耳塚

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 耳慣れない名前だと思いますが、これは歴史的にも大きな意味をもった記念碑です。京都にこのようなものがある、ということをみなさんにも知っていただきたいと思います。この傍らにある解説文を以下に引用してみます。
 この塚は、16世紀末、天下を統一した豊臣秀吉がさらに大陸にも支配の手をのばそうとして、朝鮮半島に侵攻したいわゆる文禄・慶長の役(朝鮮史では、壬辰・丁酉の倭乱、1592〜1598年)にかかる遺跡である。
 秀吉輩下の武将は、古来一般の戦功のしるしである首級のかわりに、朝鮮軍見民の鼻や耳をそぎ、塩漬にして日本へ持ち帰った。それらは秀吉の命によりこの地にうめられ、供養の儀がもたれたという。これが伝えられる「耳塚(鼻塚)」のはじまりである。・・・
 秀吉が惹き起こしたこの戦争は、朝鮮半島における人々の根強い抵抗によって敗退に終わったが、戦役が遺したこの「耳塚(鼻塚)」は、戦乱下に被った朝鮮民衆の受難、歴史の遺訓として、いまに伝えている。
とされています。尚この耳塚は、国立博物館の西側の道を北に上がった豊国神社の前にあります。

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