身者や専業主婦にはそもそも恩恵は全くない。

 片親などでの子育て困難など、子供をとりまく貧困がひどい。
まともな栄養のとれる食事が給食だけになった子供は多いという。今すぐにも必要な対策は「学校給食費の無料化」だ。これはすべての子育て家庭が恩恵をうける。しかし政府は給食の無償化を頑なにやろうとしない。

 さらに問題は、子育て支援の財源を社会保険料、とりわけ健康保険料の増額でまかなうとしている点だ。健康保険料は月収百五十万円ほどを超えるとそれ以上では上がらない仕組み。これは高額所得者になるほど健康保険料の負担の割合は小さくなることを意味している。

これを考えると政府の少子化対策は、高齢者も多い貧しい層から金を奪って高所得層に金を移すという構造になる。

 そもそも岸田氏は当初金融所得への課税を言っていたが、首相になったらさっそく口をつぐんだ。金融所得の分離課税(株でどれだけ大儲けをしても税金は二十%)を撤廃して、正当な累進課税に切り替えることが重要だ。これによってはじめて格差是正に舵をきることができるだろうがこれも頑なにしようとしない。マスコミも一切この件を指摘しない。

 岸田内閣は、貧困化する国民の大多数を助ける政策は、頑なに拒否をし続ける反国民内閣というべきだろう。

NHKニュースの国会報道は中立か(101)

 何となくテレビをつけて何となくチャンネルをNHKにしておくことが多い。「戦争を知らない」私たちの年代はそれが習慣になっている人も多いのではないだろうか。国会が始まって、NHKテレビの正午や午後七時・九時などのニュースでしばしばその質疑が報道されるようになっている。

 ふと気づいたが、NHKの国会報道にはパターンがある。それは主に野党の質問とそれに対する政府側の答弁の二つで構成されている。そして多くは政府側の答弁の言いっぱなしで終わっている。そしてたちまち次のニュースに移っていく。これは果たして報道として中立なものだろうか。大いに疑問がある。

 視聴者の頭には最後の言いっぱなしにされた答弁が印象に残り、よほど意識的に反論を作らなければ頭の中に刷り込まれていく。実際の国会では、その場面の後にも議論がまだ続いているだろう。首相や大臣たちの答弁や主張が視聴者の頭の中に印象として残り続ける。これは洗脳というものに他ならないのではないか。

 おりもおり、安倍政権下の報道に対する恫喝の内容を明らかにする公文書が国会で取り上げられ、立民の小西議員が高市氏を追及している。高市氏は捏造だと主張するがそれは通らないだろう。

 ちなみにロシア国民のプーチン支持率が八十%と非常に高いらしい。これはロシアのテレビ報道が、政府の広報活動となっており、ウクライナ侵略を正当化する内容を流し続けていることと大いに関係があるといわれている。この事実に思いを致す必要があるだろう。ひょっとしてNHKが再び大本営発表のスピーカーになる日はもう始まりかけているかもしれない。

 なお国会の質疑については、国会のホームページで議員の名前から動画で閲覧できるようになっているので、これは大いに利用したい。

わが国は出稼ぎ国家へ(100)

 先日放送されたNHK「クローズアップ現代」の内容が衝撃的だった。二七才の日本人女性の看護師が、残業続きの激務に消耗して希望を失い、オーストラリアに渡り介護の仕事についた。かの地ではゆったりと仕事ができ精神的にも余裕ができた。しかも日本では月給が二五万円だったのが八十万円の収入になったというのだ。彼女はやりがいを感じて夢をもてるようになったという。とうとう日本の若者が海外へ出稼ぎをするような国になり果てたと感じさせた。

 わが国の介護職・医療職の給料は、政府の決めた介護保険料や医療保険点数に基づいた事業主の収入によってほぼ決定される。とくに介護職の収入は他の業種に比べると一二割は低いと言われている。

 考えてみれば、高齢者の生活を守り維持していく貴重な仕事が社会的に低く抑えられていることは高齢者の生活・生命はどうでもいいというのが現在の政権の方針ということだ。月収八十万円が公的制度に沿った額なのかどうかは不確かだがオーストラリアの介護の仕事のまっとうさを感じる。

 自公政権は医療・介護・福祉に止まらず、教育・子育てなど、国民の生活レベルをあげる施策については必ずといっていいほど「財源がない」と、切り捨て自己責任論をふりまいてきた。財源は消費税でなどと喧伝する。NHKはじめメディアも国民を洗脳している。岸田政権は今後、防衛税など様々な増税や新設の税を計画しているらしい。

 だが実際には税は財源ではない、ということを知る必要がある。では財源は何かといえば、国債の発行だ。医療・介護・福祉のための国債、教育費・子育て無償化のための国債の発行。これによって、国民の実質の収入アップをすることで、消費喚起になり国民生活を下支えすることができる。

 国債発行の正当性と倫理的な規定を改めて国として議論・制定する必要がある。かつて軍備拡張のため国債が乱発されて、わが国が戦争に突入していったという苦い反省があることは事実だ。だが国債発行全般を悪として「次世代へのつけの先送り」とか財政破綻を招くという議論は、新自由主義によってさんざん喧伝され悪用され、特にこの三十年間わが国民の生活の貧困化・格差拡大、経済の異常な停滞を招いてきたのが歴史だ。

 現在政府にとって必要なものは、軍備のためではなく、国民生活を守るための福祉・教育方面の目的を明確にした国債発行による実体経済への下支えだろう。消費税の減税・廃止は早々に行われるべき効果的な施策となる。

 私の敬愛する野党である共産党も、国民生活を守る施策の財源は、他の予算を削ることによるのでなく、目的をはっきりした国債発行を許容するという方向に舵を切るべきなのではないだろうか。

 なお財政破綻論の嘘などについては、YOUTUBE動画でさまざま出回っているが、森永康平氏の論説が解りやすいのでおすすめだ。

古代のイメージトレーニング(99)

正月の恒例、漢詩のご紹介をしよう。陶淵明「擬挽歌詩」より。

有生必有死 早終非命促    うまれたからには 遅かれ早かれあの世いき
 
昨暮同爲人 今旦在鬼録 夕べはまだ人だったが 今朝になると鬼のなかま
 
魂氣散何之 枯形寄空木     魂はどこいった 枯れたむくろが寝るばかり
 
嬌兒索父啼 良友撫我哭       子は父よと泣き 良友は私を撫でて嘆く
 
得失不復知 是非安能覺     生きてきたのがよかったか 皆目わからぬ
 
千秋萬歳後 誰知榮與辱         千年万年たったら だれがだれだか
 
但恨在世時 飮酒不得足     ただただこの世で 飲み足りぬのが心残り
 
 これは四〜五世紀の中国の詩人、陶淵明の作。この詩は死者を悼む挽歌を、とくに自分の死をめぐって作ったもの。しかも納棺の場面なのだ。ここで詩人は自分の死のイメージトレーニングを実行している。

 魂が自分の体から抜け出て、部屋の斜め上の空間から冷静に人々の反応を見ていような風情がある。これは最近の臨死体験の知見とも相通じるようだ。最後の句は、この人らしくほほえましくはあるが・・・。

 このようなイメージトレーニングは、我々にも必要なのかもしれない。

サッカー大会の裏で進行すること(98)

 ワールドカップの日本代表の活躍で日本中が浮かれている裏で、この国では大変なことが進行している。

 軍備費の倍増・敵基地攻撃能力・原発再稼働の加速と老朽化原発の延命と新原発建設・インボイス制度の実施・隙があれば増税など◆これらは国の根幹にかかわることで、ろくろく国会で議論せず一気に大きなことを決定している。新聞やTVニュースの最近のトップ記事はサッカーで、国のあり方の変更という重大ニュースはそれ以下だ。サッカーはローマ時代のコロッセオの剣闘士の戦いを思わせる。

 保守の論客・中島岳志氏が指摘するには、岸田内閣は日本国にとって非常に危険な存在であると。岸田氏は自分の理念を持たず総理になるために総理になった。来年の広島サミット開催のみを目標にしていると。現在の低支持率にもかかわらず首相をおろされず地位にしがみつくために、こういった重大な決定を節操なく次々としているのだとも中島氏は指摘する。

 岸田氏はぶれることだけはぶれない。一貫性のないことだけは一貫しているとも。また自分の長男を公設秘書に任命するということもしている。

 しかも国民がサッカーの試合に熱狂している裏で、ひっそりと目立たないように進める。国民の注目を集める大きなイベントがあるとき、その裏でこっそり大きな政治的決定をして、後戻りできないようにしてしまう。これはよく権力がやる手口だ。ショックドクトリンという。

 ショックは大災害であっても、日本代表チームの活躍でもよい。とにかくその裏でひっそりと、国家にかかわる重大な事項を目立たぬように進めていく。国民の多くの目からは隠して、国民の大部分を不幸にして自分と身辺の利益のみを肥え太らせる、そんな国の方向転換なのだ。

 皆の衆、最大のご用心をめせ。

社会を衰退させるインボイス制度(97)

 インボイス制度がほぼ一年後、来年十月から導入されるという。この制度は、売上一千万円以下の、個人事業者やフリーランス、零細企業など、弱い立場の人々から消費税としてむしり取るような制度だ。

 こういった人たちは、若者たちが多いと言われる。若者が新しい事業を立ち上げたり芸術や文化の分野などで活動をしようとするときに、最初から経済的に恵まれることはほとんどない。どんなに才能があっても、はじめは貧しく弱い立場だ。そんな若者たちの創造力の足を引っ張るような制度がインボイス制度に他ならない。つまりこの制度は、わが日本の国の発展の新しい芽を摘み取ることを意味している。これは私たちの、子供や孫の世代に大きくのしかかってくることに思いを至そう。

 そもそも論から言えば、消費税が格差を拡大する悪税であり、これが福祉や介護の財源になっているとするのは、妄言だ。消費税増税と同時に法人税減税が同じような規模で施行されることが繰り返されていることを考えれば、消費税は法人税減税の補完の役割を担っているのだと言ってよい。このような消費税を廃止し、高所得者への所得税負担を大きくし、金融資産への分離課税を廃止し、内部留保をため込む企業への課税を重くするなどの、まともな税制に戻すことが最も必要なことなのだ。

 インボイス制度は、本当に導入されるのか、まだ不透明な部分が多いという。インボイス制度導入反対の声を大きくしていくことが重要で、導入の中止に追い込める段階にあるという。

国民を助けない政府(96)
2022年10月

 この秋は、ほとんどあらゆる商品が値上げされて、どんなに節約を心がけても生活費の上昇に歯止めがかからない。とくに食料品や電気・ガス料金の値上がりは今後どれほどになるのか想像ができない。

これがどこまで続くのか、どれほど私たちの生活を直撃するのか、不安におそわれる。さらにここにきて、後期高齢者の医療費の窓口負担分が倍増され、老人が体の具合が悪くなってもおちおちと病院を受診することができなくなってしまった。とまらない円安と、戦争の影響による物資の不足。こんな状況になっても政府は国民をまともに救おうとしない。

 一番効果が高いと言われる消費税減税を行うそぶりは一ミリもない。生活支援は非課税家庭のみという制限をかけて、微々たる予算執行にすぎない。これでは我々の生活はどんどん破壊されていくことになる。

 岸田首相は賃上げの方策として労働移動の円滑化をあげているが、これは首切りをしやすくするものでむしろ賃金を下げる方向になるものだし、インボイス制度も個人事業主を直撃し、海外からの安い労働力の受け入れも、国民の賃金を下げる圧力としかならない。やることなすことが、国民を貧困化させて一部のグローバル企業や海外投資家にもうけさせることになることばかりなのだ。

 なお消費税はだれの所得も増やすことなく、消費に対する罰則に他ならないこと、また社会福祉に使われる財源でもないことは、すでに事実として明らかにされていることは知っておこう。

留学生三十万人以上の愚(95)
2022年9月

 この八月末、岸田首相が外国人留学生三十万人を見直し、さらに増員の受け入れを目指すと表明したというニュースが出た。貧困化により高等教育を受ける自国国民の権利が侵害された状況がますます深刻になっているのにかかわらず、だ。

 私たち七十年代初めに大学に入学した世代は、国公立大学の学費は一万二千円だった。月額ではない。年額だ。この安さのおかげで私のような地方都市の貧しい職人の息子が大学を卒業することができた。

 私たちの在学中に、学費の値上げの政策が発表され、学費値上げ反対闘争が盛り上がった。私もそのデモに参加したものだった。当時、二十年先には数十倍に学費を値上げするとされた。しかしそれにはとても現実味が感じられなかった。だが今振り返ると、まさにそれが実現されてしまっている。

 学生の多くは今、「奨学金」というサラ金の返済を背負ってでないと社会に出られなくなっている。そして若者たちはそれが当たり前の運命とあきらめているようにも見受けられる。しかしこれは政策により作り出されたものだ。政策を変えることで状況は変えられる。そのことを日本の若者たち、つまり私たちの子供の世代は実感として感じていないようだ。

 この状況で留学生三十万にさらなる上積みとは、狂った政策以外の何ものでもないだろう。学費の負担を限りなくゼロに近づけて自国の若者の教育を受ける権利を保障するのが、まともな国の義務であり、未来の世代の人材をはぐくむ最重要の方法だ。教育を受ける権利を保障しない国の未来はない。


遠い夏の記憶(95)
2022年8月

 私の実家は岐阜市の長良川ぞいの、旧市街にあった。小学校の夏休みの午後は毎日、長良川で泳いだ。裸のまま家まで帰ってくると中庭の縁側に腰かけ、井戸で冷やしたスイカを食べて昼寝をした。毎年花火大会が二回あり、堤防まで出ると特等席だった。

 中学になると、天体望遠鏡で夏の星空を覗いていた。土星の輪に木星の衛星、こと座のリング星雲、白鳥の嘴の二重星アルビレオがお気に入りだった。宮沢賢治は「眼もさめるような、青宝玉(サファイア)と黄玉(トパース)の大きな二つのすきとおった球が輪になって静かにくるくるまわって」いると書いている。

 二階の窓の灯りにはカナブンが騒々しく飛び込んできて驚かされ、山のほうから、時を刻むようなヨタカの鳴き声が聞こえてくる。

 夏休みも終わりころになると、庭にこぼしたスイカの種から、小さな実が生えてきたりもした。夜には蚊帳の中に庭のカネタタキの声がかすかに聞こえてくる・・・。

こんな夏は、記憶の中にしかもうない。

亡き友と生きる(94)
2022年7月

 彼が亡くなったのはまだ五十台のときだった。彼は大学の先輩。卒業後も時々、会ってはいた。だがその電話は突然だった。今日会いたいというのだ。
 木屋町の静かな店で、ガンを宣告されて手術を受けることになったと。かなり珍しいガンなのだと。普段は明るいユーモアの持ち主の彼が不安そうに言った。手術ができるのは完治の可能性があるからと私は励ました。

 それから一年ほどだったろうか。再び彼からの電話。同じ店で会うと、転移が見つかったと。今度は慰めの言葉はどこを探してもなかった。ただ家族との旅を勧めた。

 しばらくして入院を聞いて見舞いに行った。それは川べりの病院だった。二度目に共通の友人と見舞いにいったが、その朝に彼は亡くなっていた。

 彼は人一倍社会を憂えていた。今、この、時代の変わり目に彼だったらどうしていただろうと、考える。私は亡き友と共に生きている。

「黄金の三年間」で日本はどうなる?(93)
2022年6月

 最近そこここで囁かれる「黄金の三年」をご存じだろうか。残念ながら国民にとっての、ではなく政権与党にとっての「黄金の三年」だ。七月の参院選で大勝すれば政権にとって今後三年は国政選挙がなく、ほぼ好き勝手にできる黄金の三年が手に入るのだ。

 岸田首相は、新しい資本主義を唱えて首相になったが、その内容といえば国民の貯蓄を小口投資のNISAに誘導するというなんともお粗末。嵐のような値上げラッシュでも消費減税はせず、ガソリン税も据え置き、国民の生活を守るまともな経済政策を打とうとしない。善人顔をしていても国民をいじめる鬼のような冷酷な政策ばかり。これで七月の参院選で与党勢力が大勝したらどうなるか。国の財政がもたないと偽の口実で消費増税の強行もしかねない。さらに恐ろしいのは憲法改悪を強行する可能性が高い。

 改憲勢力は、自公の与党に翼賛党と化した維新に国民民主が参院の三分の二の議席を取ると、衆院はすでにこれを達成しているので、改憲に踏み出し再び軍国への道へ歩みだす。

 メディアは選挙の一月前になっても沈黙して、まともに選挙を取り上げるものは少ない。さすがに報道の自由度七十一位の国の報道。ひたすら国民の目を政治から逸らそうとしているように見える。

 七月の参院選挙は、その結果が日本の未来を確実に変える選挙になる。日本の歴史を変えるために、ぜひ身近な人たちとともに選挙に行こう。無関心は未来への罪・・・

報道の自由度世界七十一位から見えるもの(92)
2022年5月

 国境なき記者団が今年の報道の自由度が発表した。日本は去年よりランクを落として世界第七十一位となった。これは政府や広告主の大企業へ忖度し自己検閲で自らを縛って、権力へのチェックというメディアとしての重要な機能を果たさなくなったのが大きな理由だという。

 確かに「政治的な公平」を理由にメディアが政府批判することがほぼなくなったと感じる。これは民放だけでない。NHKのニュースは政府広報の機関と思えるほど。さらに国民の目を政治から逸らさせているとも見える。

 関西のメディア(NHKも)は、特定の政党・維新を過剰に取り上げ、その宣伝に大きく貢献をしてきた。維新の主張は「身を切る改革」に代表されるように、貧困化する国民に不当な我慢をもとめながら、一方で人々から賭博中毒を作り出し、財産を吸い上げ海外企業に流すカジノを推進する政党だ。

 長年維新政治が続き、保健所や公立病院の統廃合を進め、住民対応をパソナ経由の派遣に切り替えてきた大阪府は、コロナ死亡者数は五月初めで五千人に達しようとしており、東京をかなり引き離してダントツの全国一位。維新知事を毎日のようにニュースに登場させ、持ち上げてきたメディアの罪は深いものがあると思う。

 ウクライナの戦争についての報道についても、感情に訴え煽るような内容が多くなっているが、これが憲法改悪や核武装論への道を開くことにならないか警戒をすべきだろう。

 七月の参議院選挙は、今後のこの国の方向を決める重要なものになる。なにせそれ以降の三年間は国政選挙がなく、権力者にとって強力な歯止めのない「黄金の期間」になるからだ。

災害と水道民営化(91)
2022年4月

 三月十六日に宮城・福島地方を震度六強の地震が襲った。これによって仙台市では一時断水をした。多くの地域では一日二日程度で断水は復旧をしたが、一部の団地ではなんと三週間ほども断水が続いて住民は水道を使えない状態が続いた。

 ここの団地では水道管は民間の事業者が管理していて、この業者の資金不足から復旧工事が進まないのだと、新聞は報じている。

 おりしも宮城県は上下水道の運営権を民間業者に売却をして、四月からこの契約が発効した。ただこれは運営権だけで施設は県が引き続き所有し、水質検査や管路の維持管理も続けるということなので、今回のケースとは同じではないが、しかし水道という生活に必須なインフラを民間企業が担当する、ということの危うさ、危機管理の希薄さが浮かびあがる。

 デフレやコロナ、プーチン戦争のあおりなどで、財政がきわめて苦しい地方自治体が多くなるなかで、水道のようなライフラインの安易な民営化に走る自治体が出てくることが危惧される。

 こは自治体が政府に財政援助を正当に要求して、ライフラインを公営で守るという姿勢が必要だ。そもそも上下水道のような生活に必須なサービスを、利潤追求を目的の民間に任せてはいけない。このためには唯一、貨幣創出のできる政府が、自治体の財政を援助することが必須なことだ。

 宮城県の水道民営化の契約は二十年という。この間に再公営化を図ろうとしても莫大な違約金を請求され後戻りできない。さらに全国のいくつもの自治体の水道では、すでにフランスの水道大手ヴェオリアが業務の一部を請け負って民営化を虎視眈々と狙っている。

一度、家に送られてくる水道局からの通知を確かめてごらんになるとよい。もしその片隅に小さく「ヴェオリア」の文字が印刷してあったら、グローバル企業の魔の手はすぐそばまでやって来ていることになる・・・。

山の生活(90)
2022年3月

 世界は戦争の時代に突入してしまったようだが、毎日このニュースで暗い気持ちになるので、この話題にはふれない。

 最近YouTubeの動画がとみに豊富になっている。私のお気に入りは、中国四川州の若い女性が山里で祖母と二人、半自給自足の生活をする姿を、取り巻く美しい四季の移り変わりとともに映したものだ。

 内容の半分以上は料理(むろんみんな中華料理)を作る過程を手際よく追っているが、素晴らしいのは食材の調達から丹念に描いていること。野菜の種を蒔き、その苗が成長して収穫するところまで、美しい山の自然の姿ともに映し出す。また木の実やキノコの採集などから、庭に放し飼いにした鶏を締めるところまで含んでいる。時とともにその庭が花にあふれて、しかもそれがすべて食材にされるのにも感心される。

 この動画は中国で大変な人気となり一千六百万以上の登録者となった。彼女も中国ではすっかり有名人になったようだ。だが最近は残念なことに、彼女が富裕層セレブリティになってしまったからか、更新がすっかり減ってしまっている・・・。

 なおこの動画はYouTubeで「Liziqi」と検索をすればすぐに見ることができる。

必要なことは緊縮財政を終わらせること(89)
2022年2月

 国の財政は、一つの家の家計や地方自治体の財政とは違う。これはその規模の問題でなく、本質的には国は貨幣を発行できるが、地方自治体や個人の家庭は貨幣を作りだすことはできない、ということにある。

 わが国はこの三十年近く経済成長をほとんどしていない。これは世界的に異常な事態だ。主に政府が税収以上の支出をしてはいけないという誤った方針で国を運営してきた結果、政府が実質経済に十分財政支出をして需要を喚起してこなかったのが大きな原因だと言われる。この誤った方針は具体的には毎年閣議決定で「プライマリーバランス黒字化目標」という政府方針が決定されることで表明される。これは税収以上に政府は支出をしないという宣言だ。

 小さな政府を目指す政府のこの方針によって、「財源がない」と叫んで、庶民を苦しめる消費税の増税を繰り返し、公務員はじめ多くの労働者を非正規化し、国営機関を民営化し、福祉・医療・教育予算を削り続けてきた。その結果は、大部分の国民の貧困化、ごく一部の企業・株主だけをますます富ますことなった。これには政府の不公正な支出も大きくからんでいる。

 派遣のパソナなどはその例だ。パソナは収益を十倍以上に伸ばしているが、その会長である竹中某氏は、相変わらず政府の諮問委員会に入りこみ、利益誘導を繰り返している。彼が罪に問われないのは現代日本の最大の不思議に他ならない。コロナで国民の多くが貧困化し疲弊している今、国民を直接救う政策を、直ちに財政出動して(赤字国債を発行して)行う必要がある。

 今年七月には参院選がある。ここで国民を見捨てるこの緊縮政策を終わらせる政治選択を、ぜひともする必要がある。投票先の見分け方については、まず消費税廃止ないし消費減税を叫ぶところ以外には、投票しないことだと思われる。また「身を切る改革」とは、よく耳にするが、住民をますます貧しくするぞという宣言に他ならないことも覚えておこう。

書適(自由な境地を記す) 陸游(88)
2022年1月

            老翁垂七十             七十にもなろうというのに

            其實似童兒                     まるでこども

            山果啼呼覓      山の木の実を見れば泣いてほしがる

            郷儺喜笑隨               練り歩く行列をみれば
                                    嬉しがってついて行く

            群嬉累瓦塔    子供にまじって瓦で塔をつくってあそぶ

            獨立照盆池    池の端で一人姿を映してみることもある

            更挾殘書讀    また古本を小脇に抱えて読みふける…

            渾如上學時      まるで寺子屋に上がった子供のよう


 これは南宋の大詩人・陸游(放翁、一一二五から一二○九)の詩です。

七十歳ごろの作と思われます。

この詩の人物は子供に返ったような姿ですが、新鮮な好奇心と勉学への意欲をみせてさわやかです。

七十の声を聞いた我が身に引き比べて、見習いたいものです。

 当時は中国の北半を異民族の金によって占領され、南宋は金に莫大な貢ぎ物を送り、
かろうじて地位を保全する屈辱的な境遇に甘んじていましたが、
彼は生涯失地回復を叫ぶ愛国詩人でした。

当然のごとく願いは叶わず失意のうちに亡くなっています。

 我が子に残した彼の最後期の詩には国の統一がなしとげられたなら、自分の墓前に必ず報告してくれと、
書き残したのでした。

この状況、形は違うものの現代のどこかの国に似ている気がする
のは私の気のせいでしょうか。

オミクロン株が暴くこの国の非独立(87)
2021年12月

 コロナウィルスの新たな変異株オミクロン株。感染力がこれまでのものに比較して格段に高い危険なものだという。そこで岸田内閣は早速全世界からの外国人の入国を禁止した。

今度の首相は多少学習効果があるのかと思っていたら二日も経たない内に方針転換をして基準を緩めてしまった。これではただでもむずかしい水際作戦の効果は期待薄になってしまった。

 今政府がすべきことの最重要は、できる限りオミクロン株を入国させずに時間稼ぎをして、その間にワクチンの準備や治療薬の開発を急がせることだろう。

 だがもし水際作戦がたとえ完璧に遂行されたとしても、わが国に変異株が侵入してくる大きな抜け穴が存在している。それこそが米軍基地。そこに勤務する米軍兵士などは、日本の正規の検疫などは一切無視で自由にこの国に出入りしている。このことは矢部宏治著『知ってはいけない』(講談社)でかなり有名になったが、まだ十分に国民に知られていない。

 先年当時のオバマ米大統領が来日したが、その時も岩国基地に飛来して、ヒロシマで演説をして岩国基地から帰っていった。検疫など一切なしだったろう。というわけで、この国の国境には米軍基地というとんでもない大穴が存在している。

 オミクロン株は、たとえ水際作戦が完璧にしても、おそらくこういった米軍基地の付近からまん延することになるだろうと私は予想する。もっとも、そうなってもメディアはそのような報道をすることはないだろう。

 これはわが国が国境をコントロールできていない、つまり完全な独立国と言えないということを意味している・・・

衆院選の勝者の内実(86)
2021年11月

 今般の衆院選挙の結果にはがっかりした。自民は減らしたものの過半数は上回り、これまで通りの自公政権は続く。野党共闘で選挙協力をした立憲・共産はともに当選数を減らした。国政では「よ党でもや党でもないゆ党」だと言われる維新は四倍に伸ばした。だがこの事実には、こんな軽口で表現しきれない深刻な問題を含んでいる。

 改革を叫ぶ維新は、保守のポーズをとっているが、実のところこの国を徹底した新自由主義の国に作り替えようとする政策を主張している。曰く、経費削減、無駄遣いの削減、「身を切る改革」。このことが何を意味しているのか、外資規制のない規制緩和、自由化、民営化、さまざまなコストカット、国有財産の売却など。

 これらの政策は、小さな政府を追求するもので、公務員の削減、福祉や公共投資・公共事業は削減。そして外資を含めた民間の参入を進める。利益を最大化しようとする企業に公共事業を丸投する。結果、特定の企業のみに利益をもたらす。そして住民サービスの質は低下して、文化的な事業などは切り捨てられていく。大阪市や府ではすでにこれらの政策はかなり進行している。公務員は削減され、窓口業務などはすでにパソナに委託されている。保健所や公立病院の統合などにより、医療体制が弱体化しコロナ感染者数が人口で三倍以上の東京より多く日本一であり、医療崩壊したことは印象に深い。

 こういった緊縮財政と新自由主義の推進は、世界の各国で格差が拡大し、一般の市民層の生活を貧困に陥れるということが明らかになり、世界的に反省の時代を迎えている。自民党の総裁選でさえ、これまでの新自由主義とは違う「新しい資本主義」を唱えて岸田氏が当選を果たした。岸田氏は当選後には早速スローガンを骨抜きにしてしまい、これが実現される可能性はほぼないが、維新の党は新自由主義的な政策を正面に掲げて、躍進をしている。維新に投票することは、住民にとって自分の首を締めるのに等しい行為なのだ。この不思議の原因は、多くの論者が指摘する通り、在阪のテレビ局が繰り返し維新の首長を登場させ宣伝に加担していることが大きい。テレビはいっそ見ないほうがいい。なお今回の選挙で改憲勢力が三分の二を超えたことも、肝に命じておく必要がある。

まやかしの「財源問題」(85)
2021年10月

 記者会見で枝野氏は答えた「それはむろん国債です」記者の質問は「財源は何ですか」というもの。このまやかしの「財源問題」によって、日本の国民の大部分はこの三十年近くの経済的な停滞・デフレ状況に苦しめられ、コロナ禍によって苦しめられている。

 最近目にする金融商品のテレビCМで日本と外国の経済成長のグラフが出る。世界経済が右肩上がりなのに日本の成長は地を這っている。それで外国に投資し儲けようというCМだ。

 日本経済の停滞の原因が緊縮財政だということははっきりしている。そのキーワードが「プライマリーバランスPBの黒字化」。政府は歳入の範囲でしか歳出をしないというのがこの中身。ここに「財源がない」という詭弁が出てくる。PBを黒字にするため、福祉や医療費をけずり、教育文化予算を削り、インフラ建設を削り、消費税を導入・増税を繰り返し国民を苦しめる。ここに「民営化」を導入し弱肉強食の新自由主義が牙をむいてきた。

 だが、このほど立憲民主党や共産党は総選挙を前にして、財政出動をしてコロナ禍の国民を支える政策を発表した。その記者会見での質問「財源はなんですか」に対して、枝野氏は「むろん国債です」と答えたのだった。まさにコロナ禍に疲弊した国民生活に必要なものは、政府の財政出動による国民救済策だ。

 最近の経済理論ではデフレのわが国の状況では財政破綻の心配はない。実際に昨年の多額の国債発行でもインフレにならないことで、これが証明されている。貨幣を発行できる国の財政は家庭の経済とは違う。この秋に迫った総選挙では、不正にまみれて緊縮からの転換できない自公政権を追い落とし、野党の連合政府を実現して、国民を救う財政拡大の政策を実行させ、弱肉強食の新自由主義の支配を終わりにさせよう。

 なお「PB黒字化」を言い出したのが、例の竹中平蔵だということは知っておく必要がある。

国民を救わない政府はいらない(84)
2021年9月

 今年の前半にメディアで盛んに叫ばれていた「医療崩壊」の語が、オリンピックが終わりデルタ型変異株が猖獗をきわめ収束が見通せず、「自宅療養」という名の棄民政策が国民にあてがわれる状態になった八月の下旬に、メディアからほとんど消えてしまったことに気づいた。

 入院管理をしなければ、状態が急変して一晩のうちに亡くなってしまう状態の人が自宅にほとんど放置され、救うことのできる命が救えない状態は「医療崩壊」以外の何物でもない。

 こんな状況になっても緊縮財政を堅持するスガ・自公政権は、ほぼワクチンのみを頼りとする政策を変えようとしない。必要な経済的補償を拒絶して人流抑制に効果の低い掛け声だけの緊急事態宣言。

 日本国の財政は、国民一人一人に十万円の補償を繰り返しても問題がないことは、昨年の財政出動でもう明らかにされた(ハイパーインフレになるどころかデフレから抜け出せていない)。十分な経済的補償がされれば、流行を抑え込むことは可能なほど人流を減らせることは明白。

 あとは政府が本気で国民の命を救うための十分な財政出動をして、それによって有効な政策を至急に実現することだ。家族を救うためのわずかな希望のために酸素ボンベの確保に必死となったインドの人々の姿が、日本で再現される悪夢の可能性はまだある。だが政治を変えるチャンスは近い。それがこの秋の総選挙。国民を救おうとしない政府をとり変えるのだ・・・

感染爆発に無能な政府(83)
2021年8月

 前回のこの欄で、コロナ禍でのオリンピックの強行が山岳遭難のパターンだという野口健氏のアピールを紹介した。八月の上旬、変異型コロナ株の爆発的な感染で状況はその通りになっている。特に首都圏の医療体制は危機的な状況だ。

 そんな中、政府と東京都はコロナ中等症は入院でなく自宅療養でとの方針を打ち出した。コロナ治療の第一線で医療に携わる倉持仁医師はこの方針に対し「国民にまっとうな医療体制は供給しませんよ、というメッセージだと思う。こういう人たちに国を任せていては国民の命は守れませんから、二人(菅、小池ゅ)とも至急お辞めになったほうがいい」とテレビでコメントした。全くその通りである。病床や滞在施設を増やしたり、治療薬確保もろくろくしていないのがこの政府だ。唯一政策の拠り所にしているワクチンも、現場では供給が激減をして予約を受けることもできない状態が続いている。

 この政府はもはや政府の体をなしていない。国民の命はどうでもよく、ただ自分達の地位の保全のためにやってるフリをしているだけに見える。私たちは自身のため家族のために、もっと冷静に怒りこの無能力な政府を変えていかなければならない。

 このままではニュースで流れていたインドやミャンマーからの映像が浮かんでくる。コロナの爆発的流行下、家族のために不足する酸素ボンベを得ようと長蛇の列をなし、命のツナの酸素ボンベを奪い合う人々の姿・・・。こんな状況がわが国で展開されるかもしれないと想像するのは、果たして杞憂だろうか。政府の無能力さを考えれば、それほど楽観的にはなれないのだ。

それでも五輪は強行される(82)
2021年7月

 七月に入っていつの間にか東京五輪が開催されるのが既定路線になっている。五輪開催の意義について「コロナに打ち勝った証」という白々しいこと以外は、この国のリーダーの口からは出たことがない。メディアはただ無観客にするかどうかを注目するようになっている。そしてアスリートの美談物語をNHKは流し続ける。

 五輪中止を主張する論者の幾人かは「インパール作戦に似ている」と批判している。食料も銃弾もなく、ただぬかるみを進軍して十数万もの日本兵が無意味に犠牲となったという「史上最悪の作戦」。だが私が一番納得できたのは、登山家・野口健氏が評した言葉だ。野口氏はこのコロナ状況で開催に突入していく政府の姿勢を「登山でいうと遭難にいたるパターンだ」と指摘している。これは的を得ている。冷静な頭で考えれば引き返すべきなのに、何か裏の事情がある時には目が曇って冷静さを失い、危険へと突入していく。

 五輪の場合、この事情はぼったくり男爵や竹中某率いる人員派遣会社はじめとする莫大な利権へのおもんぱかりなのだろうか。しかし、これと引き替えにされるは、国民の生命リスクなのだ。政府と蜜月だった専門家でさえ、コロナ流行第五波の可能性を危惧している。

 政府が奨励してきたコロナワクチンの接種も、高齢者がようやく山を超え、それ以下の年齢に拡大しようとしたとたんに、ワクチンの品切れだと急ブレーキ。無理をして予約を受け付けた医療機関は、はしごをはずされた形になって医療現場は大混乱という。文字通りの玉切れ状態。やはり五輪開催は「インパール作戦」に似ている。

 もしこの五輪が無事に終わって第五波もこなかったとしても、この政権が国民の生命をコロナのリスクに曝(さら)した、という事実は残る。この政府を存続させるかどうかは、秋の選挙がカギとなる・・・。

植物園ロス(81)
2021年6月

 京都では、四月下旬からコロナの緊急事態宣言が出て、府立植物園は一月余り休園になってしまっていた。六月になり久しぶりに再開した植物園にやってきて、自分が植物園ロスになっていたことを改めて認識した。

 この十年ほど、私は週に一二度は植物園を散歩するのが習慣となっている。カメラを持って出ると心の目がオンの状態になり心地よい緊張感もある。植物園を一回りするだけでもだいぶハードな散歩になるので、運動不足解消にもなった。この五月、毎年楽しみにしていたシャクヤク園の華やかさは完全に見そびれたが、六月の植物園は緑に包まれ生き返った心地がする。バラ園はまだ美しく咲いて、アジサイの美しい季節になっている。つくづくコロナは罪深い。

 ところが最近、この植物園をエンターテインメント中心に作り替えるという計画が明らかになっている。バックヤードを縮小し集客できる施設を作るというもののようだ。植物園は、緑深い自然が似合う。ありふれた集客施設はいらない。このような植物園改悪への反対運動が起こっている。オンリーワンの存在、貴重な街の中の自然と学術的価値を守るべく、みなさんもぜひ署名運動にご賛同をお願いしたい。

ネット請願のチェンジ・オルグのページで、京都府立植物園を検索していただくか、QRコードをスマホで読み込んでください。
http://chng.it/wcpGyDV7

現代の『二十四の瞳』(80)
2021年5月

 今年の子供の日は関西では緊急事態宣言下だったが、京都新聞のコラムに『二十四の瞳』が話題に上った。我々には懐かしい物語だ。
昭和前半の戦争に突入する時期から敗戦直後を舞台にして、子供たちの置かれた貧困などの困難を教師との交流を通して描いているが、それでも希望が描きこまれていたと思う。
私たち昭和期に青春を過ごした世代は、子供の頃にこの映画を見せられて、もうこんな貧しさは克服されてしまっているか、みんなが中流になって貧しさからは解放される、社会はだんだん良くなるもの、と何となく思っていたものだ。

 ところで近頃、ヤングケアラーという言葉があるという。何か今風の言葉だがその内実は家事や介護に追われて学業に支障が出る若者のことのようだ。
このヤングケアラーの実態を国が調べたところ、中学生では五%超に上り、平均一日四時間、兄弟や祖父母の世話をして勉強や睡眠の時間が削られる、進路に影響したと答えた高校生も少なくないと。何のことはない、『二十四の瞳』に登場してくる貧困な子供たちにそっくりの状況だ。何と日本という国は、七十年も昔の時代に立ち戻ってしまっている、と言えるのではないか。しかも物語のような希望は見えない。コロナの災厄もどこまで続くか不明だ。その上、この災厄につけ込み憲法を改悪して戦争のできる国にしようという動きすらある。

 そんなことを考えていると、昨年度コロナ禍の補正予算のうち、三十兆円がいまだに使われないままになっていることが明かになっている。緊縮に加えコロナ禍でこれほど国民が生活に困窮して自殺者も増えているのに、それを救わずそのために決定された予算を使わぬまま放置している無為・無策の菅政権にはつくづく腹が立つ。今年秋までには必ずある総選挙に、この無能で反国民的な政権と与党にノーを突きつけ、国民のための施策を実行する新たな政府に取り替えることがわれわれ国民の急務だと心底思う。

国民を貧しくするこの国の仕組み@(79)
2021年4月

 この国では、一般の国民を貧しくする仕組みがいくつも仕掛けられている。その一つは消費税だ。消費税を喜ぶ人は誰もいないだろうが、我々は慣れ切ってしまっていないか。

 いうまでもなく我々が消費すると必ず払わなければならない。これは消費に対する罰則に他ならず、ものの売れないこのデフレの時期に消費に大ブレーキをかける。しかも消費税は貧しいものほど重くのしかかる残酷なもの。しかも現実には福祉のためでなく法人税軽減の補填の役割をしている。だがこれに加えて、実は非正規雇用が急増し、どれほど望んでも正規雇用が困難な原因は、この消費税のせいでもある。だがこのことは一般に知られていない。

 企業の立場からすると正規雇用の人件費には社会保険料の負担が必ず付き(これは人を雇うと罰金がつくということ)、これに利益を足したものに消費税がかかるが、非正規や外注にすると、これには消費税はかからないし社会保険料の負担もなくなる。つまりどんな企業でも正規社員は削らないといけない。企業はどんな良心があろうと民主的と言われる会社でも、経営のため従業員は極力非正規にする圧力になる。これは今の制度下で経営には必須になっている。

 この結果、この国の国民の多くは不安定な身分の非正規雇用から抜け出せず、若い世代は結婚できず子供をもてず、貧困化から抜け出せない。そして労働力の流動化をいっそう促進する。この大きな原因が消費税なのだ。

 給与を上げて国民の生活を豊かにするためには、消費税を廃止して社会保険料を減免するように制度を変える、そのような政策が必要なのだ。これは現在の政府では望むべくもない。今年予定される政権選択選挙では、ぜひこの点を考えよう。

お金って何だろう(78)
2021年3月

 昨今の世の中、不審なことばかりがまかり通るので経済の本を読んでいたら「お金ってなんだろう」と頭の中が疑問符?でいっぱいになってしまった。

 ある人は「お金は、金や銀といったモノではなく、債務と債権の記録なのだ」という。そういえば今の貨幣は兌換ではない。南の島の巨大な石のお金は、それが動かされるわけでなく所有者が移り変わるだけらしい。お金は国が発行するが、その国の政府の裁量である限度内でお金を発行できる。かつて消費税増税が叫ばれたころ「消費税は福祉の財源」と盛んに言われた。今ではそんなことはないことは明かになっている。

 政府の意思があれば福祉の予算は十分出せるし、新しい貨幣発行をしてもそれは可能だ。よく言われるような次の世代への負担の先送りというようなことは全くないともいう。日本政府の財政赤字が増えると、反対側で国民の黒字が増えることになる!というのが本当のようだ。

 政府が施策のためにお金を支出すると、それは日銀(政府)の負債ということになる。だがこれは政府の負債であって国民の借金とはちがう。ましてや国民一人一人が何百万もの借金を抱えているという主張(これはよく池上彰氏がテレビで言っている)は真っ赤な嘘ということになる。「国の借金で破綻する」という主張の破綻。個人と違って政府は永続的に存在をするのだ。このような嘘がまかり通るのはそのことによって大儲けできる者たちがいるからなのだそうだ。

 コロナでこれだけ国民が苦しんでいるときに、まるで国民を守ろうとせず、国民のためのお金を出し惜しみして、株価をつり上げるために莫大なお金を使い続ける自公政府は、ほんとうにもういらない。

 お金を発行できる政府の財政と、そんなことのできない家計や自治体の財政とは全く別物で、違った原理で動いている。そこをわざと混同させる議論にだまされてはいけない。だます側はきっと、コロナ後にコロナ関連税や消費増税を言い出すことだろう。このことを覚えておこう。

二度目の特別定額給付金の一律支給を!(77)
2021年 2月

 新型コロナ特措法が国会を通過して施行される。感染して入院を拒んだ者に罰則を科す内容という。だが待てよ。新型コロナに感染をして入院やホテル滞在隔離などを希望しても、自宅療養(これは正確でない。ほとんど自宅放置)せざるを得ない人がどれほど多くいるだろう。一年前感染が広がっていた中国の春節に中国人観光客を大量に招き入れ、この一年間医療体制の拡充や対策、経済的な支援を怠ってきた政府の責任はどうなのだ。これが追及されない不条理は許されない。

 雀の涙の補助金と中途半端な自粛要請でダラダラといつまでも新型コロナを収束できない現状は政府の不作為と、感染を広めるゴーツー政策などによる人災といえる。マスクも不要な生活ができるニュージーランドの例を見ればこれは明か。我々は今、自分が感染しないように極力自衛をすることが第一。ただそのため、生活を維持するための補助金が必要だ。

 我々にできるのは、十月までには行われる次の総選挙で、必ずこの無能で腐敗した自公政権にNOを突きつけること。しかしそれまで待つわけにはいかない。

今、ネットの請願キャンペーンサイトで「二度目の特別定額給付金の一律支給を求めます」という署名運動が行われており、これに賛同・署名をして広めてはどうだろう。この請願サイトは大勢の人の力を集める力を持っている。すでに八万人ほどの賛同が集まっている。これに署名して二度目の特別定額給付金を実現しようではないか。ネット検索で「チェンジオルグ」のページ。そこで「二度目の特別定額給付金」で検索すると、このページに行ける。
ノンシャラン(76)
2021年1月

生在陽間有散場     なんでもおしまいはあるもの

死帰地府也何妨    あの世にいくのも世のさだめ

陽間地府倶相似       いきるも死ぬも相似形

只当漂流在異郷  ただよそ者としてただようばかり
これは、中国・明の時代に蘇州で活躍した書画家・文人、唐寅(とういん)の辞世の作。彼は生涯官途には就かず(就けず)在野で活躍をしました。時は比較的平穏な世界で、経済的文化的に繁栄をしていた蘇州を舞台に活躍しました。在野の「市隠」として人生をエンジョイし、優れた書画作品を残しました。盟友の文徴明ともに昨年、生誕五百五十年であったといいます。これはその唐寅の辞世の詩なのです。

肩の力の抜けたノンシャランな雰囲気はうらやましいかぎり。個人的にはこれを目標にしたいと思います。

付記:ノンシャランというフランス語にはのんき、風来坊、無頓着、怠惰などの意味があるが、冷静な批判力も含意されるといいます。

高齢者が菅政権に殺される、ということ(75)
2020年12月

 新型コロナ感染の第三波により、各地で医療崩壊が差し迫った状況になっても、菅政権は狂ったように「ゴーツートラベル」を止めようとしない。それどころか延長を決めたという。スガ曰く「旅行者がコロナ感染を拡大したというエビデンスはない」と。科学的な常識からすれば、人の移動を奨励するこの「ゴーツー」が感染拡大に寄与することは明らかである。医療界からもこの政策を中止せよとの声が大きくなっている。

 そもそも新型コロナ感染者の死亡率は高齢者に圧倒的に多い。高齢者は医療費もかさむし年金も支払いがある。仕事はしないで生産性がないから殺してしまえと政権は考えている。こういう推測は非常に合理性をもっている。そしてこの政策がスガ内閣の目玉政策なのだ。

 しかもこのゴーツーには莫大な利権が絡んでいる。自民・二階が旅行業協会の会長、使用するITシステムはスガ友企業、そして主に潤うのが大手の旅行代理店にホテル。そもそもトラベルできるのが経済的に余裕のある国民に限られる。医療や介護関係者やその他のエッセンシャルワーカーはほとんど恩恵をうけない。これだけの大規模な予算を使うならば、もっと補助金を国民に届けるべきだ。

 政府はこの半年間に感染拡大に備えた医療体制の拡充もろくろく図ってこなかった。PCR検査の施行率も世界で一五十位ほどという世界最低レベルという。日本政府はアベにせよスガにせよ、まともに国民の命を守ろうとしていないことは明らかだ。

 「高齢者が菅政権に殺される」と言うのは冗談ではない。日に日に現実味を帯びてくる。

東京夢華録、あるいは歴史は繰り返すか(74)
2020年11月

 かねがね読みたかった本を、このほど秋空の下、百万遍の古本市で見つけてゲットした。東京(とうけい)夢華録。

著者・孟元老が生まれ育った中国・北宋の首都(現在の開封市。東京(とうけい)とも呼ばれた)の繁栄ぶりを、後年、老年になった著者が思い出として詳細に書き綴った。

執筆当時には、舞台である北宋はすで他民族に占領され亡び、この世から姿を消しており、著者は南宋へ逃げのびていた。当然その間には、首都の陥落や大殺戮などがあった。そのことが、記述をより切ないものにしている。

 その序文を読んでいてドキッとさせられた。

「太平の日は久しく、人も物も盛りを極めていた。稚児まげの童は、ひたすら歌舞を稽古し、ごま白髪の翁は、戦争の経験もなかった」とある。

この状況、我々はどこかの国で見ていないか?「戦争を知らない子供たち」だった我らはすでにごま白髪の翁だ。また現代の若者たちは歌舞の稽古に余念がない。

それから三十年ばかり後、故国は他国に占領されて亡び、そして当時の若者の一人が東京(とうきょう)の生活の思い出を書き綴るだろうか・・・。

 さて、歴史は繰り返さないものだろうか?

菅政権の正体(73)
2020年10月

 ウソとゴマカシの安倍氏がようやく退いてスガ政権にとって変わったが、これ、アベ政権のすべての政策を受け継ぐと初めから宣言をしている。

内閣支持率が三十%から七十%に跳ね上がったのには驚いた。無理もない。マスコミはニュースで我々が直接関与できない自民党の総裁選を毎日流し続け、首相決定後は「苦労人」だの「パンケーキ好き」だのといった情報をタダで宣伝し続けたものだ。

 スガという人物は笑顔の似合わぬ不気味な風貌からも想像できるように、非常に危険な人物だ。アベ政権でNHKや民放に圧力をかけてまっとうな政権批判をするキャスターを引きずり降ろしてきたのが正にスガ氏だという。

 内閣人事局で幹部官僚の人事を支配し、忖度官僚ばかりを重用し、批判する者を左遷しているのも彼だ。その政策も中小企業を潰して淘汰させ、大企業や海外企業に利便を与えるといった国民を貧困化させる内容のもの。

 そしてまた、政府から独立した立場で政策提言をする「日本学術会議」が、新会員として推薦した候補者のうち六人をスガ首相が任命拒否をした。六人は安保法制、特定秘密保護法、辺野古などで政府に異論を表明していた学者。

 法的に任命権者は首相にはなっているが、これまで推薦された人物が拒否をされたことはこれまでなかった。マスコミだけでなく自由であるべき学問の世界に圧力をかけるスガ内閣の本性は、戦前の思想弾圧を思わせる。

 政権の標語「自助・共助・公助」が、本来政府が行うべき「公助」を最後に掲げるのは、政府の役割を放棄すると宣言しているのに等しい。この人物、安倍氏とともにこの地位に最も相応しくないといってよい。

安倍政治をいつまでも許さない(72)
2020年9月

 安倍首相が突然の引退表明をした。国民の生活のためには慶賀の至りだと考えるが、ただ許されざる安倍政治の中心的な推進役で疑惑と報道圧力の源、ナチスのゲッペルスにも擬せられるという菅氏が後継になりそうだ。そんなニュースが流されている。

安倍政治の「負の遺産」の一部を、記憶にとどめるために一覧にしておこう。

●戦争法強行採決、公文書改ざん・破棄。NHKなどメディア介入・恫喝による政権批判圧殺。統計不正。モリカケなど数々の不正疑惑のもみ消し。コロナ禍で国会を開かず逃げまくる。

●二度の消費税増税で日本をデフレ国家へ。公共投資、科学技術予算、教育支出、診療報酬、介護報酬などの抑制と削減。公共病院統廃合と病床の削減。国民の社会保障負担の引き上げなど緊縮政策。

●IR法(カジノ解禁)。法人税減税。派遣拡大・残業代ゼロ制度。混合診療拡大。水道民営化。非正規公務員割合の拡大。農薬グリホサートの安全基準(百倍)引き上げ。種子法廃止(種苗法改定法案も)。漁業法改定。

●TPP、日米FTA、日欧EPAなどの自由貿易協定。移民受け入れ拡大。国家戦略特区にてグローバリズム政策を実行。

●北方領土返還不可能化、拉致問題成果なし。対米従属・朝貢外交の継続。などなど。

 書き連ねていくと目がくらむ。これらどれもこれも我ら国民を貧困へと陥れ生活を破壊し、わが国の民主制の形を壊す負の遺産に他ならない。安倍政治を継続するとして次の首相と持ち上げられる菅氏のうすら笑いをТVで見るたびに、吐き気がする。

 これらの負の遺産を、我々は少なくとも自覚をして、自分たちを守るまともな政府を作っていくことが必要だと、つくづく思う。(本年一月号、第一五六号の「安倍政権の正体・見取り図」の記事もご参考に)

高齢者を殺す政府のコロナ無策の罪(71)
2020年8月

 新型コロナ感染に対する政府対応があまりにひどい。七月末現在で、感染拡大の勢いは留まることを知らない。にもかかわらず、感染防止のカギとなるPCR検査を本気で増やそうとせず、感染を地方に拡大するGoToトラベルキャンペーンも中止せず、野党が要求する臨時国会の招集も拒否し、安倍首相はトップとしての責任から逃げ続けている。政府は感染拡大に無関心、ないし放置をしているとしか言いようがない。

 スウェーデンは集団免疫を獲得するために、故意にコロナ感染を防止せず経済を動かし続けたことで有名だ。この国はどうなったか。死亡率は世界でトップレベルに高い。死者の九割が七十歳以上だが、集中治療室に入った患者は、七十才以上は約二十%、八十才以上は三、四%しかいなかった。
 つまり高齢者の多くは、集中治療室に運ばれずに死亡したという。これは医療崩壊を防ぐために「高齢患者をむやみに病院に連れて行かない」とのガイドラインがあったからだと言われる。スウェーデン政府は「高齢者(と基礎疾患保有者)を見捨てる」政策を行った。つまり「命の選別」を行ったわけだ。
 「他の北欧諸国の十倍の人が死に、経済的利益もない。まったくの惨劇。集団免疫には五万人の死者が必要だろう。これはあまりにむごい実験だ」と批判されている。日本もこのままに無策な状態が続けば、スウェーデンと同様に「あまりにむごい実験」となってしまうだろう。

 それに比べ、流行の初期から徹底的にPCR検査を行い、補償を伴う休業など規制を強めたニュージーランドや台湾は、現在では流行を完全に食い止め、経済を立て直し、日常を取り戻しているという。すでにニュージーランド並みにはいかないが、日本をスウェーデンにしてはならない。

消費税をめぐるあれやこれ(70)
2020年7月

「えっ、ウソ、千兆円の国の借金、ないの? えっ、貧乏人をだましているだけなの?
えっ、有識者もメディアもグルなの?IMFのプライマーバランス黒字化目標もウソなの? 何、このホラー。」

◆最近ネットの若者に人気なのが、お笑い芸人としてしばらく前に人気を博していたアッちゃんこと中田敦彦の「YOUTUBE大学」だという。実際見てみると、実に多様なテーマをコンパクトに解説して、話術もうまくテンポよく進む。何よりアッちゃんの簡潔にまとめる力がすごい。その中で特に秀逸なのが「消費税増税」についての二回分。

◆TVや大新聞が伝えない消費税の本当の姿をその歴史から解説をして説得力を持っている。曰く★「一千兆円の国の借金問題」が、実は大ウソ。★消費税は社会保障・福祉の財源と政府は言うが、実は法人税の減税の補填にされていただけ、ということ。貧しい人から搾りとって、金持ちを優遇している。★有識者会議の「有識者」というのは政府の仕事をもらっている人々のことで、主要メディアの新聞は政府から軽減税率を適用してもらっている存在。というわけで消費税について批判がましいことを決して言おうとしない、など。

◆このコロナ禍の国民困窮の状況で、政府は百兆円規模の補正予算を組んだと伝えられてはいるが、政府はさっそくコロナ後の増税を計画しているという。また消費税引き下げは絶対にしようとしない、それどころかこの六月末でキャッシュレス還元の終了という、地味に消費税の増税を延期さえもしないで実行している。これにみなさんは気が付かれているだろうか。

◆このネット番組の中でアッちゃんが、自分が消されるのではと、ビビりながら語っていることからして、その闇の深さが想像できる。この動画を見るにはユーチューブのホームページで「中田敦彦 消費税」で検索すると出てくる。この動画のネタ本は、『こんなに危ない消費増税』(ビジネス社)というマンガだ。このマンガも直接読まれることを強くおすすめする。マンガとはいいながら正確な分析で説得力がある。一人ひとりが考える貴重な資料を与えている。

コロナにも巣くうハゲタカ(69)
2020年6月

  「国民皆がコロナで苦しんでいる一方、それで巧妙に金儲けをする、総理の権力の私物化の弟子達が大勢いるということを忘れてはならない。」(小沢一郎) 「ハゲタカの仕組みが見えてきた。苦しい中小企業を助ける筈の給付金事業は実体の見えない組織に委託され、二十億円ついばまれてから広告大手に再委託された。そこにハゲタカの巣があった。そして大半の仕事はさらに外注されたのだ。必要な中小企業に行く前についばまれ、遅れる仕組みだ。」(鳩山由紀夫)

 二人の大物政治家がツイートするのは、新型コロナウイルスで売り上げが減少した中小企業などに給付する持続化給付金の問題。政府が委託した先が、電通やパソナなど作った「幽霊法人」。そこに七六九億円超えを受注。その幽霊法人が二十億を中抜きして、それを再び電通に委託する・・・。

 この背後には、超有名な黒幕の暗躍が噂されている。ここにも名の出る「パソナ」の会長・竹中平蔵。この人物、政府に入り込み派遣労働の法制化を誘導し自分の派遣会社を大儲けさせ、労働者の多くを非正規にして貧困化させた原因を作ったことですでに高名だ。新型コロナで経済的にもっとも深刻な影響を受けているのがこの派遣労働者なのは明らか。救済制度の資金から巧妙に金儲けをするハゲタカ的存在の正体の一つが、他でもないこの人ではないか、という。

 コロナ感染症という脅威に、国民の命と生活が危機に瀕しているこんな時にまで、利権構造がせっせと作られる。そういえば東日本大震災の後にも似たようなことがあり、そのツケを我々国民は背負わされているのだが、それは知らされない。我々はコロナには正しく恐れ、不正には正しく怒ることが必要だ。

火事場泥棒の政府をもつ我ら(68)
2020年5月

 布マスク二枚でさえよごれ・不潔という不具合があり、まだほとんどの国民には届いていない。さすがの安倍政権も国民の大きな声に押されて一律十万円の支給を決定した。しかしこれもいつになるか、まだ見当がつかない。これほどの無能さをさらけ出してしまった安倍政権。それでもわが国民からの非難の声は、NHKの政権援護の効果なのか、さほど大きくはなっていないように見える。

 だが一律十万円の支援だけでは、あまりに少ない。生活保障のためには、毎月十万円でも多すぎることはない。先進諸外国に比較して、国民支援の政府の財政支出は一桁低い。百兆円規模が相当だ。一律給付が不公平との議論には、富裕層にはのちに所得税の一部として徴収すればよい。とにかくすばやい対応が必要なのだ。もっと声を上げよう。地元の議員事務所に電話で訴えるのも有効という。

 そしてコロナの後には、必ずデフレと恐慌がやってくる。その対策としても政府の百兆円規模の財政支出は正解なのだ。日本はそれができる状況にあり、しないのはただ政権が国民を救うという政治決断をしないというだけ、なのだ。

 実際、この間のドタバタを見ていると、こんな国家存亡の危機に、政権中枢はアベ友に利権を与えるのに汲々としている。

 そして、緊急事態条項を憲法に書き込むとか、政権を捕らえる心配のない人物を検事総長にするための検察庁法改悪法案、それに種苗法改悪法案と国家戦略特区改悪法案であるスーパーシティ法案など、が国会に提出されている。これこそ三月号に書いたショックドクトリン、まさに火事場泥棒そのものだ。

布マスク二枚のこと(67)
2020年4月

 新型コロナ感染防止のために安倍政権が出してきたのが家庭に二枚の布マスク配布、というのでずっこけた人が多かったのではないだろうか。サザエさん一家が男三人、女三人と猫のタマで、一枚の布マスクを重なり合ってしているマンガは海外のニュースでも取り上げられて有名になっているようだ。

 ここには、政府の姿勢の本質が明かになっている。つまり「いまの日本政府は国民の命と健康を守ることを本気で考えていない」ということ。マスクの後で、支援策を出しているが、これも自己申請や所得の減少などにやたら高いハードルを課すものばかり。安倍政権は国民の命や生活のためには、何としても金を出すまい、と固く決意をしているように見える。

 NHKの特番「感染爆発」で京大・山中伸弥教授が語ったことが強烈に印象に残った。英国で飲食店を営む友人の話。休業で最初は不安だったが、政府から三百万円振り込まれ、従業員の給与も八割補償、法人税も一年間免除ということで「税金を払ってきてよかった」と話していた、と。これこそが本来、政府がなすべきことであって、これがあって国民は安心して自宅で休んで感染を避けるができるのだ。

 なお布マスクには尾ひれがついて、これが発注されるのは山口県の業者であるとか。また発表後二三日は布マスクをしていた安倍氏は、また不織布のマスクに戻ったという。

 刻一刻と超巨大台風がわが国に接近をしているが、政府は国民を守らず、我々はできることがほとんどないままに、超巨大台風に呑み込まれるのを待っているのみ・・・

ショックドクトリンを記憶しよう (66)
2020年3月

 新型コロナウィルス感染については問題が多すぎるので、ここではその裏で同時進行をする問題について取りあげる。社会を揺るがす事件や災害などに人々の目が奪われている混乱に紛れて、ないしその裏でひっそりと、権力がとんでもないことを推し進める政治手法が「ショックドクトリン」というものだ。

 最も有名なものは、九・一一の後に、ありもしない核兵器の存在を名目にして、見る間にイラク戦争へと突き進んでいった米国の例がある。小さな例では有名人の違法薬物使用が派手に報道される裏に、政権中枢の不正やスキャンダルがひっそり伝えられる、ないしは隠される。

 今回の新型コロナウィルス感染の「危機」を理由として、政府は「緊急事態宣言」を可能とするような法案を成立させようとしていると報道されている。これは集会、言論、表現、移動の自由など基本的人権を、感染症を名目に制限するものになる。

 警戒すべきは、この中に政権維持のため、民主主義的手続きの抜け穴となる、政府に有利な条項を忍び込ませるだろう、ということ。そもそも「緊急事態条項」は「ナチスの手口」として有名で、自民党の改憲案の中心部分をなしている。

 安倍政権下での改憲は絶望的な状況になってきたので、それに近い内容の緊急事態宣言は安倍政権には願ったり叶ったりとなるだろう。

 実はこれだけではなく、ほとんど報道されないが種苗法が改悪され、種子の自家採取の禁止、遺伝子組み換え食品の表示を不可能にするといった、この国の食の安全を米国穀物メジャーのために破壊する事態が進行していることも、知っていただきたい(前衆議院議員の山田正彦氏のブログを参照)。

 我々国民は、このショックドクトリンの語を思い出しつつ、ニュースを注視する必要がある。

死を国土にばら撒く安倍政権(65)
2020年2月

 フクシマ原発事故がアンダーコントロールだと世界中をだましてオリンピックを招致した安倍氏の言うコントロールの内容の一端が明らかになった。安倍政権は除染土を「再利用」と称して、全国にばら撒こうとしているのだ。

 福島県の除染で回収をした汚染土や廃棄物のうち八千ベクレル/キロ以下のものを、全国の道路や鉄道などの盛り土や、公共事業や農地にまで使えるようにする方針をすでに出している。

 このほど安倍政権は、責任の所在も使用基準もあいまいなお粗末な内容の環境省「省令案」に対して意見を募集した(いわゆるパブコメ。これはすでに締め切られた)。
原発事故前の再生利用の基準はセシウムで百ベクレル/キロであったものが、事故後には八十倍の高濃度まで基準自体が緩められてしまっている。

 そもそも、環境汚染を取り除くために除染し集めたものを、また日本全国にばら撒こうとするのは意味がわからない。国民すべてを被爆させて、日本全国を「フクシマ化」する意図があるとしか考えられない愚行だ。

 放射性物質は集中管理をすべきであり、環境の中に拡散すべきではない。このままでは、高濃度の放射性物質を含んだ除染土が、我々住民の知らぬ間に身近かな場所で再利用されて、子どもたちも被爆をしてしまう。日本全国がそんな国土にされてしまう。

 安倍政権は放射能汚染物を計画的に全国に配置して、すべての国民を永続的に被爆させるという、壮大な人体実験を行おうとしている、といえる。
 この汚染土のバラマキを止めて、まともな政策に転換させることを迫っていく必要がある。

 尚、情報についてはNPOエフ・オー・イー・ジャパンのサイトを参照のこと。

死をめぐるあれやこれ(64)
2020年1月

ケン・ローチ「家族を想うとき」を見る

 英国の社会は、よく日本の社会の数年先を走っていると言われている。英国と言えば福祉国家という印象をもつが、現在の英国はその面影はないらしい。

 八十年代のサッチャー政権以来、徹底して新自由主義的な政策が行われて、労働者の権利や福祉が切り捨てられ、国民の間の格差拡大、貧困問題が深刻になっているからだ。

 この映画は、仕事に失敗した主人公が宅配便の配達の職に就こうとするところから始まる。だが就職ではなくフランチャイズという個人事業者としての契約。仕事に使う車は自分で購入するか、バカ高いリースを使う他にない。介護職の妻が使う車を売ってローンで大型のバンを購入。いざ仕事を始めるが様々な困難が待ち受ける。息子が非行で呼び出され仕事を休むと罰金、出来高払いで稼ぎを良くしようと頑張ると一日十数時間の労働になってしまう。疲労困憊、睡眠不足で事故を起こしても穴を開けられない、家族の制止を振りきって仕事に出ようとする。幸せだった家庭も身体も崩壊していく・・・

 日本でもコンビニ店主の例が話題になったが、この個人契約の制度が今後も増加するだろう。使う側にはこれほどうま味のある契約はないからだ。保険を付ける必要もないし事故で責任を取る必要がない。街でよく見る配達のウーバーイーツも、事故も自己責任で何の補償もない労働だ。貧困ビジネスといえる。

 こんなふうに、労働者の権利が次々に奪われて、儲けるのは会社だけという社会に、この国は足を踏み入れてしまっているのだ。英国では、大多数の国民を貧困に陥れる新自由主義的な社会を変えようという運動が強く盛り上がってきている。日本にもぜひ、そのうねりを起こしていきたいものだ。

みんなで知ろう日本の危機
2019年12月
隠蔽とウソにまみれた日米貿易協定

 本年十一月二八日、参院外交防衛委員会で日米貿易協定に関して、参考人質疑が開かれました。そこに招かれた東大教授鈴木宣弘氏の陳述をここに書き起こしました。

安倍政権は日米貿易協定(FTA)の国会での批准、それに続いて明年一月からの発効を目指しています。本日十二月四日には、協定案が参院で採決され通過しました。しかしこの内容の重要部分を安倍政権は国民にひた隠しにして、しかも事実とはちがった情報を振りまいています。さらにメディアは、日本の将来を縛ってしまうこの協定について、まともな報道をしていません。ここに述べられた内容は、他ではなかなか接することのできない貴重な内容と思いますので、ぜひお読みいただきたいと思います。尚この参考人質疑も与党側にとっては、やったというアリバイ作りに見えてしまいます。しかしともかくも、ここに掲げるものは、この将来のこの国を縛ることになる日米貿易協定の酷さの一端を明らかにしてくれる内容なのです。

鈴木宣弘氏陳述

「日米貿易協定の虚実」というペーパーに基づいてお話させて頂きます。
本協定を巡る議論には、私によれば事実と異なる点があると思われますので、その点から述べる。

◆自動車関税の撤廃を、米国は約束していない
まず一つ大きな点は、米国が自動車関税の撤廃を約束したという点。
政府はそのように言い、説明をして署名をした。しかしその後に開示された米側の合意内容(英文だけ出ている)には、今後交渉を続けるとしか書いていない。この英文が関税撤廃を約束したと読めるというのであれば、私にはまったく理解に苦しむ。米側も自動車の関税撤廃は約束していないと、交渉トップがコメントしていますし、影響試算についても日本が自動車の関税撤廃を見込んで試算をしているのは、理解できない、というふうに米側は指摘している。

◆史上最悪の国際法違反協定である
 ではなぜ、ない約束をあることにしなければならないのか。それは約束があることにしないと、米側の貿易額の九十二%を含む協定であると言っているのが、自動車の部分が四割くらい抜ければ、五割少しに落ち込んでしまう。これは過去に例を見ない、前代未聞の国際法違反の協定になります。この点だけでも国会批准は難しくなります。我々は差別的なつまみ食い協定の横行が第二次世界大戦まで行ってしまったという反省から、戦後ガットのルールで二国間の協定を行うときは、九十%以上を含めなければいけないというルールをみんなで一生懸命守ってきた。その結果二百くらいある協定の中で、八十五%のカバー率を下回る協定はほとんど無い状態になっております。
そういう中で日米二国のこの大きな経済圏が五十数%の協定を発効するとなりましたら、これは世界の貿易秩序に対する大きな挑戦であります。前代未聞の犯罪行為と言える、戦後の世界の努力を無に帰すような事態が生じるわけですので、その点をどう考えるのか、非常に大きな問題です。

◆牛肉輸入
 それから個別の品目で言いますと、米国から日本への牛肉輸入については、TPP合意に留められたという議論がありますが、日本は牛肉についての輸入枠、低関税が適用される限度(セーフガード)数量というものを米国の分も含めてTPPイレブンで十一ヶ国に差し出しました。六一万トンです。それには米国の分が入っていたのです。これに加えて米国と二国で、まだ二四万トンを加えてしまったわけです。ですからこれは既にTPP超えです。しかも米国の二四万トンについては、それを超えて米国が日本に牛肉持ってきたら、十日間以内に協議を開始して米国の枠を増やしていくということを、サイドレターで決めていることが後で明かになりました。これは結果的には米国の枠をどんどん増やして九%(の関税)で米国はどんどん日本に輸出できるということでありまして、ガードには全くならないということです。これは大変な事態を招くことになります。
 日本からの米国への牛肉輸出に関しては低関税枠が、米国が日本に対しては何十万トンなのに、日本からはわずか二百トンしか低関税枠がございません。それが最低六万トンといいますが、それは他の国も含めてのことですから、二百トンを少し超えても低関税でいいよというぐらいの約束にしかみえません。
 ところがTPP全体のときには、米国はその二百トンの枠も拡大して、いずれはなくして、十五年後には完全に撤廃すると日本に約束していたんです。それを完全に反故にされて二百トンが少し増えるだけになったことが日本の政府の成果だというのは、私には理解できません。

 ◆コメと乳製品
 それからコメや乳製品は勝ち取ったといいますが、コメはご案内の通り、カリフォルニアの主産物で、トランプ大統領にとって、どう頑張っても(選挙で)負けるカリフォルニアはむしろいじめたほうがいい、ぐらいの形で対応したと言われています。
 乳製品などの枠はどうかと言いますと、乳製品やその他三十三品目、TPPワイド枠と言って、米国の分も含めてTPPイレブンの国に、すでに譲ってしまっているわけです。
だからTPP水準はそこで日本にとっては実現されてしまっているわけで、米国の分がそこに加われば、もう既にTPP超えになるわけです。それが回避されたからといって、それは米国から見ればTPPマイナスということで、日本から見ればすでに米国の分も含めて、TPPイレブンで実現してしまっているわけですから、その点をよく考えないといけないのではないかと思います。

◆「将来にわたる特恵的な待遇」
 それから奇妙なことに、今回の協定の日本側の約束内容の中に、米国が将来にわたって特恵的な待遇を強く要求するということが書かれております。これは米国の単なる希望的観測ではございません。日本の合意内容にこのことが書かれているということは、大変重要な意味を持つと考えます。そもそも米国が一度日本から得た合意内容をもういらないと言う理由はございません。
すでにコメの団体も酪農の団体も何とかしろと言っているわけです。だからこういうことがこれからすぐに起こるわけです。そして自動車のために農業を差し出したわけではないとか、こういうことはしないというふうに(日本政府は)言っていますが、交渉官がすでに記者会見で、これから自動車の交渉をするにあたっては、まだ日本の農産物はだいぶん余裕があるので、それをカードに使うと本当に言っちゃっているわけです。このことは非常に正直すぎる発言だったなと思います。

◆米国の完全勝利の交渉
農産品の関税撤廃率 日本七二% vs 米国一%
 それから二十五%の自動車関税は発動されないと、本当に約束されたんでしょうか。どこにも書いてありません。むしろ協定本文には、安全保障上の理由で、この規定にかかわらず、本協定の規定にかかわらずやれるんだ、ということが書いてあるわけですから、そのことの意味は大きいと思います。
 逆に言えばこのような安全保障上の規定が入っているのであれば、日本のほうこそ安全保障上の理由で食料の関税障壁はもっと高めるというくらいに、もっと言い返せばいいじゃないですか。そういうことが問題です。
 要は、EUは二十五%の自動車関税で脅されても、それは犯罪行為であるから許さないといって対抗しました。日本はその犯罪行為に対して、いやいやそれは困るから、いろいろ出すからウチだけは許してくれ、という話しになってしまったので、どんどんいろんなものを出さされて、そして中国との関係で余ったトウモロコシまで六百億円分、尻ぬぐいしなさいと言われて、それまで約束してしまった。どんどん犯罪者にお金を払って許しを乞うような形の交渉をやって、そのあげくが、日米二国でさらなる前代未聞の犯罪行為WTO違反協定を、今このまま本当にやるんですか、ということになってきた。
ですから、ウィンウィンだと言いますけれど、どこがウィンウィンなんでしょうか。
農産物だけをとってみても日本側の農産物の関税撤廃率は七十二%になっております。米国側は明治大学の作山先生が書かれていますが、何と農産物の米国側の関税撤廃率は一%です。
このような形で、トランプ大統領にとっては、自動車も勝ち取りました。日本には撤廃しないということを貫きました。農産物もほしいものはもらいました。
まさにトランプ大統領の選挙対策としてウィンウィンなわけでございます。
日本がそれに一生懸命協力しているというのが今の状況ではないでしょうか。

そして試算の表がございますが、我々が政府のGタップモデルというものと同じモデルで再計算をしました。自動車の関税撤廃が行われなかった場合には、日本のGDPの増加率はほぼゼロです。そして日本の自動車の生産額はむしろ八百億円くらい減ります。
そして農産物は最大九千五百億円程度のマイナスが生じます。
数字は正直です。自動車も農産物もすべて失っているわけです。
ですからこのような完敗の、完全に日本側が負けていることが明らかな協定を、前代未聞の国際法違反まで犯して、批准するという事態の深刻さ、誰のために、何のために、これをやらなければならないのか。そのことをよく考えていただきたい。

◆今後の日本の農業と食品安全
そして、こういうことをやっていると、日本の農業が大変なことになります。既にご案内の通り、日本の地域の農業は生産構造脆弱化で、五年十年で集落が無くなるようなところがどんどん増えています。それにこのようなたたみかける自由化をやりましたら何が起こるか。ここに一つの試算がございますが、四頁の黄色の部分をみていただきますと、二千三十五年くらいに、牛肉や豚肉では自給率が一割台になるかもしれない、こういう状況が目の前に来ておるわけでございます。だからこのように農産物の自由化を進めることは、農家の問題ではあるが、消費者にはメリットだと言っていると大変なことになる。
(輸入農産物が)安い安いと言っているうちに、米国の牛肉のエストロゲンは六百倍も入っているとか、成長促進剤のラクトパミン、すべて乳ガンと前立腺癌との関連性が強いと言われています。
それからBSE狂牛病にかかっている牛は米国では十分検査はされていませんが、日本は五月十七日に、米国産牛肉を全面解禁しました。これが日米協定の最初の「成果」でもあります。
それから遺伝子組み換え食品につきましては、米国からの要請を受けて、「遺伝子組み換えでない」という表示を二千二十三年に実質禁止することが決まりました。
ゲノム編集につきましては、十月一日から米国の要請を受けて、完全に野放しにしております。米国の大豆・トウモロコシ・小麦に直接掛けられている除草剤、米国がもっと振りかけなければいけないということで、日本人の安全基準値を、残留が多くなるからもっと高めろ、ということで、これも高めてしまいました。イマザリルとかOPPとか、収穫後農薬、日本では禁止ですが、米国から運んでくるときに掛けなければいけない。食品添加物だということで、むりやりそれを認めてきましたが、米国は「表示をしなければいけないのが、米国に対する不当な差別である」から、これを止めろと、TPPの交渉の時から主張していまして、今の日米協定の中でこれの表示を廃止する議論が行われています。
これだけ見ても、リスク満載です。これを食べ続けることで、我々は安いと言っていると、病気になって早く死ぬことになってしまう。どこが安というのでしょう。
牛丼、豚丼、チーズが安いといっているうちに、どんどん病気が増えて、これではいかん、国産の安全な食品を支えなければならなくなったときに、自給率が一割になっていたら、もう手遅れです。その瀬戸際まで来ている、ということを私たちは考えなきゃいけないのではないか。
国民の命を守り、国土を守るには、どんなときにも安全安心な食料を、安定的に国民に供給すること、それを支える農林水産業の持続が不可欠であります。農は国の基なり、そのためには、自給率をしっかりと維持していく、これが世界の常識です。それがどんどん下がって、三十七%まで下がっても、まだ下がっても構わない、自給率が死語になろうとしているのが、わが国の現状です。
 米国から何兆円もの武器を買うだけが安全保障ではないと思います。食を握られることは、国民の命を握られることであり、国の独立を失うことだと、胆に命じて、まさに真の安全保障の核を担う農林水産業を支える政策を再構築する、このような留めない自由化が本当にいいのか、ということを考えなければいけない。
 食料がなくなってから、変わりにオスプレイを囓ることはできません。

 もう一つ申し上げておきたいのは、今までの経緯を見ていますと、先生方、あるいは霞ヶ関のみなさんが、国会などで発言されたことが、後になって違ってくることがよくあるんですね。そのときに、誰も責任を取らなくてもいいというこのシステムそのものに、私は問題があるのではないかと思います。
《議長 時間です、おまとめください。》
では、一言で。TPPには参加しないと言って参加して、主要五品目は守ると言ってまもらなくて、日米FTAを避けるためにTPPイレブンだと言って、今度は日米FTAになった、と。今回は自動車関税を
《議長 時間がきています》
今回もいろんなことが言われていますが、これが本当になったとき(批准して、現実になったとき)には、どうやって責任をとるんですか。このことについてきちんと責任をとるシステムを作って頂かないと、どんどんその場しのぎの虚偽で、次々と悪い段階に物事が進んでいくという、このことを止めることができません。

 今回のような協定をこのまま承認すれば、特に米国側は議会承認が必要ないわけですよ。
日本だけがこれをやって、世界から非難されることになれば、その責任を取るのは国会議員の先生方です。
《議長 時間です》
以上です。

《注》
●最後の部分、与党の議長がこれほど妨害するとは、よほど言わせたくなかった部分と見えます。鈴木教授が最後に指摘された、国益に反し国民を欺いて協定を結ぶなど、国民がその後に莫大な被害を被る外交などを、政権が行った場合の「責任をとらせるシステム」というものを構築していくことは、重要な指摘だと思います。

この「日米貿易協定」のウソを暴く貴重な陳述は、ネットで
「参議院のホームページ」から「インターネット審議中継」、「外交防衛委員会」をたどって行き、十一月二八日のボタンをクリックすると見られます。尚画面の下に発言者の名前の一覧があり、鈴木宣弘を選択すると、今回の内容の発言部分が確かめられます。また内田聖子氏の陳述、また井上哲士議員と伊波洋一議員の質問と回答も聞く価値があります。
また、十二月四日参議院総会の審議中継から、井上哲士議員の反対討論もぜひご覧ください。

●防カビ剤イマザリルとOPPとは、レモン・オレンジ・グレープフルーツなど柑橘類とバナナにポストハーベストとして散布されている。各種の癌の発生と関連があると言われているが、わが国では不当にも「食品添加物」のくくりにいれられている。

彼は昔の彼ならず(63) 2019年12月

 昭和の子供の頃、幸せな家庭の大晦日は家族そろって紅白歌合戦を見ながら、年越ソバを食べることだった。また毎日の夕餉にはNHKの七時のニュースも流れていた。国民放送は、このように我々の幸福の記憶と結びついていた。ときには民主主義を教えたりもした。

 ところが今はどうだ。「桜を見る会」の不正で、公職選挙法違反がほぼ確定的であるような最高権力者を十分批判せず、子供の言い訳にも劣る言い逃れをニュースで流し続け、御用解説者にくどくどしい弁護させる。

 NHKはかくも、大人の幸福の記憶に根ざした信用を巧みに利用して、国民の目を欺き、逸らせ続ける。
(もっともNHKニュースも時に揺らぐことがある。まだ良心をもつ担当者がいるからだろうが、この灯は今にも消えそうだ)

 今ここで、ウソとごまかしにまみれた政権を倒さなければ、この国の戦争の暗い歴史は繰り返えされることになるだろう。すでにNHKは一度、国民を戦争に駆り立てた黒い歴史をもつ。今すでに、NHKがこの犯罪者(みたいな)政権の最大の維持装置になっていることに、我々は思いを致す必要がある。

 この国の大人は、NHKを頭から信用することをやめねばならない。

彼は昔の彼ならず。

食の安全・三題噺 (62) 2019年11月
−−除草剤・遺伝子組み換え・種子法廃止−−

先頃、安倍首相がトランプ大統領に中国が輸入しなくなった大量のトウモロコシを日本に輸入することを約束したと報道された。このトウモロコシは遺伝子組み換え作物だろうと考えていたら、我々の食の安全に関係して、次々と心配なことが思い浮かんできた。

その一
最近テレビで除草剤「ラウンドアップ」のCMを見てオヤッと思った。そういえば近くのホームセンターの棚にも大小のこのボトルが並んでいたのを思い出した。ネットで検索してみると著名な通販サイトでも扱っている。

いわく「ご家庭で使える安心な除草剤」の文字が躍っている。そもそもこの除草剤は米国モンサント社(現在はドイツ・バイエル社の子会社となっている)が、ベトナム戦争で撒かれた枯れ葉剤を元に開発したもの。この除草剤には、発ガン性があるとして、米国では一万件以上の訴訟が起こされていると聞いていた。そして今年5月に、米国カリフォルニア州裁判所は米国モンサント社の除草剤「ラウンドアップ」(グリホサート)を使用したことが原因でがんを発症したとしてバイエル社の子会社である米国モンサント社に損害賠償金の支払いを命ずる陪審員評決を下している。

 世界的に見てもオーストリアではこれを使用禁止とし、フランス、ドイツなどをはじめとして、使用禁止や規制強化する動きが欧米やアジアなどの諸国で広がっているという。ところがわが国では、この世界の流れとは全く逆に、2017年に穀物のグリホサートの残留基準値を五倍から百五十倍へと(作物によって異なるが)大幅に緩和をしている。この事実は、日本の主要なメディアはほとんど報道しておらず、国民の多くはこのようなことをあまり知らないままのようだ。

その二
 モンサントのビジネスモデルは、この除草剤の販売にとどまるわけではない。除草剤はその一部なのだ。実は、モンサントはグリホサートに耐性を持つ遺伝子を穀物の種子(ダイズ、トウモロコシ、ナタネ、ワタなど)に組み込んで、広大な農地の除草作業の手間を省くために、あらゆる植物の成長をストップさせ枯らしてしまう強力な除草剤と、その農薬にも枯れずに耐えうる遺伝子組み換えをした作物を作りだして世界中に販売をして莫大な利益を上げているのだ。

 農家にとっては、グリホサートを大量に撒けば、その畑から雑草は生えず、生えてくるのは目的の穀物だけということになり、除草の手間が省け大量生産が可能になる。一方でモンサントは、農家が自家で生産した種子を翌年にまた撒いて栽培することを禁止している(その契約をさせられる)ので、農家は毎年モンサントから穀物種子と除草剤のセットを購入し続けなければならない。
世界の種子市場の7割弱、世界の農薬市場の8割弱が、モンサント、デュポン、シンジェンダなどの遺伝子組み換え多国籍企業六社に支配されているとも言われている。

 このモンサントのビジネスは、特にラテンアメリカやインドなどで広がっているが、アメリカのある医師は二千十年に、アルゼンチンの大豆生産地域の住人を調査し、過去15年でがんの発生率が急増していることを明らかにし、ラテンアメリカで、遺伝子組み換え作物に大量の除草剤を撒いていることの関連を指摘している。アルゼンチンではモンサントによる遺伝子組み換えダイズが大量に生産されている。また、近年にはグリホサートに耐性をもつ雑草が出てきていることも深刻な問題になっている。

その三
わが国では、2017年、安保法の成立と同じ頃に、こっそりと隠れるように(主要農作物)種子法を「廃止」する法案が成立させられた。種子法とは戦後食糧難の時代に、今後再び国民を飢えさせることにないようにするという大きな目的をもって制定されたという。これには「稲・麦・大豆の種子を対象として、都道府県が自ら普及すべき優良品種(奨励品種)を指定し、原種と原原種の生産、種子生産ほ場の指定、種子の審査制度などが規定される」。 つまり国が予算を講じて、自治体が必要と考える作物の種子(原種や優良な品種など)を管理し、「その地域に合った作物の種」の開発・普及を自治体に義務づけている。また農家に安価で優良な種を提供することも、種子法が各自治体に義務付けている。

 このような主旨をもった種子法を巡って、現状特段の大きな不具合があるわけではない。この制度を改善する点はあるにしても、少なくとも「廃止」するほど重大な問題があるわけではない。あるとすれば、種子法が「遺伝子組み換え作物」の栽培としての普及を妨げ、モンサントのような遺伝子組み換え種子と農薬・除草剤を手広く販売するグローバル企業が日本に本格進出してビジネスをする障壁になっている、ということが考えられるくらいである。

 このような種子法が廃止され、2019年から自治体に予算が付かなくなってしまった。これらの動きを合わせて考えれば、種子法廃止が、将来的にモンサントなどの遺伝子組み換え作物の導入・栽培に道を開く規制緩和になることは簡単に想像できる。また種子をこのような独占的なグローバル企業から購入するとなると、場合によっては価格が従来に比較して十倍にも跳ね上がる可能性もあるという。

それだけでなく、これまでにそれぞれの自治体がこれまで営々と蓄積してきた種子の情報などをハゲタカ企業に公開することまでさせるという。
 種子法の廃止は、このように日本の国民の基礎的食料である米や麦や大豆などの種子を国が守るという政策を放棄してしまうことを意味している。モンサントなど外資系企業を導き入れ、国民の食料の主軸であるイネやダイズなどの種子を支配させてしまう道を開くものになるのだ。

◆安倍政権はこれまですでに、わが国の平和主義や報道や雇用制度などを含む、優れた社会制度や社会インフラを破壊してきた。

 さらには今回取り上げた遺伝子組み換え作物に道を大きく開く種子法廃止。それに水道民営化など…。このまま政権が続くなら、米国の巨大保険会社が日本への本格進出を虎視眈々と目論む、その最大の障壁になっている、我々国民の虎の子の世界でも類をみない優れた健康保険制度も破壊されていくことになるだろう。

 日本社会を、国民の生活を犠牲にして「世界一ビジネスがやりやすい」社会にするのではなく、国民が安心して安全に生活をすることができる社会を作っていく政府を、我々は持つ必要がある。

《参考》
山田正彦「売り渡される食の安全」 (角川新書)が参考になる。その他、山田氏の著作に教えられるところは多い。

死をめぐるあれやこれ(61) 2019年10月
『消費税増税、その後』

 十月になり、とうとう消費税十%への増税が施行された。逆進性が強い、言い換えれば貧しく弱いものからより厳しく取り立てる税が、より厳しくされた。

 そして十月に入り、これまで隠されていた悲惨な統計が立て続けに発表された。八月の景気動向指数が最悪の「悪化」であったこと。同様に八月の実質賃金は前年同月比で0・六%減となり、実に八カ月連続のマイナスを記録した。つまり今年に入ってから下がり続けている。日銀の短観でも九月は六月に比べ悪化しており3四半期連続悪化が続いている。こういった事実を、増税の前には国民に出さず、消費増税が実行されてから出してくるという姑息なやり方は、いかにも安倍政権的だ。

 今後消費増税による消費の冷え込みと、五輪後不況を考慮に入れれば、日本社会はまた深刻なデフレに突入する可能性が高いことがほぼ確定なのだという。日本はすでに、経済大国の座から大きく転落してしまっている。さらに先進国でさえなくなって、発展途上国化しているとさえ言われている。

 それもそのはず、安倍政権の緊縮政策で、農業へも教育へも福祉へも防災へも予算を削減し続けている。日米貿易交渉はウィンウィンと安倍とNHKは宣伝するが、日本農業や畜産の破壊をもたらし、国民の健康を犠牲にする農薬や遺伝子組み換えの規制の緩和をして、米国のグローバル企業の進出の条件を整備している。いわば安倍政権は何から何まで文字通りの売国政策を進めているのだが、メディアを押さえてしまっているので、本当のことは国民に隠されたままなのだ。

 十月に入り立て続けに襲来した甚大な台風被害も、温暖化の影響はあるだろうが、堤防の点検強化など国土の防災政策を怠ってきたことが、大きな要因になっているだろう。

 あらゆる点で、安倍政権は国民の大部分の利益からは敵対する存在なのだ。そんな存在が、憲法を改変しようとしている。改憲の肝は、九条とともに「緊急事態条項」だと考えられる。これは、例えば今回のような台風被害でも、緊急事態宣言をすれば、国会の機能を停止させ、内閣が勝手に立法することが可能になるもの。これはナチスの手法そのものだ。このような改憲を許すことはできない。

死をめぐるあれやこれ(60) 2019年9月号
「消費税は、消費に対する懲罰である」

 十月から消費税が十%に増税される。これほどの悪税も類をみない。庶民から奪い富裕層をさらに富ませる税。二%の増税に過ぎないとの論があるがそれは違う。税率で言えば二/八、二五%の増税なのだ。しかも食料など生活のための必需品にも、この懲罰は科される。消費税増税は人を殺す政策だ。サラリーマンの生活を殺し、年金生活者の生活を殺し、中小の事業者の商売を殺す。

 訳のわからない軽減措置を実施する政府と、それを宣伝して増税自体は批判しない新聞・TVなどメディアは、我々の目をあざむくものだ。新聞メディアが消費増税を批判しないのは、自分の新聞に八%の軽減税率を適用してもらいたいからだし、TVはスポンサーの大企業のものだからだ(NHKニュースもすでにアベ政権の宣伝機関になっている)。

経団連などの大企業は、日本社会をデフレ不況に陥れる消費増税を、なぜ求めるか?

 一つは消費増税と同時に、同規模の法人税減税が必ず行われるから(前回の増税分が福祉に使われたのは十六%に過ぎない)。
また一つには、輸出をする大企業には「輸出もどし税」という大企業優遇の制度がある。これは一般国民には隠されているが、製品を輸出すると消費税分の金額が国から輸出企業に支払われるもの。輸出企業にとっては消費税が高くなれば、このキックバックが高くなる、何もせずとも大企業は濡れ手に粟でカネが転がり込む(この制度によって、トヨタ本社のある豊田市の税務署は常に莫大な赤字だ)。税金はカネのある所から取り、一般国民の生活を守るために使うのがあるべき姿だ。自民アベ政権はこの真逆を行っている。

 先頃の参院選挙で、消費税減税を唱えたのは山本太郎の「れいわ」だけだった。「れいわ」は躍進をした。野党共闘は消費増税には反対をしたが、減税までは踏み込まなかった。安倍政権がこれほど全面的に日本を破壊しているにもかかわらず、思うほど野党共闘が伸びなかったのはこのせいが大きいだろう。野党共闘は次の国政選挙までに学んでほしい。

 庶民が消費税に反対しなければ誰も反対しない、というのが厳しい現実なのだ。今度こそ庶民の力を結集することが必要だ。


死をめぐるあれやこれ(59) 2019年8月号
「参院選の後」

 七月の参院選の結果、改憲与党勢力が三分の二を割って、辛うじて改憲がすぐにはできない状態になったが、状況はなお微妙だ。というのも野党にも改憲派がいて、与党はそれを取り込む目算をしているからだ。油断はならない。

 この選挙で注目をあびたのは山本太郎の「れいわ新選組」だった。選挙前テレビでは全く無視をされていたが、障害者の二名が当選し政党要件を充たしたので、テレビでも取りあげられるようになった。しかしその紹介の仕方は悪意のあるものが多いのが残念だ。参院選後、「れいわ」山本太郎の街頭記者会見というイベントが東京新宿で行われ非常に大勢の人々が集まった(八月一日)。山本太郎が聴衆からの質問に答えながら、見解を述べるものだ。

 「れいわ」の主な政策は @消費税廃止(法人税は累進制導入) A最低賃金千五百円(政府が保証) B奨学金徳政令 C公務員増やす D第一次産業戸別所得補償 E「トンデモ法」の一括見直し・廃止 F辺野古真吉建設中止 G原発即時禁止と、国民良識目線のもので極めてまっとうだと思われる。財源問題は、というギモンには法人税見直しとともに、政府の財政出動をする。「政府の借金はどうするのか」というお決まりの反論には「政府の借金破綻論」はMMTの理論を援用して、心配いらないとする。ユーチューブで「山本太郎 0801」で検索をすると、この二時間あまりの集会の熱気に溢れた動画がみられる。

 なおこの新宿の集会には、共産党の小池晃議員が一聴衆として参加をしていたという。改憲阻止、国民生活を第一にする、真の野党共闘を来る総選挙では後押しし、盛り上げようではないか。

死をめぐるあれやこれ(58) 2019年7月号
「映画『新聞記者』と参院選」

 本格的な政治批判をした映画として話題になった、この映画。主人公は内閣情報調査室に勤務するエリート官僚と、政府に批判的な女性新聞記者。今の日本の「民主主義は形だけ」という主人公の上司のせりふも飛び出す。

 現実に起こった事件を現在進行形でちりばめ、加計学園問題を思わせる大学新設にまつわる巨悪をリークする官僚と、政治圧力に抗してそれを報道する新聞記者の苦悩。

 この映画が参議院選挙の前に封切られたことには大きな拍手を送りたい。松坂桃李というスター俳優が演じる映画にもかかわらず、TVメディアなどが全く伝えない現実にも、大きな闇を感じてしまう。しかしそれにも関わらず、週日午前の映画館には、大勢の観客が詰めかけているのが印象的だ。ぜひこの映画を多くの人に見てもらいたい。

 そして参院選には、ぜひ投票に行きたい。今回の参院選だけでは、安倍内閣を倒すことは困難だけれど、このまま改憲勢力が議席の三分の二を占めるようなことになれば、安倍政権は、間違いなく改憲に乗り出す。改憲は恐らく九条だけではすまない。災害のためとの口実で、緊急事態条項を入れる可能性が高い。これは「緊急事態」と称して、国会の機能を停止し内閣が法律を勝手に作れてしまうもので、かつてナチスが行った手法。この改憲によって、独裁政治への道を開き、戦前の日本へ逆戻りが現実のものとなる。

 民主的な選挙も今回が最後になる可能性さえ考えられるのだ。安倍政権にNOを!

死をめぐるあれやこれ(57) 2019年6月号
「最後の選挙」

 この小文がみなさんの目に止まるのはいつだろう?と考える。

 まず二千十九年の参議院選挙の前に読んでいただけている方に。ぜひ改憲に反対する野党共闘の候補に一票を投じていただきたいと、切に願う。

 この選挙が日本での最後の民主的な手続きを経た選挙になる可能性がある。なぜなら、改憲勢力が三分の二以上の議席を占めたなら、安倍政権は必ず改憲をしてくる。このとき九条の改変はもとより、きっと緊急事態条項を入れてくる。国民投票は圧倒的な金の力による宣伝によって改憲阻止はできないだろう。改憲されれば緊急事態条項(これは災害目的ではなく、ナチスと同様の独裁政治完成のためのもの)により、再びまともな選挙は行われず、国会は無視され政権の思うままの法律が作られ、この国は戦前同様の独裁国家に作り替えられ、若者は戦争に駆り出され、国の政治を批判する者は、弾圧されることになる。

 この小文を読むあなたが、改憲後のこの国に住んでいたなら、おそらく日本は独裁国家への道を進んでいるだろう。だが、まだ残っている民主主義的な制度をとことん活用して、平和憲法を回復するために、生活のあらゆる場面で努力をしてほしい。

 もしこれを読むあなたが、十年以上の未来の人ならば、歴史の過程をもう知っているだろう。その場合にはこんな思いの人が「令和」と名付けられた時代のはじめに多くいて、心から平和を望んでいたことを知ってほしい。

死をめぐるあれやこれ(56) 2019年5月号
「報道されないこと、二つ」

 この十連休中あまり報道されない気になることがあった。一つは五月三日東京で開催された護憲集会。六万五千人もの人が参加して非常に盛り上がった。しかし翌四日の朝刊に写真付きで一面トップに報道したのは、一般新聞では東京新聞だけであったという。NHKなどのTVのニュースでは、無視をするか、伝えてもごく小さな扱いだった。広大な敷地を埋める参加者の迫力ある映像を掲載したのもごく少数の新聞だけ。これだけ大きな国民の運動を正確に伝えないマスコミの荒廃ぶりがひどい。

 第二。四月三十日退位礼正殿の儀で、安倍晋三が読み上げた辞で、「天皇皇后両陛下には、末永くお健やかであらせられますことを願ってやみません」との原稿を、何と「お健やかで…あらせられますことを願っていません」と全く逆の内容を口走ってしまう、ということがあった(首相官邸ホームページでも確認できる)。これは安倍氏が漢字を読めないことから来ているという。ネットでは話題になったがTVや新聞などではほとんど報道されていない。

 こういう人間が首相をして、この国の民主主義を破壊し、富を米国に売り渡し、国民を貧困に陥れ、さらに憲法を変え独裁国家を作ろうとしている。NHKをはじめとするマスコミの多く(個々には良心的な部分はある)が、そのお先棒を担いでいる現状が、限りなく危険で、歯がゆい。七月の国政選挙が、この国の分かれ目になる。

死をめぐるあれやこれ(55) 147号(2019年4月)
「病気になれない」

 この冬に受けた健康診断で糖尿の数値が悪かった。これには自分も反省し、食事を見直し、昔やっていた水泳を再開した。幸い自宅の近くにプールがあるので週に二三回通うことができる。

 小生、団塊の世代の末尾に連なる年代で、いろいろ生活習慣病が気になるところだが、とりわけ遺伝的な要素が大きいと言われる二型糖尿病には警戒が必要だ。親戚筋にこの病気が多いからだ。この合併症は多岐に渡り、腎障害での人工透析、失明、神経障害、心筋梗塞などの血管障害、感染症にかかりやすいなどなど。ちょっと健康本を読んでみると、怖い病気がずらずらと書き連ねてある。これを期にこれまで身についた不摂生からおさらばする試みを、本気でしようと思っている。

 おりもおりこの国の政治は、国民の健康などには無頓着で、高額な墜落する戦闘機はじめとした武器を爆買し防衛費を高騰させ、国民の虎の子の年金を株価つり上げのため海外のハゲタカファンドに差しだし、国民を貧困化し経済をデフレに陥らせる消費税を増税し、製薬や保険のグローバル企業の儲けのために健康保険制度の破壊プロセスを進行中、などという現状を考えれば、これからの自分の健康はできるだけ自分で守らなければいけない。

 さらに「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!」と(あとで引っ込めたが)発言した元アナウンサーの長谷川豊という男が「日本維新の会」の公認で七月の参院選に立候補をするという話しまである。本当にこの国の政治は、堕落しきってきた。
 しかし自分の健康は自分で守るというのは必須だが、それにも限界がある。国民の健康と命を守る政治へと、国の政治を転換させていくことが、真に必要だと感じる。そのためには、この七月の参院選の野党共闘を、ぜひとも実現しなければならない。

死をめぐるあれやこれ(54) 146号(2019年3月)
「NHK政治ニュースは信じられるか?」

 戦後最長の「イザナギ景気」を超えたとNHKも宣伝してきた「好景気」が、統計操作によるものだという疑いが濃厚で、その操作された統計の上でさえ最近三ヶ月下方修正が必要となり、アベノミクスの破綻は誰の目にも明らかになった。

 国民の生活は実質賃金の低下で一層苦しくなっているのに消費税増税へと突き進む安倍政権。これがいつまでも倒れないのはなぜか。理由はいくつもあるだろうがNHKニュースの罪は大きい、とつくづく思う。

●国会ニュースをトップで扱わない。

●国会議論を取り上げても、政権に打撃になる批判は無視する、安倍や菅など政権側の言い訳的な答弁を最後に流す、など巧妙な印象操作を行う

●しばしばどうでもいい話題をトップにして、重大な政治ニュースを後にしてその印象を希薄にする。

●キャスターはほぼ全く政権批判をしない。というのがNHK政治ニュースのやり口だ。

 実際に三月一日の衆院本会議、根本厚労大臣不信任議案の説明演説をする立民・小川淳也議員をただ時間潰しで採決を引き延ばしている印象を与える悪意ある編集をして、小川議員の充実した演説内容を実質伝えぬ形で、ニュースウオッチ9で放送した(この問題について上西充子法政大教授が抗議している。詳しくはネット「ハーバービジネスオンライン 小川淳也」で検索)。

 またNHKは森友のスクープを最初に記事にした相沢記者をNHKは記者から外し、結果相沢氏は辞職をした。良心的なドラマやドキュメンタリを作るからといってNHKのニュースが信頼できる訳ではないことを国民は知るべきだ。特に政治ニュースには、視聴者は洗脳されない構えが必要だろう。NHKが安倍政権を支えている。

 参議院で小西議員が安倍氏に「法治主義の対義語は何か」と質問したところ、安倍首相は答えられず話しをそらした。小西議員は「その答えは人治主義」とすかさず述べた。「人治主義」がすぐ「独裁」政治につながることは常識。安倍首相は義務教育でも出てくる基本的な政治用語も知らずに、政治権力を乱用して、この国を破壊し続けている。一刻も早く政治の場から引きずり降ろす必要がある。今年七月の参院選挙はこの絶好のチャンスであり、最後のチャンスになるかもしれない。

死をめぐるあれやこれ(53) 145号(2019年2月)
「学者の顔をした政商」

 東洋大の一人の学生が教授である竹中平蔵氏を批判したビラを配布したということで大学当局から退学処分されるか、というニュースが先頃あった。ビラの内容が注目に値するので紹介をしたい。主な内容は次の通り。

●竹中氏の禍悪、その一つは大規模な規制緩和:二千三年の労働者派遣法の改悪。その後この法律は拡大を重ね、不安定な非正規雇用者が日本中に増大した。「正社員をなくせばいい」「若者には貧しくなる自由がある」といった発言。
●昨年の高度プロフェッショナル制度には「個人的には、結果的に対象が拡大していくことを期待している」など驚くべき思惑を公言。今後更なる拡大が予想され労働者は一層使い捨てにされることになる。
●様々な利権への関与:竹中氏は人材派遣会社のパソナグループの会長を務めている。労働者派遣法の改悪は、自らが会長を務める会社の利権獲得に通じていたからだ。まさに国家の私物化である。
●水道法改正案と入管法改正案についても関与していたことが明るみになっている。更に加計学園との関連も取りざたされており、今後ともこの男の暴走を追及する必要がありそうだ。

 ビラは次のように締めくくられている。
「今こそ変えよう、この大学を、この国を:皆さんは恥ずかしくないですか、こんな男がいる大学に在籍していることが。僕は恥ずかしい。そして、将来自分や友達や自分の子どもが使い捨てにされていくのを見ながら、何も行動を起こさなかったことを悔いる自分が、僕は恥ずかしい。意志ある者たちよ、立ち上がれ!…民主主義は決して難しいものではない。共に考え、議論し、周りに訴えながら、もう一度みんなでこの社会を立て直そう!!」
この若者の立派な文章に感動させられる。

 竹中平蔵という人物について補足すると、その肩書きはパソナの会長の他に、オリックスの社外取締役などいくつもあるが、注目すべきは「日本経済再生本部産業競争力会議」民間議員、「国家戦略特別区域諮問会議」議員といったポスト。これは政府に提言してアベ政権の政策に大きな影響を与える。つまり政府に潜り込み、国民をカモにする政策提起をして実行させ、自分が関わる企業に利益を誘導し、国民を貧困に突き落とすという悪辣な所業を続けている。彼の背後には日本を食い物にしようと狙うハゲタカ・グローバル企業群がいることは明か。このような人物が刑罰に問われないでいるのが、信じられないほど。

なお来年の東京五輪には二十万人が無償ボランティアで働くが、その管理業務を受注したのがこのパソナであり、都や国からパソナに莫大な資金が支払われることになっている、という事実も見逃せない。尚、この学生は退学処分にはならなかったものの大学から退学勧告を受けた、ということだ。

ビラの全文は、ネットで読むことが出来る。「東洋大学生の竹中平蔵氏批判」で検索すると出てくるブロゴスの藤田孝典氏の記事

死をめぐるあれやこれ(52) 144号(2019年1月)
「嘘つきは戦争の始まり」

 年が明けて、複数の新聞に一面広告が出た。「嘘つきは戦争の始まり」と大書された衝撃的なものだ(宝島社)。これには短いテキストが付いていて、イラク戦争・ベトナム戦争・ナチスのポーランド侵攻の例が取りあげられている。

 しかし考えると日中戦争の発端となった満州事変も嘘から始まった。中国に侵攻していた日本軍(関東軍)は鉄道を自ら爆破して、中国軍の仕業だとでっち上げて戦争し、占領して満州国建設。それが国際連盟の調査でバレて批判を受けたが、満州から撤退せず国際連盟を脱退。その後日中戦争から太平洋戦争へ。公共放送NHKは「大本営発表」として連戦連勝の大嘘を流し続けて、国民を戦争に駆りたてる。その結果、玉砕・大空襲・二発の原爆投下・敗戦へと狂気が続く。

 現代の日本一番の「嘘つき」が、安倍首相であることは、多くの人が感じているところ。モリカケから「沖縄に寄り添う」まで。GDPや労働者の労働時間と月収まで自分の都合のいいように統計操作をする政府。そして安倍氏のための宣伝を巧妙に続けるNHKニュース。国際機関・国際捕鯨委員会からの脱退も。

 年表を見ると満州事変が一九三一年。「嘘つきは戦争の始まり」からすると、今の日本は一九三十年代に似ている。このままでは、悲惨な歴史の再現になってしまうのではないか。
 幸い、今年七月には参院選挙がある。ここで安倍政権にNOを突きつけよう。これがラストチャンスかも知れない。ここで安倍政権の跋扈(ばっこ)を許せば、改憲・言論弾圧・戦争への悪夢の歴史を再び繰り返すことになってしまう。

 今年は、良くも悪しくも歴史の節目の年になる。

死をめぐるあれやこれ(51) 143号(2018年12月)
ヴェオリア社と安倍政権は日本を核のゴミ箱にする

 この国会では、国の骨格を変える法案が次々に強行的に採決されています。移民受け入れの入管法に続き、水道民営化も。水道民営化は破綻することが世界中で明らかになっています。しかも水道民営化でもっとも利益を得ると言われる仏ヴェオリア社は、あまり知られていませんが核廃棄物処理の業務も行っています。そのヴェオリア社が三・一一で核廃棄物の取り扱い規制を桁違いに緩和した日本に、欧州など放射能規制の厳しい国で出た低レベル核廃棄物を日本に船で輸送して、一般ゴミとして処理をしようと計画しているという、びっくりすることが明らかになっています。

 しかもこの計画が「日本で違法にならない」という点にも驚かされます。そもそもわが国の規制が不当に緩和されてしまったことが問題なのですが、これを利用してヴェオリア社は日本を世界の核廃棄物のゴミ箱としようとしているといえるのです。(二○一六年四月一六日付け日経新聞で報道済み)日本の水道事業を手中にすれば、ヴェオリア社はこの計画を実行してくるでしょう。

 悪いことには、今年十二月末に発効するTPPのISD条項などで、日本政府の主権が制限され、これを拒否できなくなる可能性すらあります。
止めどなくこの国を破壊し続ける安倍政権は国民の生活の敵であることを多くの国民が認識して、これを倒すことが必要です。来る年がその年となるように、次の参院選挙では、この国の形を破壊し続ける自公維新の与党勢力を打ち負かす運動をしていきましょう。

死をめぐるあれやこれ(50) 142号(2018年11月)
堤未果『日本が売られる』を読む

 堤未果(つつみみか)さんの本によって、これまで私は多くの重大な事実を学びました。彼女の本には、日本のマスメディアがほとんど取りあげない、しかし私たち国民みんなが知るべき事柄が取りあげられています。このほど堤未果さんの新著が出版されました。『日本が売られる』(幻冬舎新書)には二十近くに及ぶ、どれもこれも重大な問題が取りあげられています。 

 主な項目を上げると、●水が売られる:水道民営化●タネが売られる:種子法廃止・農薬規制緩和●食の選択肢が売られる:遺伝子組み換え食品表示消滅●労働者が売られる:高度プロフェッショナル制度●日本人の仕事が売られる:移民五十万人計画●医療が売られる:国保消滅●老後が売られる:介護の投資商品化●個人情報が売られる:マイナンバーが外国企業へ●学校が売られる:公設民営学校解禁、などなど。

 安倍政権が推し進める政策によって、私たちの生活のあらゆる場面で、内外のグローバル企業の利益のために日本が売りに出されて、まさに「日本は出血大サービス中」であることを教えてくれます。そして日本のマスコミの多くはこのような事実を国民に伝えず、口を閉ざしたままなのです。

 この本の一節に「アメリカにゲームを仕掛けられる前のアルゼンチンは食の多様性を誇っていたが、国内の畑が遺伝子組み換えの大豆一色になった後は、経済不況時に飢餓で死ぬ国民が続出した」という記述もあります。スーパースター・メッシの国がこんなことになっていたとは知りませんでした。これは他人事ではなく、安倍政権の政策がこのまま推進されれば、この国にも迫りくる危機なのです。

 中扉に引用された『ドナドナ』の歌詞を、この本を読んだ後に再び読み返してみて、私は愕然としました。売られていく「悲しそうな目をした子牛」とは、私たち日本人自身なのだ、ということに気づかされます。

 この本は、ぜひ周囲の方々と一緒に読み合わせて議論をしていただきたい本です。私たち国民が知らぬ間に、自分たちが売りに出されているのですから。

死をめぐるあれやこれ(49) 141号(2018年10月)
「安倍政権は、半植民地国家を目指す」

 安倍政権の改造人事が明らかになり、そのいかがわしさが鮮明になっている。犯罪疑惑とウソと暴言があふれた人事(居座り麻生、甘利・稲田の復活等々)。

 トランプとの会談で、TAGと聞き慣れぬ言葉の交渉だと言っていたが、トランプ側は日本側が恐れていたFTA(二国間交渉)の開始なのだと暴露した。安倍政権は米国に限りなく譲歩をしながら、国民にウソをつき、メディアもそれを流している。

 また政府が羽田に新しい航空路を増設の計画をしたが米軍が許可を出さない。それで五輪客誘致に限界、と一部で報道された(その後報道はピタリと止んだ)。実は東京の制空権は日本にはなく米軍が握って、米軍の許可なしには政府は何もできない。横田基地には日本側のチェックなしに米軍関係者が自由に日本に出入国を繰り返している。さらには米軍オスプレイが横田から東京の空を飛び回ることになっている。これが現実。

 極めつけは、この秋の臨時国会に九条改変の改憲を上程するという。これが通れば自衛隊は米軍の指揮の下、米国の戦争に世界中どこまでも駆り出されることになる。

 まさに半植民地国家ができあがってしまう。安倍政権は宗主国のご機嫌をとり、自分と仲間だけいい目をして、国民を虐げる植民地の傀儡政権に限りなく近い。これは沖縄に対する態度ではもっと明瞭だ。知事選で辺野古ノーの民意が示されたにもかかわらず「辺野古移設は唯一の解決策との考え方に変わりはない」とするのはまさにこれだろう。
これでいいのか?

◆制空権問題は、矢部 宏治『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』(講談社)がお勧め。日本は憲法や国会より日米地位協定と日米合同委員会によって支配されていることが分かる。昨年九月号の本誌(一二八号)で紹介記事があるので、そちらもご参照を。

死をめぐるあれやこれ(48) 140号(2018年9月)
    「家じまい」

 とうとうその時がやってきた。

 岐阜市にある私の実家に、住む人間がいなくなり、家を取り壊して売却することになった。夏の終わりにカネタタキが鳴いて、曲がりくねった松の木が君臨していた中庭も更地になる。

 読者の方の中には、もうとっくに経験済みの方も多いかもしれないが、自分が生まれ育った家が(どれだけ古くてボロ家になっていても)、この世から消えてしまうのには、様々な記憶と思いが去来する。荷物の多くは、今の自宅に持って帰れないので、ごく大切なモノを除いて全て捨ててしまうことになる。昔あった少量の骨董品は、老人だけの住まいが長かったせいか、いつのまにかなくなっている。小さくて思い出深い物だけを持ち帰る。母が使っていたツゲの櫛。これは幼い私がよく遊んでいたと亡くなった母に教えられたもの。両親と子どもたちが写った写真。また見覚えのある軒下で写された、伯父の出征記念の写真。これには若い姿の母が写っている。そして伯父は二度と帰ってくることはなかった。その伯父が使っていたという古いコダックの蛇腹式カメラ・・・

 この夏の初めには子どもと、久しぶりに長良川の鵜飼いを見た。また真夏には実家のすぐ近くで打ち上がる長良川の花火大会を見た。子ども時代から夏の愉(たのし)みの一つだった。私の子どもたちも楽しみにしていた。これも見納めかと思うと一入(ひとしお)だ。
最後にひとつ、毎年甘い実を点けてくれていた庭の石榴の小枝を挿し木しようと、数本切ってくる。
実家の家じまいを、自らの手で行う。これも自分の死に支度なのだと、自覚をした夏。

死をめぐるあれやこれ(47) 139号(2018年8月)
「風呂に入れなくなる話し」

 先日岐阜市の実家に帰ったときに、水道料金の通知が目に入った。そこに読みにくいカタカナが書いてあった。曰くヴォエリア。不審に思って調べるとフランスの水道大手の会社だ。
 水道民営化法が次の国会に提出され成立の予定という。ところがすでにもう、水道メジャーは国民が知らないうちに、ひっそりと忍び込んでいたのだ。

 世界では水道民営化は悲惨な結果になることがすでに実証されている。発展途上国では料金が払えない貧しい人々には容赦なく水道が止められ、病気が蔓延した。(ヴェオリア社が関わった)パリ市では水道料金が三倍にも値上がりして、住民の力で再び公営化を果たした。

 生命に直結する最重要のインフラである水道を、利益を優先する私企業しかも外資に売り渡すという、これは法律なのだ。調べるとヴォエリア社はすでにいくつもの自治体から一部業務を委託され、法律が通れば(このままでは通って成立してしまうのだが)全面展開することになる見込みという。
パリ市は確かに再公営化に成功した。しかしTPP(や、それに類した貿易協定)に縛られる見込みのわが国は一度民営化をしたら、どんなに無残な結果になっても後戻りできない可能性もある(ISD条項、ラチェット条項)。

 水道民営化法案は、今年の秋の国会の焦点になる。安倍政権はまた、国民の生命を外資に売り渡す法律を強行する・・・。
あなたは、風呂にろくろく、入れない生活を受け入れられますか。

死をめぐるあれやこれ(46) 138号(2018年7月)
「パンとサーカス」

 サッカー大会の狂乱のどさくさに、安倍政権は国会を延期して高プロを含む「働き方改革法案」を成立させた。この法案には、さまざまな問題点が指摘されている。最たるものが高度プロフェッショナル制度(高プロ)。政府は「労働者が柔軟な働き方が可能になる」と説明しているが、現実には経営者が、戦後労働者を保護してきた「労働基準法」という法規制から解放されることになる内容なのだ。

 残業代をゼロにして残業時間の規制もはずして、過労死の増加が心配される高プロは、年収が一千万超の人から適用されるとされるが、これは法律成立後に拡大されることは目に見えている。実際に経団連はすでに年収四百万程度の労働者まで拡大を要求している。この範囲拡大は国会を通さず省令だけで簡単にできてしまう仕組みになっている。最初は制限をかけて国民を油断させて、後で適用範囲を拡大させるのは労働者派遣法の例がある。現在では派遣労働は一般的になってしまって、これによって正社員への道が閉ざされ不安定労働を強いられる例は今の日本に蔓延している。

 また残業に初の罰則付き上限規制を設けたが、これは「過労死」レベルの上限に過ぎず、非正規労働者の待遇改善とする「同一労働同一賃金」も、実は正規労働者の給与を非正規の賃金に引き下げることを可能にすると言われている。またこの法案のニード調査は、たった十二例で行われただけ。提出された実態調査の内容はデタラメであったことが明らかになっている。

 さらに政府は、通常国会を七月末まで延期をしたが、これは明らかにこの法案を通すためのもの。この期間にはサッカーワールドカップがあり、国民がそれに熱狂しているうちに、成立させてしまおうという魂胆が見え透いている。実際に六月末からテレビ報道はサッカーの話題一色になり、国民の関心をサッカーに向けさせ、国民に深刻な影響を与えることになるこの法案の国会通過を難なく許してしまった。安倍政権はさらにカジノ法案の成立を狙ってくるだろう。

 国民の関心が、スポーツやスキャンダルや災害などに向いている間に、国民に重大な影響を与える法律を通していくというのは、典型的な「ナチスの手口」(麻生太郎はかつて「ナチスの手口に学んだらどうかね」と発言した)と言える。しかも安倍政権は明らかに、この「ナチスの手口」に手慣れてきている。この手口にマスコミが加担して、普段なら批判的なコメントを報道するまだ「ましな」報道番組まで、サッカー一色になってしまって、こういった動きを伝えなくなっている。
今の日本社会は、ほんとうに危機的な状態にある。

さて、東京オリンピックでは、政権は何を企んでいるのだろうか?

(補足)この解説は、ネットYOUTUBEのページから「森永卓郎:ゴールデンラジオ 大竹紳士交遊録 2018.07.02」で検索して、ラジオの森永氏の解説を聴いていただくことをお勧めします。

死をめぐるあれやこれ(45) 137号(2018年6月)
「強行採決の内閣は何をめざすか」

 この国会でまた加計森友のアベ夫婦案件の証拠が次々に明かになってきて、いよいよ政権は最末期にさしかかってきた感がある。ここで、この政権が何をしてきたのかを、国会での強行採決を一覧して復習しておこう。見るだに腹が立って煮えくりかえる思いがするのだが。

■第2次安倍政権での主な採決強行
@特定秘密保護法案(13年11月衆院特別委)
A安全保障関連法案(15年7月衆院特別委)
BTPP承認案と関連法案(16年11月衆院特別委)
Cカジノ解禁法案(16年12月衆院内閣委)
D「共謀罪」法案(17年5月衆院法務委)
E働き方改革関連法案(18年5月衆院厚労委)

 これで、この政権がどんな国を作ろうとしていたのかわかる。
@国民の知る権利を奪い、A世界のどんなところにも自衛隊を派遣し戦争ができるようにし、BTPPでは、国民生活を保護する規制をとり払ってグローバル企業の儲けのために差しだし、C国民を今以上ギャンブル浸けにさせ、D思想・信条の自由を剥奪し弾圧、そしてE労働者を際限なく奴隷のように働かせ、過労死を蔓延させる。そんな、社会。

 さらに付け加えれば、種子法を廃止して農作物の種を米独占企業に独占的に支配させ、また水道を民営化して海外企業に売り渡すことを誘導する。もはや、日本の社会仕組みそのもの、その民主主義は瀕死の状態だといえるだろう。
 まだこれらのどれか一つだけなら、「イヤ、政府は崇高な理想をめざす社会をつくるのだ」と、反論する余地があるかもしれない。しかしここまで揃うと、もはや答えは一つだ。

 このままでは一つの民主主義社会の死が迫っている。ここで、ぜひ日本を壊し尽くす政権に引導を渡すために、私たちがそれぞれの場で、怒りをもってたちあがらなければいけないのではないか。
(本紙でも、それぞれの問題には、過去に扱っているので記事をみていただくとよい)

死をめぐるあれやこれ(44) 136号(2018年5月)
「陳皮」

 つい最近この「陳皮(ちんぴ)」というのが、ミカンなど柑橘類の皮の事だ、ということを知ってびっくりした。これは漢方薬の成分として、使われているということだ。
 そういえば私が小さかった頃、私の母は私が風邪を引いたような時、ミカンの皮を干したのと黒糖を煮詰めた物を私に強制的に飲ましていたことを思い出す。甘くて苦みがある独特の味で、嫌いではなかったがそれほどおいしいものではなかった。

 この冬、私のマイブームは金柑だった。一日二三個食べると口の中がさっぱりして、気分良く過ごせる気がする。昔に比べて金柑が甘く食べやすくなったのもあるようだ。
春になって金柑が出回らなくなって、私の身体がこの「陳皮」を欲していることに気が付いた。さて、どうしよう。そんなとき、ある店で「柚茶」と書かれた瓶詰めのジャムがあるのを発見し買ってみた。韓国製で、中には柚の皮が入ってほろ苦い感じがいい。
それで最近では、この柚茶入りのコーヒーの一杯が私の朝の定番になっている。一日さっぱりとした感じで過ごすことができるのだ。

 それにしても、最近の安倍政権のウソやごまかし、身びいき、忖度、隠蔽にねつ造、セクハラなど、人道にもとると言えるニュースに接するに、聞くに耐えない。これでは日本の国の形と国民の生活がすっかり壊されて、言うならば「衰退途上国」になってしまうと感じる。
 この柚茶のようにさわやかに身体をシャキッとさせるような存在が出てこないものかと思うのは、私だけだろうか。

 そのためには私たち国民一人一人が、このような政治に怒り、立ち上がる必要がある必要があるだろう。近くには大統領の腐敗と不正に立ち上がった韓国という立派なモデルがある・・・。
死をめぐるあれやこれ(43) 135号(2018年4月)
「NHKニュースは信じられるのか?」

 先日の森友問題で佐川氏の喚問の国会中継を見ていて、つくづくと我々国民がバカにされていると感じた。安倍政権になって五年ばかり、我々の国の形がこれほどまでに大きく変えられ、国民の生活の基盤が損なわれ、大会社だけが儲ける国にしてしまったのはなぜだろう、という素朴な疑問が際限なく湧いてくる。安倍政権をいつまでも居座らせている一番の理由は何だろうか。マスコミ、特にNHKニュースが大きく影響しているのではないか。国民の政府に対する不信や抗議のデモなど、大切なことを伝えず政府に奉仕する役割をしているのがNHKではないのか、といったことを考えていた矢先、国会でNHKについての内部告発が明らかになった。

 三月二九日の参院総務委員会で共産党・山下芳生議員が指摘している。NHKのニュース7、ニュースウォッチ9など主なニュースの編集責任者に、幹部からの指示が出ているのだと。それによると森友問題を放送するときには@トップニュースで伝えるなAトップで使ってもやむを得ないが三分半以内に限定B昭恵さんの映像を使うなC前川前文科次官講演問題と連続して伝えるな。など、非常にリアルで詳細な内容で、NHKが自ら権力の圧力にすり寄っていく姿勢が鮮明なものだという。国民にとって大切なことを隠し、大相撲のスキャンダルのようなものを延々と流すニュースの時間。本来国民が正しく怒るべき問題を国民から隠蔽しまう、という姿勢といえる。受信料を徴収して公共放送を名乗るNHKのニュースがこのありさまだ。国民はこんなニュースから、大切なことを正しく判断することはできないだろう。

 私たちは、民放のニュースや新聞やネットも見比べて、ニュースの裏に何があるのか、注意していく必要があるのではないか。
さて今夜のNHKニュースは、何を隠そうとするだろうか?

 尚、今回述べた山下議員の質疑は国会のホームページで見ることができる。参議院ホームページのインターネット審議中継から、日付カレンダーを選び、総務委員会、山下芳生(共産党)をクリックすると見ることができる。ぜひ一度この審議を見ていただきたい。尚衆院・参院ホームページからは、過去の国会中継も見ることができる。これはぜひ利用したいものだ。NHKニュースは必ず安倍の弁解答弁を最後にもってきて印象操作をして伝える。国会の議論を、ぜひ生の議論そのものを確かめてみてもらいたい。
死をめぐるあれやこれ(42) 134号(2018年3月)
「『世界ふしぎ発見!』の裏の顔」

「世界不思議発見!」と言えば、言わずと知れたテレビの国民的長寿番組。わが家でも土曜の夜はこれを見ることが多くて、子どもたちも小さい頃は大きくなったらミステリーハンターになりたいと夢をもっていた。スポンサーは日立グループ。
 ところが最近、とんでもないニュースが報道された。この日立が英国に原子力発電所を輸出するという話し。それも福島第一原発と同じタイプの原発という。原発はよく「トイレのないマンション」に喩えられている。

 この契約の内容が、さらに驚くべきものだ。万一事故があった場合の賠償責任は、日本政府が担保することになっている。つまり税金によって国民は莫大な金額を支払わされることになるのだ。つまり日立と狂った安倍政権のために、国民があずかり知らぬ間に、保証人のハンコを押してしまう、ということになるわけだ。「もうけは日立と原発の利益共同体へ、損失は国民へ」という図式になる。
 フクシマ原発事故の収束も全くメドが立たない状態で、その費用も今後どれほどになるのが分からないのに、国民の税金を担保に入れ、社会福祉や教育の予算は削りに削り、トイレのないマンションを輸出する。しかも核廃棄物を日本に引き受けるともいわれている。
これは私たち国民を人質にした、安倍政権と日立の売国的な企みといえないだろうか。

 一家で楽しく「不思議発見」の番組を見ている裏で、これほど許し難いことが進行している。
 ところで安倍政権を支える主要な推進団体は、経団連なのだが、次期の経団連の会長が、日立製作所の中西宏明氏が就任予定になっているという。まさに国民を犠牲にして、アベ友に利益をもたらす構図は、森友・加計問題と同じ構図そのものと言える。原発輸出に失敗して大損をして「サザエさん」のスポンサーを降りた東芝の例を思い起こさせるが、この日立の例は国民の税金を担保にとるということで、東芝以上に悪質だといえるのではないか。

 またこの国会で過労死を増やすと大きな問題になっている「裁量労働制」(残業代ゼロ法案)で、その法案の根拠になっていたデータがインチキ・でたらめの極みだったことが明らかになったが、それでも今国会でこの法案を通すことがぜひとも必要だと現経団連会長・榊原がコメントを発表した。これはまさに安倍政権の狂気の暴走を誰が支えているのかを端的に示すものだと言える(ちなみに経団連は常に消費税の増税を主張し続けてもいる)。

死をめぐるあれやこれ(41) 133号(2018年2月)
「『アベノミクスによろしく』を推す」

 今回は、明石順平著(集英社インターナショナル新書)の、この本を紹介します。
「アベノミクスについては・・・概ね結果を出しているという論調が世の多数を占めているでしょう。しかし、客観的なデータを基に分析をしてみると、それが大きな誤りであることがわかります。この本を読めば、良い結果を出すどころか、アベノミクスが空前絶後の大失敗に終わっており、さらに出口も見えないという深刻な状況に陥っていることがよくわかるでしょう。しかも、その失敗を覆い隠すために、GDPが、算出基準変更に伴う改訂のどさくさに紛れて大幅にかさ上げされた疑いもあるのです。これはほとんどの人が気づいていないことです。
 この本は、できれば全ての国民に読んでいただきたい本です。・・・現代日本の最大のリスクは「アベノミクス」なのです。」以上は、この本の「まえがき」からの引用です。そしてこの本は、この通りの本なのです。しかもわかりやすさを重視しマンガ『ブラックジャックによろしく』の佐藤秀峰氏のマンガ入りです。
マスコミが報道しようとしない、安倍政権の身震いするような暴挙の数々が、この本の中で明らかにされていきます。「それでも絶望してはいけない」「現実から目をそらすな 立ち向かえ」というメッセージとともに・・・
 この国の民に将来にわたって貧困と不幸と悲惨をもたらすものが、まさに安倍政権のやっていることであり、これこそが「国難」だと、この本によってハッキリと見えてきます。
 なお、この本は身近な人と一緒に読むと、より理解ができると思います。

詩をめぐるあれやこれ(40) 132号(2018年1月)
「廬山」

 年の初めですので、今年も漢詩を。
中華料理のトンポーロウ(東坡肉)でお馴染みの
蘇東坡(蘇軾)が、名峰・廬山で詠んだ詩です。
「題西林壁」(西林の壁に題す)
横看成嶺側成峯
(横に看れば嶺をなし、側には峰を成す)
   横の方からみれば一続きの山なみ、
   片側からなら独立した峰となる。
遠近高低無一同
(遠近 高低 一にも同じきは無し)
   遠い近い、高い低い、
   どこから見ても同じものはない。
不識廬山眞面目
(廬山の真面目を識らざるは)
   廬山の真の姿が分からないのは、
只縁身在此山中
(只だ身の此の山中に在るに縁る)
   我が身がこの山の中にあるからこそ。

廬山の姿の多様で奥深い素晴らしさを詠いながら
哲学的な深みに達している名詩だと思います。
思えば、何事も見る角度によりその姿は変わり
真っただ中にいる者にとって、対象物の全体像は
見えない、という重要な指摘。
多角的な視点と想像力を合わせもつ必要がある
ことを教えられます。
それにしても安倍政権はあらゆる角度から見て
この国を毀損し国民を苦しめる政権です。
種子法廃止一つをとっても、わが国の食料主権
を遺伝子組み換え企業に売り渡し、未来にとん
でもない禍根を残します。
今年こそ安倍政権を倒さなければ・・・

死をめぐるあれやこれ(39) 131号(2017年12月)
「現在の日本を考えるための今年の二冊」

 私が今年読んだ本の中で、もっとも衝撃を受けた二冊を紹介します。一冊目は、矢部宏治著『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』(講談社現代新書)。これはすでに「芥川だより」九月号で紹介されているので、そちらに譲ります。
二冊目は三橋貴明著『財務省が日本を滅ぼす』(小学館)です。この本はその表題の通り、我々を驚かすに足る内容を語っています。安倍政権が財政出動をしようとせず、もっぱら金融政策だけの緊縮政策でデフレ脱却を喧伝してきた背景には、つねに「日本は借金で破綻する!」「財源がない!」と叫ぶことが免罪符になっていることはみなさんもご存じでしょうし、マスコミも例外なくこのようなことを吹聴しています。
この「財源問題」を宣伝することで、新自由主義的な緊縮財政をいつまでも強行し、その結果、福祉・介護・医療予算はどんどん削られ、消費税は増税され、インフラ整備も放置されて、日本の国民は格差と貧困、国土は荒廃にあえぐ有りさまになっているのです。

 しかし三橋氏によれば、この「日本は借金で破綻する」は真っ赤な嘘である、というのです。しかもこの「国の借金・財政破綻論」(プロパガンダ)の強硬な推進者が財務省だ、というのです。わが国に財政問題(政府の財政破綻の恐れ)など存在しない。政府の負債が百%日本円建てで、政府の子会社である日本銀行が国債を買い取ることができる以上、我が国が財政破綻する可能性はゼロ(ちなみに財政破綻したギリシャの通貨はユーロで、その発行権をユーロに委ねて放棄している)。それにも関わらず、ありもしない財政問題が吹聴され、デフレ脱却のために必要な財政出動もされない状態がつづいている、というのです。
その錦の御旗になっているのがPB(プライマリーバランス)黒字化目標です。このPBの制約というのは「政府は、税収の範囲で支出しましょう」というもの。それ以上の財政出動はしないということです。PB黒字化目標がある以上「他の予算を削るか、増税せよ」という話にならざるを得ないのです。
 しかし著者がいうには「そもそも、政府がPB(プライマリーバランス)を黒字化する必要などないのだ。日本に限らず、徴税権と通貨発行権という強権をもつ政府は、国民経済を成長させ、国民を豊かにするためであれば、財政は赤字でも一向に構わない。何といっても、政府は「利益=黒字」を目的にした企業ではない。政府は「国民が安全に、豊かに暮らすこと」すなわち経世済民を目的としたNPO(非営利組織)なのだ」(本書一一○頁)ということです。

 我々は、国家の財政が、家庭の家計簿の財政とは、決定的に違っていることを知る必要があります。わが国は通貨発行権を保持した国なのですから。これを機会にぜひこの本を一度お読みになることをお勧めします。
そして、安倍政権を批判する野党勢力(かつての民主党政権もまさに「国の借金・財政破綻論」の虜でした)など、国民が広くこの壮大で悪質な大ウソの呪縛から抜け出し、反国民的な安倍政権を一刻も早く国政から追い出すことが必要だと、改めて思うのです。
 なお三橋貴明氏は、いわゆる左翼ではなく、むしろ右よりの論客だということを申し添えておきます。

死をめぐるあれやこれ(38) 130号(2017年11月)
漢字テストと選挙

 小中学生のころ漢字テストがよくあった。自信のない漢字があると自分の書いた漢字が正しいかどうかまじまじと見る。するとその漢字の部分がバラバラになり、見慣れない物のようになりいよいよ分からなくなる、という経験をよくした。そんな時は×をもらったものだ。実はこの現象に「ゲシュタルト崩壊」という物々しい名前がついていることを知ったのはそんなに以前ではなかった。
これを思い出したのは、中島敦の短編『文字禍』を読んだからだ。「そのうちに、おかしな事が起った。一つの文字を長く見つめているうちに、いつしかその文字が解体して、意味の無い一つ一つの線の交錯としか見えなくなって来る。単なる線の集りが、なぜ、そういう音とそういう意味とを持つことが出来るのか、どうしても分からなくなって来る」と描写されている。まさにこれだ。

 今般の衆議院選挙で自民党が大勝をして、安倍政権が三分の二の議席を維持した。私などは、これほどウソと不正にまみれた政権に投票をするという行動を理解できないでいたが、この「ゲシュタルト崩壊」の現象が自民に投票する人の頭の中で起こっているのではないかと思うようになった。
 モリカケ疑惑から逃げまくり、基準をごまかしてGDPの数字を上げる、公金を投入して株価をつり上げる、格差を拡大・貧困を増やしながら教育無償化を叫ぶ。消費税を上げるのは既定路線で、またデフレにつっこんで行くのは目に見えている。そして米国の手先となる戦争へ向かう改憲。こんな政治を肯定できるのは、目先の部分だけに目をやって、全体の姿が目に見えなくなっている、まさに「ゲシュタルト崩壊」ではないのだろうか、と。(なお『文字禍』はネット検索をすると、「青空文庫」にて無料で読めます。)

死をめぐるあれやこれ(37) 129号(2017年10月)
「偏食(二)」

 幼いころから、私は肉類が食べられず苦労をしたことを前回書いた。そしてその原因が、思わぬことから明らかになったのだった。
 私が大学生で京都に下宿をしていたころ、夏休みに帰省をして母と何気ない話しをしていた。話しはたまたま私が肉が食べられないという話題になった。と、母は次のようなことを言った。「○○ちゃんは、まだ三つくらいのころ、神社の近くの鶏肉屋(かしわや)に一緒に行ったら、急に泣き出して、それから肉を食べなくなったのよ」と。
 この話しを聞いたとき、そのときの映像がパッと、私の脳裏に細部に至るまで鮮明に蘇ってきた。
 幼い私は母の手に引かれて、その鶏肉屋の店先にやってくる。神社前の大通りは明るい光に満ちている。店先には平たい網の容れ物に、鶏が幾羽か首を出してケッケッと鳴きながら辺りを見回している。そして次瞬間、外と較べて薄暗い店の中に入ると、カウンターの向こうには、羽根を毟られ首を切られた鶏の死体がいくつもぶら下がっている、という光景だった。
 記憶はそこまでだったが、そこで幼い私は泣き出してしまったに違いない。この映像は確かに幼いころ繰り返し繰り返し反芻していたような気がする。しかし成長するにつれて、いつの間にか忘れられて無意識の闇の中に沈んでいった。それが母の話から一気に私の記憶にわき上がってきたのだった。
 その後、私の偏食がどうなったかと言えば、少しずつ普通の肉ならば食べられるようになっていった。
 まるで精神分析の効果の話しそのままでなのだが、これは私の体験そのままだ。もっとも、偏食の克服については、自分が幼い「万能感」から、「死すべき存在としての自己」という(大人の)認識(Aランボー流に言えば「季節の上に死滅する者」の一人であること)を受け入れてきたことに関連しているのだろうと今では思っている。
 しかし相変わらず私は、フライドチキンは好きではない。

死をめぐるあれやこれ(36) 128号(2017年9月)
「偏食(一)」

 私は幼いころから、肉が食べられなかった。特別、菜食主義というわけでもなく、アレルギーがあったというわけでもなかった。肉になる動物が「かわいそう」という気持ちは多少あったようだが、よく分からない。

この偏食のせいで、小学校ではとくにイヤな思いをした。小学二年の時担任だった女の先生は偏食に対してとくに厳しく、給食を残すのを許さなかった。給食で豚肉や鶏肉の入った料理が出てくると私は食べられなかった。とくに脂身の付いた部分はいくら食べようとしても、口にいれるだけで吐き気が出て飲み込むことはできなかった。その先生は給食を食べられない生徒は、最後まで席を立つことを許さなかったので、私は密かに肉片を机の引き出しに隠したり、口の中に無理やり押し込んで後でトイレに駆け込んで吐き出したりしていた。この経験は後々まで私のトラウマになっていた。
また家でたまにすき焼きをして、家族が美味そうに先を争って食べているのに、私だけはすき焼きのどこが美味いのかさっぱり分からない、という状態だった。

考えてみると私の偏食には妙な特徴があった。ミンチ肉は食べることができた。母の作ったミンチ入りのコロッケは大好きだった。また当時給食に時々出た、長方形の鯨肉のフライはけっこう好きでぱくぱく食べていた。動物の形を想像させるものがダメだったようだ。そんな訳なので、鶏肉は特別に全く食べられなかった。

大人になって私のこの偏食は徐々に改善をしていったが、鶏肉だけはたべられないのが続いていた。子どもたちがフライドチキン(それも骨つきの)をおいしいおいしいと言って喜んで食べているのは、不思議な感じがしたものだ。しかしある日、私のこの偏食の原因が、思わぬことから明かになったのだった。

死をめぐるあれやこれ(35) 127号(2017年8月)
「川で泳ぐ」

 子どもの頃、夏休みの楽しみの第一は、近くの長良川で泳ぐことだった。当時はまだ小学校のプールは出来ていなかったので、小学校の校舎のそばを流れる川(岐阜市の長良川はけっこう大河だ)で水泳教室が開かれていた。そこで白褌のおじいちゃん先生から平泳ぎを教わった。そのころ最初に教わる泳法は平泳ぎだった。何とか自分で泳げるようになると、子どもたちだけで川に泳ぎにでかけた。高学年の兄たちは、向こう岸まで泳いで渡ることもしていたが、小学一年の私たちでは、まだそれはできないので、こちら側の浅い部分で水遊びをする。丸い石がごろごろしている川岸にはいろいろな雑魚やカニなどがいる。
川の中には流れを調節するコンクリートの柱を組み合わせた構築物が並んでおり、その付近は急に深みになったりしている。そのことは自分でも分かっていたが、ちょっと冒険をしたくなった私は、そのそばまで泳いでいった。そしてその深さをはかってやろうと、足を底につけようとして沈んでみた。するとどこまで沈んでも足が底に着かない。手を上げても、もう水面に達しない。周囲は薄青い世界。少し青臭い川の水の味。私は「死」というものを初めて意識した気がする。
 実際、川泳ぎは危険で、毎年一回や二回は対岸に死人が浮かんで大騒ぎになった。そして小学校にプールが出来て、川での水泳は禁止されてしまった。それ以降、大人になるまで川で泳ぐことはできなくなった。

死をめぐるあれやこれ(34) 126号(2017年7月)
「夜啼く鳥は2 ヨダカ」

 私にとって夜啼く鳥の定番は、子供の頃、夏になり実家の二階の窓を大きく開け放していると、山の方から聞こえてくるヨダカの声だった。キョッキョッキョッと、深い闇と時間を切り刻むように、際限なく啼き続けているのが聞こえていた。ときどき部屋の灯火に飛び込んでくる騒々しいカナブンの羽音とともに、私の記憶の中で結びついている。
天文少年だった私は、この実家の二階の窓から、小型の反射望遠鏡で土星の輪や木星の衛星などを眺めていた。夏の愉しみは私のお気に入り、こと座のリング星雲を眺めることだった。それに白鳥座の嘴の部分の二等星アルビレオ。これは青と黄色の二重星で、宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』に美しく描かれている。
「あれが名高いアルビレオの観測所です・・・その一つの平屋根の上に、眼もさめるような、青宝玉サファイアと黄玉トパースの大きな二つのすきとおった球が、輪になってしずかにくるくるとまわっていました・・・」
そしてこの記述の虜になって賢治の作品の多くも読むことになった。その中にはむろん『よだかの星』も含まれていた。
 ヨダカは自分が生きることが、すなわち殺生を続けることであることの矛盾に、自らを抹消したが、私が同じ問題を引き受けるようになるには、まだ時間が必要であった・・・

死をめぐるあれやこれ(33) 125号(2017年6月)
「夜啼く鳥は」

六月になり梅雨の季節になると、夜に啼く鳥が気になってくる。むろんホトトギスのことだ。私がこの声を初めて聞いたのは、大学に入って京都で下宿生活をはじめたころ。ホームシック気味で、不安とうつうつとした気分で過ごしていた時期、真夜中を過ぎたころに、その声は突然かすかに聞こえてきた。テッペンカケタカと言われるように独特の啼き声は、すぐにそれとわかった。
 高校時代に好きだった古文の教科書の中だけで知っていたホトトギスが実際に啼いているのだ。東山にほど近い北白川の北向きの、開け放した二階の安下宿の窓から聞こえてくるその声には、感動したものだった。その後幾度かこの下宿で啼き声を聞いたと記憶しているが、その後人生の荒波の中で、そのような記憶もかき消されていた。
 そして四十年ほども経ち、京都の北郊に住まうようになり、夜更かしをする子供から夜中になると鳥の啼き声が聞こえてくると言われて、初めて気が付いた。確かにそれは、ホトトギスだった。遥かな記憶が湧いて出てきた。
しかし最近の三年ほどは、これを聞いていない。どうなっているのだろう。
 夜啼く鳥の啼き声は、私の胸にある種のざわめきを湧き起こす。このざわめきは、安倍政権によって、今の日本がファシズムの支配する恐怖社会へと、造り替えられつつあることを実感するたびに、わき起こる胸のざわめきなのだ。そして、我が子はそのような私の気持ちを理解していない・・・。

死をめぐるあれやこれ(32) 124号(2017年5月)
「御所とポジティブ・フィードバック」

 私はしばしば京都御所を自転車に乗って横切る。御所は砂利が敷いてあり極めて走りにくい。だが自転車の轍(わだち)が作った細い「けもの道」が出来ていて、ここを走れば快適でスピードも出る。
 実はこの「けもの道」、工学でいうポジティブ・フィードバックでできあがる。道を自転車が走ると砂利をはじき飛ばして走りやすくなる。走りやすい所を次の自転車は走ろうとする。すると益々道は走りやすくなる。これの繰り返しで、けもの道はより太く走りやすくなり、多くの自転車が走るようになる、というわけ。このメカニズムは爆発的に急加速することが多い。
 これと逆なのがネガティブ・フィードバック。これはシステムを安定に保とうとするもので家電などの多くに応用されている。破綻を嫌う賢人は須くネガティブ・フィードバックを旨とするものだ。
 ところで安倍政権は共謀罪などで、加速的にわが国を右旋回させている。これは明らかにポジティブ・フィードバックだ。つまり爆発的な破綻に向けて突き進んでいる。このような政治にブレーキを掛けるのがマスコミ・ジャーナリズムの役割だが、政権はすでにマスコミを籠絡していて、ブレーキはかからない。この国はいつか来た爆発的な破綻に向かっていると見える。
  *     *

 なお御所の自転車けもの道は、時々新しい砂利が撒かれ完全に消去される。だがわが国にはそのような仕組みは備わっていない。
 ポジティブ・フィードバックの制御をもつ国は破局に向かう。破局は戦争・原爆・敗戦・占領という経過を、また取るのだろうか・・・。

死をめぐるあれやこれ(31) 123号(2017年4月)
「擬傷」

 私の通った高校と私の実家はともに川(長良川)のほとりにあったので、徒歩通学をしていた私は学校がひけると、ときどき川原を歩いて帰ることがあった。
 中流の河川は、丸い石がごろごろしていて歩きにくい。しかし遠くに雪をかぶった伊吹山の姿や奥美濃の山並みが連なり、遮るもののない青空が広がっていて、気持ちがいい。その青空にはヒバリが空中で止まって、ずっとさえずっている。ときには平たい小石を探して、水切りをしたりしてみる。
 そんな川原を歩いていると、目の前の地面でハトよりは小型の鳥がパタパタと翼を必死に動かして少しずつ遠ざかって、必死に逃げようとしている。
 ははあ、これがどこかの本で読んだコチドリの「擬傷」行動なんだと気が付いた。確かにコチドリの行動は迫真の演技だ。翼が傷ついてもがいているように見える。さては、と周りを見渡してコチドリの巣を探してみるが、よくわからない。しかたがないので演技を続ける親コチドリのあとについて二十メートルほど行くと、親鳥は苦しそうだったのがウソのように元気に素早く飛んでいってしまったのだった。後で調べてみると、コチドリは川原に直接、小石に似た色目の卵を産むそうだ。どうりで巣らしいものがなかったわけだ。命がけの親鳥の行動には、本能とはいいながら感動したことだ。

死をめぐるあれやこれ(29) 122号(2017年3月)
「花朝」再び

ちょうど一年前のこの欄で、「花朝」という言葉を取りあげた。故宮博物館の中国絵画の日めくりカレンダーで初めて出会ったこの言葉は、旧暦二月の満月の日を表している。この時期はちょうど、梅や桃・杏や桜など春の花が咲く頃にあたり、華やかな季節になる。
朝、この言葉に出会った日の驚きと幸せな感じは忘れられない。

 去年ここで取りあげなかったことがあったことに気づいた。それは、西行法師の歌といわれる
「願わくば 花の下にて春死なん その如月(きさらぎ)の望月(もちづき)のころ」という歌。そして西行法師はこの願い通りの死を迎えたという。この「如月の望月のころ」がまさに今取りあげている「花朝」の日に他ならないということなのだ。

そして四字熟語「花朝月夕」を作る「月夕(げっせき)」は、旧暦九月の満月の日、つまり仲秋の日のことだということを今回も付け加えておこう。

死をめぐるあれやこれ(28) 121号(2017年2月)
「冬の狩り」

 幸いにして私はたまたま植物園の近くに住まっている。それをいいことに時間があればここを絶好の散歩の場にして、四季それぞれの花々の写真を撮影することを趣味にしてきた。
 この厳冬期、さすがの植物園も色彩に乏しくなるのだが、それでも早咲きの梅や侘び助椿がもう咲き出している。早春の野草、可憐なバイカオウレンも咲き出した。

 そんな雪の日曜の朝、園内の雑木林の細道を歩いていると、視界の隅をさっと横切るものがある。不審に思い、その方向へ歩いて見てみると、雪の上にキジバトの羽根が散乱している。
 そうだ、小型の猛禽が狩りをしたのだった。視野の隅をよぎったのはキジバトを捕らえた猛禽の異形であっただろう。
 この一見平和な植物園の雪景色にも、死が潜んでいることを思い知った光景だ。
 さて人間界に戻ると、日本の社会と国民を、猛禽の餌食(えじき)に差し出すような政府とマスコミが支配する姿があること気づく。小紙がこの事実に警鐘を鳴らす役割をほんの少しでも果たすことをねがう・・・

死をめぐるあれやこれ(27) 120号(2017年1月)
「白楽天」

 お正月には漢詩を取り上げます。今回は「枕草子」などでもおなじみ、唐の詩人・白楽天の髪の毛にまつわる漢詩です。

髪の落つるを歎ず 白居易

多病多愁心自知
   多病(たへい)多愁 心自ずから知る
行年未老髪先衰
   行年(こうねん)未だ老いざるに
    髪先んじて衰(おとろ)う
随梳落去何須惜
   梳(くし)に随(したがい)て落去(らくきょ)す
    何ぞ惜しむを須(もち)いん
不落終須変作糸
   落ちざるも 終(つい)に須(すべか)らく
    変じて糸となるべし

病気がちで悩みが多いことは、われながらよく承知しているが、
まだ老齢に達していないのに、頭髪のほうが先んじて衰えてしまった。
櫛とともに抜け落ちようと、惜しむ必要があろうか。
抜け落ちずとも、けっきょく細い白糸のようになってしまうのだから。

これを作った当時、白楽天はまだ三十才だったといいます。この前年に科挙に合格をしたけれど、まだ官職につくために猛勉強をしている最中だったようです。当時の受験勉強の猛烈さは想像を絶していました。中国の科挙は合格すれば超エリートで、自分ばかりでなく一族の繁栄も約束されたので、それこそ死にものぐるい。彼はこの二年後に試験に合格をはたして、秘書省校書郎という職に任用されて、そこで生涯の親友となる、同じく詩人として名高い元(げんじん)と同僚になったといいます。白楽天はその後、官吏としては超エリートでしたが、鋭い社会批評を含む詩を作り活発に発言を行い、左遷されて不遇をかこちました。しかし何時も字(あざな)の通り楽天的な精神を保ち七五才の長寿(当時としては)を生き抜いたということです。見習いたいものです。

死をめぐるあれやこれ(27) 119号(2016年12月)
「一九四五年のウエルギリウス」

 秋の京都恒例、百万遍の古本市で見つけた古びた薄い雑誌「世代」昭和二一年十月号。この中に若き加藤周一の「一九四五年のウエルギリウス」という文を見つけた。

 いわく、「国家総動員法の木馬は危険であると尾崎行雄は言った。議会はそれを通した。然るに尾崎行雄を非難して、御用議会と共に総動員法に喝采した東京市民は、その木馬の腹から東條一味が躍り出し、戦争をはぢめて、東京が焼かれ、住むに家なく、食うにものなき状態に追ひこまれても、よもや往年の喝采を忘れはしないであろう。一九四一年十二月八日に、軍国主義を謳歌した者は誰か。ハワイ攻撃の映画が「面白い」と言った者は誰か。それは(この道は破滅への道だと警告する)カッサンドラを信ぜぬトローヤ市民自身ではなかったか。」

 加藤はここで、ウエルギウスの『アエネーイス』で語られたトロイの木馬の有名な落城のエピソードに、戦争期の日本の状況を見いだしている。
そして他ならぬ、現在のこの国に進行していることが、驚くほどこれに似ていると、声高く叫びたい衝動に駆られるのを、私は止めることができない・・・。(尚この文は、講談社文芸文庫『一九四五・文学的考察』に収録されています。)

死をめぐるあれやこれ(26) 118号(2016年11月)
「 TPPは百年の禍根を残す」

多くの人はこう聞いても疑問符しかないだろうか。それもそのはず、すべてのマスコミがTPPの本当の姿をひた隠しにしている。NHKにいたってはホームページに「いまさら聞けないTPP」などと愚弄した内容を載せ国民を欺いている。TPPは八千頁あるのに日本語の正文すらない。国会議員もよく理解していない。

TPPは日本の国内法より上にきて強制的に国内法を変えてしまう拘束力をもつ。米国ではそうはならない不平等条約。明治初期の不平等条約にも匹敵する。
TPPは国民の生活を一変させる。
TPPは国民皆保険を破壊する。
TPPは薬の値段を止めどなく、つり上げる。
TPPは農業も畜産もつぶす。
TPPは禁止されていた農薬や添加物・遺伝子組み換えで日本人の食べる物を危険にさらす。
TPPは国産の食料を激減させる。
TPPは国民の共済事業をつぶす。
TPPは国民の貯蓄をリスクにさらす。日本の富を流出させる。
TPPは公共事業に米国企業を参入させ、国民サービスより企業利益を優先させる。水道さえも安全より利益優先になる。
TPPは外国人労働者を引き入れ、国民を低賃金競争へ追いやる。
TPPは国民の健康や財産を守るための各種規制が撤廃させられ、一旦自由化したら最後、一方にしか動かない爪歯車のように後戻りできなくする(ラチェット規定)。
TPPで潤うのは大企業だけ。国民はむしり取られる(トヨタが儲けても法人税を払わず社内にため込む)。
TPPは国民の格差をますます広げる。
TPPは国民の大部分を不幸に追いやる。
TPPは一度締結されると、国家の主権を自ら放棄することになる。

だから、TPPは百年の禍根を残す。
自分の国をこんな国にして、次の世代に残すことはできない。絶対に。
(本紙の、この号および一一六号などをお読みください。)

死をめぐるあれやこれ(25) 117号(2016年10月)
「老年彷徨」

 私の母の晩年は、認知症で寝たきりだったが、それなりに明るく日々を過ごしていた。問題は寝たきりになる前だった。

 ある日母が行方不明になっていると、実家のある岐阜のケアマネから京都の私のところに連絡があり、警察に届けを出した。しばらくして警察に保護されていると連絡があった。驚いたことにそれは母の里の尾張一宮にある交番だった。さっそく私は新幹線とタクシーを乗り継いでその三条交番へ急いだ。母は愛用の押し車とともに、そこでケロッとした顔でイスに座っていた。母の頬は紅潮して十歳くらい若く見えた。警官とお世話になった方々にお礼をいい、家に連れてもどった。母と何気ない話しをしながら、帰りのタクシーから見た木曽川の土手の光景が妙に印象に残っている。

 母が里に向かったのは分かる。しかし二十キロほどもある距離を、どうも歩いたとしか考えられない。これが今でも謎なのだ。

 その翌日からだった、母がベッドで寝つく生活になったのは。
死をめぐるあれやこれ(24) 116号(2016年9月)
「カネタタキの家」
 夏も終わりに近づき、少し涼風が吹き始める夕まぐれ、我が家のささやかな庭の草むらから、チンチンチンとカネタタキ鳴き声が聞こえてくる。それを聞きながら、娘が「カネタタキがうちの庭に代々住み着いてるね」と言った。そういえば十年ばかり、毎年夏も終わり近くなると、このか細い虫の鳴き声を聞いている気がする。虫の命は一年ないので、庭の草むらで毎年繁殖をしているのだろう。

 このか細い虫の音を聞くと、私はたちまち幼い頃の世界へともどっていく。子どものころ岐阜の実家の縁側で、線香花火をしたり、みんなでスイカを食べたりして、ようやく蚊帳の中、寝ござを敷いた布団の上で寝ようとして、母が電灯を消すと、庭の草むらからこのカネタタキの鳴き声が聞こえてきたものだ。

 しばし私たちは、草むらからの鳴き声に耳を傾け、やがて深い眠りに入っていく。自分の子どもたちもこのような思い出をもつことができていただろうか・・・。

 今や実家はまだあるものの、母と父はすでに亡く、カネタタキの声も聞くことはできない。
 さて、か細い声のカネタタキは、いつまで我が家の庭で鳴いてくれるのだろうか。

死をめぐるあれやこれ(23) 115号(2016年8月)
「国民はブラック国家を選ぶか」

 「私は立法府の長なんです」と安倍晋三氏は昨年、なんと国会で口走った。行政府の長であることは残念ながら認めるが、この発言は小学生でも知っている通り、誤りだ。しかし現実は、裏でこの通りの事態となっている。つまり行政府の首相官邸が、立法府を数に任せて支配しており、その上に最高裁人事などにより司法府をも支配している実態があり、その結果、昨年の憲法違反の安保法制が通って以降、憲法が破壊された状態が継続している。

 さらに首相官邸は、参院選の報道などでみられる通り、マスコミをもほとんど支配をしている(これには現実の大臣の電波停止発言や、安倍政権を押す経済団体やカルト団体の圧力による情報操作や恫喝が大きく預かっている)。これによってマスコミは選挙で、重要な争点や政府系の候補者の黒い部分を隠蔽して、野党候補のねつ造のスキャンダルを流す(都知事選挙でもこれが実際に実行された)。
さて、このような政治の状況を世界標準の言葉ではなんというのか、皆さんはご存じだろうか。

 これを指して「独裁政治」といい、それを実現していく過程は「クーデタ」と呼ばれている(クーデタは武力を伴わないものも含まれる。武力の伴わない場合でも暴力的な恫喝といったことは存在する)。

 また他方、現在の日本にはブラック企業というものが存在している。従業員の生活や健康を犠牲にして、搾り取れるだけ搾り取って打ち捨てる、という倫理的に許せない存在。

 しかしこの国の全体が、上に述べた「独裁政治」により、国家全体がブラックに向かっている・・・。今の与党とその仲間を選挙で選ぶことは、この国をブラック国家にすることを選ぶことに他ならない。さらに考えると「立法府の長」と小学生でもわかる誤りを国会で述べた安倍氏は、今後自分が完全に独裁者になって、これを「誤りでない」としたいという本音を持っていることだろう。

死をめぐるあれやこれ(22) 114号(2016年7月)
「平和の国 日本を殺してはいけない(2)」

 これを書いている時点で参院選の結果は、まだ出ていない。この号が刊行されるころには、改憲勢力が三分の二の議席を取ったかどうかの結果が出ているだろう。安倍政権はこれを取れば、さっそく改憲の準備を始める。それはどんな場合にも「自民党憲法草案」に沿うものになるはずで、それはこの国を戦争と独裁に追いやるものだ。

 自民党政調会長・稲田朋美は「国に命を賭けられる者だけに選挙権を与えるべきだ」「国民の生活が大事なんて政治はですね、私は間違っていると思います」などと繰り返し発言している。与党の首脳で次期総理とも一部で言われる人物。安倍政権の背後には日本会議というカルト組織がいて、政権に大きな力をもっているのはよく知られた事実。彼らはこの国を、明治憲法下・第二次世界大戦の戦前なみの社会に引き戻すことを目指しているように見える。

 改憲のハードルは国会の三分の二が一番高い。国民投票の半数は(投票数の半数なので)ハードルは高くないと改憲派は踏んでいるだろう。ここでこのハードルを超えられたら万事窮す。参院選の結果がまだ未来に属する今、私にできるのは、周りの人に投票へと声をかけて、投票率を上げるようにする。あとは祈ることしかない。安保法案のとき、ここで取り上げた問題はさらに深刻に進行している。本紙百十号のこの欄で「この国が戦争で死ぬ国へと、作りかえが進行している」と書いた。その最大の山が改憲だ。改憲によってたちまちこの国は、戦前の日本、ナチスのドイツ、オーウェルの「一九八四年」の独裁・恐怖政治の世界へと連れ去られることになる・・・。再び書いておこう。

 「戦争は平和である」「自由は服従である」「無知は力である」というのが、オーウェルの小説世界の独裁者・ビッグブラザーの党が掲げるスローガンなのだ。これは安倍政権の姿勢になんと酷似していることか。


死をめぐるあれやこれ(21) 113号(2016年6月)
「平和の国 日本を殺してはいけない」

 私たち日本国民は、憲法というものがどういうものかについて、義務教育で正しく教育を受けてこなかったと思います。すくなくとも中年以上の年代についてはそれがいえるように思います。

 憲法とは一般国民に向けたものというより、政治権力に向けたもので、政治を行う政府の権力を制限し、縛るものだというのです。立憲主義とはこの上に立った政治原理なのです。恐らくこれはおおかたの大人の理解とは違っているのではないでしょうか。大人たちは自分が憲法を守らなければならないと教えられて、何となくそう思っている。しかし我々が守る必要があるのは通常の法律なのです。憲法を最も守らなければならないのは、国の中で最も強大な権力をもつ政府なのです。

 昨年九月、憲法違反の安保法制の強行採決によって、安倍政権はこの国を戦争のできる国にしてしまいました。それまでの政府が、憲法が禁止しているとしてきた「集団的自衛権」を持てるとする、とんでもない解釈により現在の政府は違憲状態にあり、立憲主義を踏みにじった状態にあります。
 その上にさらに、安倍政権は、国民の目をたくみに欺きながら、武器輸出や軍需産業をこの国の主要な産業に仕立て「戦争がなければ生きていけない国」に、この日本を作り替えようとしています。これはまさに定期的に戦争を引き起こしている米国の状態そのままなのです(この具体的な姿については本紙の記事をお読みください)。

 七月十日に予定されている参議院選挙は、まさにこのような安倍政権の憲法違反を許し、自民党「憲法改正草案」にあるような人権を制限してナチスなみの独裁へとつながる改憲をさせてしまうのか、それとも安倍政権を追い落とし、現在の日本国憲法の改変を許さず、平和国家としての日本の国を守るのか、という真に歴史的な分岐点になるものと考えられるのです。

 ここで大切なのは、この国政選挙で棄権をすることなく、反安倍の改憲を許さない野党に投票して、独裁政治へと向かう安倍政権を倒すことです。この選挙は必ず歴史の転換点になり、我々一人一人の一票が日本の歴史を変えていくものになるのですから。


死をめぐるあれやこれ(20) 112号(2016年5月)
「父の松」

 私の実家の中庭には一本の松の木があった。なかなか枝振りのよい黒松で、私の子供のころすでに樹齢百年にはなっているだろうと教えられた。この松は父の自慢でもあった。

 私は十八才になって大学に進学し、実家を出て関西に住むようになったが、休みに帰省するたびに、庭の松の姿を見たものだ。それは家族のように親しいものだった。

 時は経ち私は家庭をもち実家に暮らすことはなかった。父は認知症になった母親のことを心配しながら、ある朝倒れて亡くなった。父の死から一ヶ月ほどたつうちに、その松の木の勢いがみるみる衰えて、半年ほどですっかり枯れてしまった。それは父の後を追うように私には思われた。

 すると不思議なことに庭に生えていた他の木がぐんぐんと大きくなってきた。これまで私の子供のころから大きさが変わらなかった槇の木が、松からは十五メートルも離れているのに目に見えて太く大きくなってしまったのだ。その他の庭木も心なしか大きくなってきたように思える。この現象には私も驚いた。松から何か他の木の成長を押さえるような成分が出ていたのだろうか。そんなことがあるのだろうか。

 これまで実家の庭はこの松の木が支配していたのだ。父が亡くなり、松の木が倒れた庭は、中心がなくなってしまった。そして私の実家にも大きな穴がぽっかりとあいた。


死をめぐるあれやこれ(19) 111号(2016年4月)
「花朝」

 わが家のある場所に、子供が友達から中国土産としてもらった日めくりカレンダーが置いてある。これは北京の故宮博物館が発行したものだ。本の体裁になっており、見開きの左頁は博物館所蔵の中国古典絵画の細密な写真が掲げられ、右頁は様々な出典の書体でその日の日付が漢数字で書いてある。今朝(三月二三日)それを一枚めくって驚いた。日付が書かれているはずの左頁に大きく見事な書で「花朝」とある。

 確かに今は梅や桃の花が咲き、庭には沈丁花や藪椿も咲いている。京の桜の名所にはまだ早いが京都御所ではしだれ桜と辛夷が見事に咲いているのを昨日しっかり目に焼き付けてきた。そんな日の朝に「花朝」という言葉に初めてめぐり会ったのが、大げさでなく奇跡のように思えた。

 後でこの言葉を、(辞書でと言いたいところだが)ネットで調べてみると、二月の別称、特に陰暦二月十五日を指すとある。このころは気候がよく花が咲くすばらしい季節ということらしい。そう言えば、今日の夜は満月なのだ。私は一日幸せな気分で過ごせそうな予感で充たされた。

 考えてみると「花のもとにて春死なん」と詠った歌人西行が願った「その如月の望月(もちづき)のころ」が、まさに今日この日なのだった。

 尚「花朝」と対になる言葉があるという。これが「月夕」で、「花朝月夕」(かちょうげっせき)と四字熟語を作るという。月夕は陰暦八月十五日を指し、これは仲秋の名月に当たることになる。


死をめぐるあれやこれ(20) 110号(2016年3月)
「お国言葉」

 奈良東大寺二月堂のお水取りのニュースが伝えられる三月になると思い出す。私がまだ大学生だった頃、春休みになって岐阜の旧市街にある実家の古家に帰省して、怠惰な日々を送っていた。遅く目覚めると裏庭にウグイスが鳴いている朝。隣の部屋から、職人だった父と、これも職人の来客の会話が聞こえてくる。

 内容は単なる世間話だが、流ちょうな岐阜弁。その抑揚が音楽のように聞こえてくる。普段聞き慣れていたはずの言葉なのに、こんなに岐阜弁が美しいということを初めて気がついた。と同時に、それまでその内で育ってきた岐阜弁に、自分が嫌悪感を抱いていたことに気づいた。

 あれからもう40年以上も経っている。父も亡くなり、庭にウグイスがくることもなくなった。そして私は正しい岐阜弁を使うことはできない。また長年住むことになった関西の言葉にも染まることもできないでいる。


死をめぐるあれやこれ(19) 109号(2016年2月)
「冬木立」

 幸い府立植物園の近くに住まっているので、週に一二度はカメラをもって散策している。

 この季節、花はほとんど咲いておらず派手な色彩は少ない。木々は葉を落として冬枯れている。しかし私は厳冬の疎林が好きだ。葉を落とした木々の細かな枝が澄み切った青空をアラベスク模様に細分している。樹種によって微妙にそのパターンが違っている。木々の下にはシダ類が葉の裏に胞子の玉を行儀良く並べている。

 一見、木々は枯れ死んでいるかのようだが、それは違う。葉を落とした細枝には、ちゃんと冬芽を付けている。小さく目立たないものが多いが、辛夷のように気持ちのよい綿毛を付けた蕾もあるし、オオカメノキという木の冬芽ときたらバルタン星人そっくり。どの木も春の準備に怠りない。

 この国も昨年の安倍政権(政権というより「一味」といったほうがぴったりくる)による憲法クーデター以来、真冬の季節に突入している。そして彼らはさらに平和憲法を変えて「緊急事態事項」というもので、ナチスなみの独裁国家に作り替えることを宣言した。今年の七月の参院選と、同時選挙にするとも言われる総選挙が決定的なカギになる。これで改憲勢力が三分の二を占めるようなことがあれば改憲を許してしまう。このときこの国は再び七十年前の破局の極北へと向かうだろう。そして一味はマスコミを操り、国民の目を反らす狡猾な情報戦略を使っている。

 しかし国民はそれにだまされるほど愚かでないことを信じたい。

 下草の中からは、もうすぐ節分草や黄蓮やカタクリやショウジョウバカマといった早春の可憐な花が咲き出してくる。冬枯れた木々の冬芽もやがて新緑にそまることになるのだ。


死をめぐるあれやこれ(18) 108号(2016年1月)
「歯が落ちる」

 去年に続き正月は漢詩をご紹介。でも内容はあまりおめでたくない話しで恐縮(なにせ表題が表題なので)。
韓愈という唐の詩人の詩。このお方、四十前で歯槽膿漏に悩まされていたもようです。
(長いので中三分の一は略)

去年落一牙、今年落一齒
  去年は奥歯が一本 今年は前歯が一本

俄然落六七、落勢殊未已
  続けて六七本 その勢いは止まらない

餘存皆動搖 盡落應始止
  残りの歯もぐらつく 全部抜けるのか

憶初落一時 但念豁可恥
  一本目には そのすきまバツが悪かった

及至落二三 始憂衰即死
  二本三本となると 弱って死ぬかと悩んだ

毎一將落時 懍懍恆在己
  抜けそうになるだけで いつもビクビク

・・・・・・・
人言齒之落 壽命理難恃
  歯がぬけたら 寿命は短いとおどされる

我言生有涯 長短倶死爾
  でも人は所詮 いつかは死ぬもの

人言齒之豁 左右驚諦視
  歯のすきまに 他人はびっくり

我言荘周云 木鴈各有喜
  荘子曰く 役に立たずの木が天寿を全う
  啼いて料理まぬがれた雁もいる 幸いは各々

語訛黙固好 嚼廢軟還美
  ふがふが言語不明瞭は これ幸い
  噛めないと 軟らかいものがうまい

因歌遂成詩 持用詫妻子
  そこでこの詩をしあげ
  嫁と子供に見せびらかしてやろう

教訓:歯の手入れは怠りなく。歯のケアは確かに寿命に影響するようです。私のお薦めは、
寝る前に歯磨きなしの歯ブラシと歯間ブラシ(大小)、それに糸ヨウジ、最後にマウスウォッシュ。
全部で五分弱。これで完璧!ちなみに韓愈の寿命は五十六年でした。確かに長寿ではないですね。


死をめぐるあれやこれ(17) 107号(2015年12月)
先生の思い出

 年末になると中学校のときの理科の先生を思い出す。酒井先生といって私のクラスの担任だった。年は五十前だったろうか。笑顔の優しいがっちりした体格の先生だったが、私はあることで厳しくしかられたことがあった。しかしとくに先生が嫌いになるということはなかった。

 先生は山男で、毎年のように年越しを山の中で迎えるのだという。ある年、大晦日を雪山の雪の洞穴で迎え、ラジオで聞いた紅白歌合戦が身にしみた。吹雪の収まった夜空には天の川が空いっぱいに広がっていた。そんな話しをしてくれた。

 当時天文少年だった私は、山登りに興味はあまり湧かなかったが、まだ見たことのない、空いっぱいの天の川には憧れた。

 それから二年ほど経って、その酒井先生が亡くなったという知らせがあった。クラスの友人たちと葬式にいった。私の住んでいた岐阜市の郊外の田園地帯に先生の家はあった。先生の死に顔に対面して、不思議な気持ちに襲われた。もう先生の笑顔はこの世に存在しないのだ。先生の家の庭先には足踏み式の脱穀機があって、それが妙に印象に残った。

 もうあれから五十年近く経ち、とっくに私は先生の年齢を超えてしまった。不思議なものでいつまで経っても記憶の中で先生は先生のままなのだ。

私の同年代の友人の中にも何人か教師を勤めた者がいるが、彼らも教え子の記憶の中で、いつまでも先生なのだろう。


死をめぐるあれやこれ(16) 106号(2015年11月)
火の祭り

 「今夜、すごい祭りがあるらしい。一緒に見に行かないか?」と、友人に誘われたのは、学生時代、間近かに迫った学園祭の準備をしていて仲間とラーメン屋に入ったときだった。それは面白そうだということで、ラーメンも早々に出町柳から叡山電車に乗り込んだ、というのが私の「鞍馬の火祭り」との出会いだった。

 山間の谷沿いの街道に松明の数がだんだん増えてゆき、御神酒で男たちに勢いがついてくると、山門前の石段に大松明が集まってくる。そして松明を立てると、辺りは炎の渦となる。谷間が炎に包まれると言われる通りになる。

 男たちはそのまわりで「サイレヤ、サイリョウ」の掛け声をさけび、その声はさらに大きくなって、まわりの山の深い闇へと吸い込まれていく。祭リの男たちは、ほとんど陶酔状態のように見える。そして見物人たちも、その陶酔の中に巻き込まれていく。その興奮状態が高まった九時ごろ、いよいよ神輿が出て祭りの最高潮となる。

 「チョッペイ」という行事がある。今年成人を迎えた若者が、神輿が出て行くときそのかつぎ棒の前にかつぎ上げられ、衆人の前で大股を開くというものだ。これは成人になったということを村人にお披露目をする、一種の通過儀礼であるということだ。

 大松明の火は、人のこころに野性の火を灯し、生と性と死を照らし出す。


死をめぐるあれやこれ(15) 105号(2015年10月)
三月堂

 秋になると奈良へ行きたくなる。それも東大寺の三月堂へ。思い返せば人生の節目ごとにここにいた。進路を大きく変えた大学生のときにきた。今は亡い母親ときた。妻ときた。子供が生まれたときにきた。その子供を連れてもきた。仕事のいきづまったときにもきた。

 この静寂の薄闇の中に、じっと坐している。すると自分が千三百年に余る時の流れのなかにあることを感じる。この歴史のなかで幾百人幾千人の人々が、自分と同じように人生の節目でここに坐したことだろう。私はこれらの人々の一人に連なるのを感じる。

 今この時代、この国はあのような為政者を持ってしまったことで、有形無形の大切な部分が確実に毀損されてしまうだろう。それは私を含めたこの国の国民の一人一人に影響を与えないではおかないだろう。

 私はこれからのこの国の姿を思い描き、今までとは少し違った日常へともどっていく・・・。


死をめぐるあれやこれ(14) 104号(2015年9月)
シールズデモに参加するの記
 シールズ(SEALDsは) 若者が中心になって戦争法案反対の運動を繰り広げ、マスコミでも注目されている運動体です。そのSEALDs関西が先日京都でデモを行いましたので、私も参加しました。私がデモに参加するのは学生時代、新宿でフレンチデモに参加した以来なのでもう三十数年ぶり。

 集合場所の円山公園に着くと、すでに大勢のみなさんが集まっておられ、ご同輩の年配の方々も結構多くおられて少し安心。係の若者がコースなどのデモの要領を説明してくれます。またA3サイズのプラカードも配ってくれました。

 デモの開始にあたって、内田樹センセがシールズの運動の歴史的な意味について熱く語られました。著作とネットで拝見するだけだったので、ちょっとテンションアップ。このアピールは「内田樹の研究室」のサイトで読むことができます。

 うわさに聞いたラップ調のコールと、サンバドラムのリズム。最初はかなり違和感を感じたのですが、段々なれて終わりころにはそのリズムが身体に染みこんでしまったようです。祇園から四条通りを通り、河原町通りを北上するコース。歩道を歩く人たちの反応も結構よくて手をふって応えてくれます。

 このデモは瞬く間に全国に広がり、戦争法案が廃案を追い込み、日本を破壊する安倍政権を倒すまで続けられるものと思います。尚このデモには年齢制限はなく、飛び込み参加も大歓迎であることを申し添えておきます。


死をめぐるあれやこれ(13) 103号(2015年8月)
「1984」
 これはむろん村上春樹ではなく、英国の作家ジョージ・オーウェルの1949年の作品。当時から35年先の未来を描いた反ユートピア小説。最近この国の政治をみるにつけ、この小説が盛んに気になる。

 旧ソ連のスターリン体制をヒントに描いているといわれる。そこでは三つの巨大全体主義国家が並立して互いに戦争をしている。その一つではビッグブラザーが支配して、国民を完全にコントロールをしている。人の思考の中まで徹底した監視と密告、情報統制、逮捕・拷問などなど。35年先ではさすがにまだオーウェルの予想に追いついていなかった現実が、70年先にはそのような世界が実現するのではないかと思わせる節がある。二十一世紀になってこのような全体主義の国が複数存在しているのは確か。七十数年前には、まさにわが国がそのような国であった。問題は現在の日本の安倍政権が、実にそのような国への回帰を目指していることにある。

 現代の日本にはこのような社会への曲がり角を曲がらせようとする強大な圧力が存在している。我々がこの地獄社会への曲がり角を曲がる歴史的な生き証人になるのかもしれないというのは、杞憂ではないと感じる。

 だがこれを止めることができないわけではない。それには、多くの人にその危機を知ってもらうことがまず必要になる。小紙がそれに少しでも役立つことを願っている。

 「戦争は平和である」「自由は屈従である」「無知は力である」というのが、ビッグブラザーの支配する党の三つのスローガンなのだ。これは現政権の姿勢になんと酷似していることか。


死をめぐるあれやこれ(12) 102号(2015年7月)
国民に牙をむく安倍政権
 理論的にも破綻してしまって、明確に憲法違反の安保法案に、これほどまで安倍政権が固執するのはなぜだろう。これは背後の米国からの圧力がいかに強烈であるかを物語っている。戦争を続けるには財政的にもたなくなった米国は、日本にその肩代わりを求めている。しかもその戦争たるや米国の巨大企業が自らの利益を確保するために大統領を動かして始めるという構造になっているのだ。しかもこの圧力を掛けているのはノーベル平和賞の、腐りきったオバマ政権に他ならない。

 一方の日本では、孫崎氏によると(注)戦後の日本史では米国追従政権と自主路線政権があり、自主路線は(米国とその手先の国内勢力に)常につぶされてきたという。安倍氏は自らの保身のためにも究極の対米追従路線を突っ走る。これはこの問題だけではなく安倍政権がめざすTPPでも同じ。売国的で憲法違反のISD条項を含むTPPでは、国としての自己決定権を奪い、日本の市場全般を米国のグローバル企業の餌食として差し出す。 その結果、国民の生活水準は発展途上国水準に引き下げられ生活の破壊が進行することになってしまう。これは人件費を引き下げなければ国際競争力がなくなるという欺瞞の「大義名分」からだ。

 TPPはマスト(不可欠)だと楽天の三木谷社長がかつて語ったそうだが、彼は国民の99lを犠牲にしてグローバル企業をめざす1lの側の人物なのだ。そういえば楽天社内の公用語は英語だそうな。

(注)孫崎享『戦後史の正体』(創元社)。またこの人および堤未果氏の出るユーチューブの動画はじっくり見る価値があり勉強になります。ぜひおすすめします。


死をめぐるあれやこれ(11) 101号(2015年6月)
死に上手
 先日落語家の桂米朝さんが亡くなった。私はその高座は二三度聞いたことがあるだけだが、昔推理作家の小松左京氏との掛け合いのラジオ番組を毎週楽しみに聴いていたのが記憶に残っている。大学に入学したばかりのころで、お二人の博覧強記とユーモアに魅了されていた。

 その死亡ニュースの中で、弟子の桂ざこば氏が「上手に死なはった」とくちゃくちゃの泣き顔で語っていたのが妙に印象に残った。人は上手に死ねるものなんだと。

 私はかねがね、人生は良かったとか悪かったとかと要約できないものだと考えてきた。これはつまり生きるのが上手とか下手というものはない、ということになる。しかし死ぬことについては上手下手がある、ということは新鮮な驚きだった。

 でもいったいそれはどんなことを意味しているんだろうか。まず本人が苦しまないということがあるだろう。本人が「死」をあまり怖がっていない、ないし「この世」にあまり思い残す心配事がないということもあるだろう。それに加えるなら周囲の人にあまり悲嘆を与えない、というのもあるかもしれない。何かを成し遂げたというその人なりの満足があることを見て取れることなのかもしれない。

 ひるがえって何もなしとげず、死を恐がり、ひたすら避け、この世に未練たらたらな自分がいることを認めざるを得ない・・・。


死をめぐるあれやこれ(10) 100号(2015年5月)
戦争で死滅する国へ
 悪夢を見た。

 今この国が戦争で死ぬ国へと、作りかえが進行している。ちょっと冷静になって考えてみるとそれを見るのは容易。昨今の立て続けの立法は、国民の権利を狭め戦争のできる国を作っていくために周到に準備して外堀から埋める。改憲ではハードルが高すぎと見て個々の立法を重ねてなし崩す。反対運動を結集させにくくする狡猾なやりかた。それでも国民の知る権利を奪い生存を脅かすのは同じ。国民は景気に目をうばわれ驚くほど従順になっている。

 加藤周一はかつて、新しい立法は時限爆弾ににている、という趣旨を語った。戦前の言論弾圧に猛威をふるった治安維持法でさえ、成立から十年以上はほとんど動かなかった。そしてある日、多数の最良の人の命を奪う怪獣として目覚める…。この間、政府は国民に対していくつかの時限爆弾を仕掛けた。

 この政府が顔をむけるのは国民へではなく大企業であり、国民は大企業のおこぼれで生活せよというのが、政権の基本スタンス。

 巨大メディアがこの動きに有効な批判どころか、政権のお先棒をかついでいることは特筆できる。「報道は政府の意向に沿うものを」と某国営放送会長が言ったとか。本音だろう。この人選でも、戦前東條内閣の大臣・岸信介がかわいがった孫は周到のようにみえる(彼の夢は祖父の夢に重なっている)。政府中枢と大企業トップと、台頭するだろう軍閥。この構図はいつか見た光景。戦前の暗い谷間の時代によく似る。

 それにしても、これだけ大きな作り替えが行われているのに、これに反対する声が大きくならないのは、異様だ。時限爆弾の信管を取り外すためにも、当てにできない巨大メディアではなく、このようなミニコミ紙の存在の意味が大きくなる。乞う読者のご支援を。

 というところで、汗まみれで悪夢からさめた。しかし現実と悪夢の違いがよくわからない…。


死をめぐるあれやこれ(9) 99号(2015年4月)
夜の爪
 夜に爪を切ると親の死に目に会えない、というのは誰が言い出したことなのだろう。少なくとも私の幼いころ故郷の岐阜ではこのような言い伝えがあり、私は幾度も聞かされていた。うっかり晩ご飯の後に爪を切ろうとすると、親や兄弟などの家人からそれを言われて、そそくさと爪切りを引き出しにしまい込んだのを覚えている。「親の死に目に会えない」というのが、とてつもなく恐ろしいことで、これ以上ない親不孝なことなのだと、私の意識の中にすり込まれていったのだと思う。

 大学に入って故郷の岐阜を離れ、以降は関西で大学生活をおくり、そこで就職、結婚、子供もでき、故郷で暮らすことはもう30年以上なかった。親たちは相変わらず住み慣れた古い家に住み続け、母親は認知症になり介護が必要になったが、それでもその家に住むことにこだわった。三人の子供は親とともに住むということはなく、私が週末に帰るということが何年か続いた。しっかりしていた父親があっけなく亡くなり、何年かたって、寝たきりになっていた母親もその家で亡くなった。そのいずれの時も、私は死に目に会えなかった。そして私は自分に対してそれを責めていた。その後何年か経った今、改めて「親の死に目に会う」のが何なのだ、と思ってみる。

 しかし相変わらず今でも、私は夜に爪を切ることができない。


死をめぐるあれやこれ(8) 98号(2015年3月)
「どんぐり」
 私は中高生のときから寺田寅彦の科学エッセイのファンだった。今でもそうで、毎年思いついては岩波文庫のエッセイ集を拾い読みする。

 「伊吹山の句について」では、滋賀県の伊吹山近辺の特異な気象について考察をしている。このあたりは琵琶湖を吹き渡ってくる湿った北風が、日本海側の雪や雨をもたらしてくる。日々伊吹山の姿を身近かに見て育った私は、今でも年に何度もJR在来線で米原あたりを通過するので無関心ではいられない。

 また寅彦は身近に見られる現象、たとえば金平糖がなぜあんな角を生やしてくるのかや、キリンがどうしてあんな模様をしているのかといったことに対して物理学的な議論を展開している。最近になって動物の皮膚の縞や割れ目模様がどうしてできてくるのかといった形態形成についての科学理論が出てきているようなので、時代を先取りしていたといえる。

 このように寅彦のエッセイの魅力は、身近な自然現象についての理知的な考察の過程にあると思っていた。しかし「どんぐり」という作品は、亡くなった妻の姿と、残された忘れ形見の娘の、どんぐりを無邪気に拾う姿が重なり、哀切きわまる文章。私はこの短い文章を愛している。(この作品は、ネット上「青空文庫」で無料で読むことができます)


死をめぐるあれやこれ(7) 97号(2015年2月)
人はよく生きることは可能か
 今年の正月、私には二つの収穫があった。一つは一月二日に大雪の愛宕登山をして、生涯初めて冬山の素晴らしさを体験したこと。そしてもう一つは小さな発見をしたことだ。これについて説明をこころみる。

 私は「心」についてのある仮説を作っているのだがそれはあんまり抽象的なので説明するのがなかなか困難だった。最近その仮説から「人はよく生きることはできない」という一つの帰結を導くことができることに気づいてしまった。

 人は通常の精神状態にあるとき、ある限定した領域の範囲で「よいこと」「最善」ないし「よりよいこと」を求める存在だと考える。これは「主観」であってもよい(むしろそれしかない。それぞれの人が違った価値基準を持つのはいうまでもない)。だがいくら主観であっても、比較ができる構造が必要だ。善悪・良し悪し・より良い、などはまさに比較をしている。この比較の仕方はさまざまあるが、比較するには何らかの形の「基準」が必要になる。科学技術では比較を数値化して効率的に探求する。個人の感情のレベルでも、病的であったり激情で思考過程が障害される場合を除けば、この比較の過程は働いている。たとえば金をもうけるにはどうすればよいか、また彼女にもてるにはどういう方法をとるか等々、日々の生活の中で我々はこのように比較を行っている。

 私は、人というものが「善いもの」「よりよいもの」を求め、探求し続ける存在だと考えている(目的合理性)。しかしこれが可能なのは、その適用範囲が限定されている場合に限られる。「人生全体」といったように範囲が無限定な場合、つまり「全体」が対象になる場合には、その全体に一貫した「基準」は存在できず、この比較の過程そのものが成立しなくなる。人の人生全体は特定の一つの基準をもとにして善し悪しを判定することのできない構造をもっている、というのが私の小さな発見なのだ。

 比較可能なのは「全体」ではなく「部分」だけに限られる。したがって「よく生きる」といった人生全体に関わる事がらについては比較は成立せず、結果「人はよく生きることは不可能だ」という結論が導かれる。

 これ以上を問われれば、私の理論を全面展開する必要が生じてくるが、それには恐らく厚めの本を一冊書く必要が出てくる。この本を書くことを私は年来の宿題としているのだが・・・。本日の教訓:人は「よく生きる」ことはできない。なぜならそれをはかる基準が存在しないから。もしまじめにそれを論ずる人がいるとすると、どこかに誤解ないし欺瞞があるだろう、ということになる。


死をめぐるあれやこれ(6) 96号(2015年1月)
「良寛」
 正月なので、めでたい話題をと探したが、タイトルがタイトルなのでなかなか見つからない。ただ有名な「門松は冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」というのが頭をかすめたのみ(これは一休さんの狂歌だとか)。

 これだけではあまりなので、今回はかねがねやってみたかった『厄除け詩集』のまねごとで、良寛さんの漢詩の訳を試みた。親友の有願老人が説
法するのに偶々行き会って作ったという「偈(げ)」。

似欲割狗肉 羊のかんばんで
当陽掛羊頭 犬肉をうりさばく
余亦同臭者 実はワシもご同類
優々卒未休 なにが因果か
        止められぬ

 なにやらあやしげな雰囲気。このコラムそのものも思わせる。またこの「芥川だより」の編集者と小生の関係も連想させる。さらに谷川俊太郎の「鳥羽」という詩の中の一節、
「本当のことを云おうか/詩人のふりはしているが/私は詩人ではない」というのまで思い出してしまった。
正月から怪しげなことになったが、今年もよろしくお願いします。


死をめぐるあれやこれ(5) 95号(2014年12月)
「パノプチコン」
 先日新聞の一面広告で、信州の先進的な巨大総合病院の全景の写真がでていた。驚いたことに、それはパノプチコンの構造をしていた。

 このパノプチコンというのは、功利主義の父親といわれ「最大多数の最大幸福」の言葉で知られる哲学者J.ベンサムが考案したという構造で、数棟の建物が放射状に配置されてその中心部にコントロール機能が置かれたような建物である。徹底した功利主義者のベンサムはこれを、囚人を効率よく管理できる監獄の建物として考え出した (教育的でもあると信じたらしいが)。現代でも日本を含め世界中の監獄で実際にこの構造を採用しているものは多いようだ。

 なるほどちょっと考えればこの構造、人を管理する目的には省力化できて非常に合理的・効率的にちがいない。この総合病院の建物では病棟をこのパノプチコンに割り当てているのだろう。管理するという視点では病人も囚人もあまり変わりはない。

 しかし生と死のせめぎ合う場である病院と、犯罪者を収容する監獄との相同性には単なるメタファー以上のものを感じる。ホロコーストの整然たる合理性・効率性を連想してしまうのは考えすぎだろうか。

 さらには今の日本という社会、人の(生と)死が徹底的に管理をされているような気がしてしまうのだ。我々は目に見えない多くのパノプチコンにとりまかれていないと、はたしていえるのだろうか。ふとそう考えてしまったことであった。


死をめぐるあれやこれ(4) 94号(2014年11月)
「今日は死ぬにはよい日だ」(続)
 前回、アメリカ先住民のこの言葉を表題にした次の詩を紹介した。
「今日は死ぬにはとてもよい日だ。/あらゆる生あるものが私と共に仲よくしている。/あらゆる声が私の内で声をそろえて歌っている。/すべての美しいものがやってきて私の目のなかで憩っている。/すべての悪い考えは私から出ていってしまった。/今日は死ぬにはとてもよい日だ。/私の土地は平穏で私をとり巻いている。/私の畑にはもう最後の鋤を入れ終えた。/わが家は笑い声で満ちている。/子どもたちが帰ってきた。/うん、今日は死ぬにはとてもよい日だ。」(Nancy Wood, Doubleday)

 この詩を翻訳して、作家であり料理研究家である丸元淑生氏は、次のように語っている。「こういう死は病院では迎えられない。笑い声にあふれたわが家で、老人はいま死と対面をしているのだが、心にあるのは美しいもの、内なる歌声、そして生命への慈しみである。それは星の降る大地の上でしか、見ることも聞くことも感じることもできないのかもしれないが、誰しも天寿を全うしたときには、これに似た幸福感が得られるのではなかろうか。死とはまさに生涯をかけての達成なのである。」(丸元淑生「地方色」)

 これは、死についての非常に美しいイメージである。丸元氏のこの文章は氏の死生観が現れていて、まさに「かくありたき死(と生)」を語っていると思う。「死とはまさに生涯をかけての達成なのである」という認識には、私も烈しく同意したい。

 しかし私はこの句に、依然として不気味なもの、「何か違うもの」を感じ続けていることを否定できないでいる。それが何かは、今の私にはわからない。(尚丸元淑生氏の最期については、ご子息の康生氏の「死ぬのによい日だ」『ベストエッセイ集 死ぬのによい日だ』(文芸春秋社)所収)を読まれることをおすすめします)


死をめぐるあれやこれ(3) 93号(2014年10月)
「今日は死ぬにはよい日だ」(Today is a good day to die.)
 この言葉を初めて知ったのは、たしかネットのギリシャ語学習のサイトだったと思う。そんなわけで、ギリシャかローマの格言かと思っていたが、実はアメリカの先住民の言葉だという。この言葉に出会ってから私はこころの中に、何か不気味な棘のように引っかかるものを感じ続けていた。

 この言葉を発するこができるのはどんな場面なのだろうかと考えてみる。「今日、死ぬ」というからには自分が死ぬことを覚悟している。しかもそれが今日だ、ということは死ぬことを自分の意志である程度コントロールできる状況にあるはずだ。病死や老衰死では自らの死をコントロールはできないはず。それができるとすれば、自殺か負け戦(いくさ)を覚悟した戦闘だろう。

 調べていくとこれはどうもアメリカ先住民の、出陣前の戦士の言葉であったようだ。しかしこの句を有名にしたのは、ナンシー・ウッドという女性が次のような詩を含む本で、アメリカ先住民の智慧の言葉を紹介してからのようだ。その詩とは、

 「今日は死ぬにはとてもよい日だ。/あらゆる生あるものが私と共に仲よくしている。/あらゆる声が私の内で声をそろえて歌っている。/すべての美しいものがやってきて私の目のなかで憩っている。/すべての悪い考えは私から出ていってしまった。/今日は死ぬにはとてもよい日だ。/私の土地は平穏で私をとり巻いている。/私の畑にはもう最後の鋤を入れ終えた。/わが家は笑い声で満ちている。/子どもたちが帰ってきた。/うん、今日は死ぬにはとてもよい日だ。」(Nancy Wood, Doubleday)

 ここには、平穏で満ち足りた死を迎える人の姿が描かれている。


死をめぐるあれやこれ(2) 92号(2014年9月)
「メメント・モリ」
 「memento mori」とは、ラテン語の警句で「死を想え」ないし「死を忘るな」という意味。ずいぶん前になるが藤原新也氏*の「メメント・モリ」という本に衝撃を受けたことがある。

 インドなどの写真に文を合わせた内容だったが、ガンジス川とおぼしい大河の荒涼とした川原に一人の裸体の男がうつぶせに横たわり、その身体の上に二匹の野犬が足をのせ、一匹が男の足の先を銜えている。その周囲には幾羽ものカラス。「人は犬に喰われるほど自由だ」というキャプションも衝撃的だった。

 この写真集が出てからはもう二十年以上も経つだろう。この本の中のインドには、我々日本社会で暮らす者の日常の目には、ひた隠しにされる人の死の有様が、あからさまに放り出されていたといえるだろう。(現在のインドがそのままなのかはわからないが)

 そもそも我々の住む日本の日常生活の中では、人生の重要な側面、実相と呼べるもののいくつかは、タブーのように綿密に仕組まれて日常生活から隠蔽されているように私には思える。その最重要のものの一つが、人の「死」の現実ではないだろうか。我々はそれに目を背けることなく、注視することが必要ではないか。すくなとも想像力を働かすことのできる程度には・・・。そのときに有効な言葉の一つが、これ「メメント・モリ」だろう。


死をめぐるあれやこれ(1) 91号(2014年8月)
「九相図」
 一年の中で八月は、死について思いをめぐらすことが多いように思う。
お盆の季節であること、また戦争にまつわるさまざまな記憶が語られる季節、ということもあるだろう。

 「九相図」*というものをご存じだろうか。私も初めて知ってからまだそれほど経っていない。京都では有名なお盆の精霊迎えの行事(8月10日)、六道珍皇寺*の「六道まいり」*の行事。この近く、松原通りの「六道の辻」*と呼ばれる四つ辻に「六道の辻地蔵尊・西福寺」があり、この日にあわせて地獄絵やこの「九相図」*が公開されている。

 あるお后(檀林皇后といわれる)が「自分の死んだ後は、葬式をせずに遺骸を野原に捨てよ。その姿を見れば、色欲に捕らわれた者たちを少しは悟らせることができるだろう」と遺言され、その通りに実行された。その遺体が朽ちていく様子を九段階に分けてリアルに解説、絵で表現したもの。私の感じでは科学的にもかなり正確な描写であるように思う。このようなことを実行することができるとは、このお后、究極の教育者であるかもしれないなあと、思ったことだった。覚悟して見ないとトラウマになりそうな絵巻だが、一見の価値がある。

(なお「*」のついた語は、検索おすすめ語)

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