山寺

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 これは京都ではなく、私の故郷の岐阜の風景です。山寺の鐘楼が枯れ木を透いて見えています。ここの鐘は、毎時鳴らされ、岐阜の街に時を告げているのです。私はその鐘を聞きながら育ったのでした。岐阜の旧市街は高齢化が進んで、街自体が歯抜けのようになっています。手前の家も廃屋のようになっています。街自体にも、年齢があるように思います。岐阜の街の再生を望みます。

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