絵馬は語る

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 祇園石段下のバス停から東大路を一駅南へ行ったところに、安井金毘羅神社があります。ここは知る人ぞ知る縁切りの御利益があるという神社なのです。うわさに聞いてはいましたが、先日初めて行ってみましたので、ご紹介しましょう。

鳥居をくぐると、広からぬ境内の本殿前に、祈願を書き付けた絵馬がびっしりと奉納されています。

 本殿の横には、これは見たことのないもの。何か穴のあいた石碑の上に、白いお札がびっしりとのせてあります。脇にある立て札を読んでみると、『悪縁を切る 縁切り・縁結び碑(いし)』だとのこと。
 この石碑の穴をくぐり抜け、その後で石碑の上にお札を貼ると願いがかなうということらしいのです。ただし表から裏へ抜けるのが「縁切り」で、逆に裏から表へと抜けるのが「縁結び」。これは間違えると大変なことになりそうです。

 さて、この神社のディープなところは、何といってもその絵馬の内容にあります。ここは祇園の歓楽街のほど近く、勢い恋愛関係の祈願、それも「縁切り」をテーマにしたものが圧倒的に多いのです。
「今までいじめられていた悪縁を切り
人間関係を含め良縁になりますように
     △子」

「めんどくさがり屋の性格や無精のところと縁が切れて生活を規そく正しくなるように
そうじもきちんと出来るような性格になれますように
     ○子」

「仕事場の不仲の人と縁が切れました。本当にありがとうございました。また悩む様な事があったら、よろしくお願いします。一生懸命仕事頑張ります。」

こういった願かけは、正統派に属すると思います。読んでいる我々としても、思わず「がんばれ」と応援をしたくなるのです。

 また上のような絵馬は何となくほのぼのとします。「恋愛体質」って何だろう?それに悩んで卒業したいと思っている中年の女性。しかも彼女は、自分の意志ではそれが無理だということをわかっているらしい。明日からもまた彼女は、その「恋愛体質」に身をまかせて生きていくのだろうか・・・。

 しかし、絵馬はこのようなものばかりではありません。
「夫・某と早くきれいに離婚が成立します様。悪縁が切れます様。
 そして一日も早く自分の人生をしっかり歩んでいけます様。
      ○○  日付」
このような、自分の離婚を望む(女性の)願かけは、一つのジャンルを形成しています。その背景となる生活が透けて見えるようです。
 「夫婦縁切」と冷たく言い放った絵馬は、男の側からのもののように思えます。

「△△(男の名前)の全ての女の縁が切れて、私の元に戻って来ますように。
そして二度と離れることなくずっと仲良く一緒にいれますように
      ○○(女の名前) 」
他の女に心変わりした男をもどそうとする願もまた一つのジャンルです。しかし注目すべきは次のようなものでしょう。

「S(男)とA(女)がこの三月で離婚し、Y(女)とSの縁を結んで一緒に幸せになりますように。
        Y 日付」

「M(男の姓)が私と子どもの元に戻って来ますように
絶対に奥さんと別れて私の側に来ますように
     ママと子ども」

「おじちゃまが奥さんと早く別れて、私と結婚できますように。
そして無事に子供を授かりますように。一日も早くその日が来ますように。
      M子 日付」
無邪気な不倫、深刻な不倫、同情できるもの、身勝手さが見え透いているもの・・・。こういった絵馬がゴマンとぶら下がった境内。
 こういう絵馬を見て、『悪縁を切り、良縁を結ぶ』というこの神社のメインコンセプトを考えるとき、一体何が「良」くて何が「悪」いというのか、それは人間のエゴに過ぎないのではないか・・・。思わず一とき哲学的な思索に耽ってしまったことでした。

 あまりに濃厚な絵馬の世界に思わず引き込まれて、時間を忘れていました。ふと気がつくと、そばには古い絵馬を展示してある記念館がありました。その中に、下のような数学の幾何の問題を書いたものがあったのです。江戸時代に和算の問題を絵馬にして奉納したということを私は知っていました。これはその現代版なのでしょう。「この問題が解けた人は、希望校合格間違いなし」と太鼓判を押されていますが、「恋愛の幾何学」の解読に疲れた頭では、とても解くことができない私でした。

このように、ここ安井金毘羅神社は、京都の中で真にディープなスポットと言えるでしょう。

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