家族の記憶
−「応召記念」−

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 8月は何かと戦争の記憶が蘇る季節です。私の家でもセピア色をした写真があるので、それをご紹介したいと思います。これは父の兄が徴兵され家を出て行くときに撮られたものです。当時は徴兵に取られるとき、このように記念撮影をする習慣があったようです。
 見覚えのある私の実家の前で左から父方の祖父母、父の次兄、そしてこのとき応召する父の長兄とその新妻(不思議なことに父は写っていません)。この二人の伯父たちはどちらも戦死・戦病死しています。この時応召した伯父は中国大陸に送られ、そこで亡くなったのでした。
 この伯父は当時では珍しく写真に凝っていたようで、実家では中国での写真が残されています(機会があればこれもご紹介したいと思います)。また伯父が使っていた蛇腹のブローニー版の折りたたみのコダックが残っていて、当時天文少年だった私は中学時代にこのコダックを天体望遠鏡に取り付けて月面の写真を撮った記憶があります。
 ここに写っている人たちは、今となってはすべて故人となってしまいました。このような時代があったことを是非次の世代に残していきたいと思うのです。

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 最近、『学徒兵の精神誌「与えられた死」と「生」の探求』(大貫恵美子著 岩波書店 2006年)という本を読みました。
以下に掲げる、この本の最後の部分が印象的でした。
(東大在学中に徴兵され特攻死した)「中尾は福岡高等学校卒業の時の寄せ書きに「だまされんぞ」と書いた。しかし、悲しいことに、彼はそれを徹底的に固守することができなかった。それは我々がここまで読んだきた彼の日記に明らかである。今日の我々が、彼に代わって、決して「だまされ」ることなく戦争の残酷さと無意味さを見つめ続けること、それがせめてもの追悼、責任であろうと私は思う。」

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