元祖と本家

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皆さんは、あぶり餅という食べ物をご存じでしょうか。

 写真をご覧になるとわかるように、細い竹串の先に餅をつけ、何本か束ねたようなものです。これは餅にきなこをまぶしたもの炭火であぶって、香ばしくこげ目をつけ、最後に白味噌のタレに浸けて、できあがりです。
餅のこげた香ばしさと、タレの上品な甘さがマッチして、なかなかな味です。私の子どもも大好きです。先日子どもと一緒に久しぶりにあぶり餅を食べに出掛けました。

このあぶり餅を商っているのが、京都は洛北紫野にある大徳寺の北西、今宮神社の東側の参道に向かい合っている二軒の店です。

上の写真は今宮神社の東参道を写しているのですが、右側が「一文字屋(または一和)」、左側が「かざりや」です。
この二軒は、互いにライバル関係にあるようで、その暖簾を見ると下のようになっています。

      

つまり、「元祖・正本家」と「本家・根元」と、互いに主張し合っているのです。
さて今日はどちらに入ろうかと、一瞬迷いましたが、行き当たりばったりで、一文字屋の方に入ってみました。実は肝心のあぶり餅の味は、私にとってどちらもさほど変わりがないのを知っているのです。

炭火を扇風機でいこしながら、きなこのついた餅の束をてのひら一杯にもって、あぶっています。道路には餅のこげる香ばしい煙が流れてきます。その奥では、あぶり上がった餅を白味噌仕立てのタレに浸け、お皿に盛って客に出すのです。

 このお店の中に時代がかった暖簾が吊り下げられているのを発見しました。煙った暗い店の中で撮った画像ですが、読んでいただけると思います。「元祖・創製」「正本家・血続二十三代目」ふうん、すごいね。「一文字屋・和助」なるほど、だから縮めて「一和」なんだ、とここまでは何となく納得しないではない。
 だけど「長保二年」というのはいつ頃のことなんだろうね、と子ども。きっと江戸時代なんだろうね、といいかげんに答える私。
 あぶり餅をおいしくいただいて家に帰り、気になったので「長保二年」を百科事典で調べてみると、思わず目が点になりました。何と「長保二年」はちょうど西暦1000年に当たるのです!これが本当だとしたら、このお店は千年の歴史をもっていることになります。
 年表によるとこのころは無論平安時代で、藤原道長がまだ権力を把握しつつあるところで、長保一年に娘の彰子を天皇の後宮に入れています。この彰子のサロンで紫式部が活躍して「源氏物語」を書くのですから、まだ「源氏」もできていない頃というのです。
 これはちょっとと思い、もう少し調べると、今宮神社の創建が長保二年だということなので、この暖簾の記述もそれにならったものなのでしょう。京都の街は、応仁の乱(1467‐77年)で焼かれて断絶がありますので、民衆レベルでそれ以前のものが残っているのは、珍しいと言われます。また「血続二十三代」も千年で割ってみると約44年になり、これは一世代としてはすこし長すぎるような気もします。
 とは言っても、別に私は頭から否定しようとしているわけではないのです。にわかには信じられないほど、長保二年の創業というのが、素晴らしいということを言いたいのです。
一方のかざり屋は、インターネットの情報によると、350年前の創業ということらしく、これは江戸時代の始まりのころで、何となく信じやすくはあるのですが・・・。
 詮索はこのくらいにして、皆さんも機会があればぜひ、このあぶり餅を賞味してみてください。この餅を食べると疫病に良く効くと言われているのです。ちなみに、どちらの店でも一皿15本、五百円也です。これは、ライバル同志で協定をされているようです。

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