夜明け、金星のもと人文研の尖塔は白く輝いた
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・京都の閑静な住宅街・北白川に忽然と現れる尖塔は、旧人文科学研究所のものです。スペイン風の様式をもつこの建物は、近くにビルのない住宅街で一際目立つ存在です。私は、これを京都の中でも屈指の名建築だと思います。

・この研究所は、桑原武夫を初めとした京大方式の共同研究のメッカでした。ここでは、人文科学の垣根を越えた幅広い分野の研究者たちが集まって、一つのテーマに対して、多角的なアプローチをしたとされ、その成果は高く評価されているとのことです(例えば、フランス革命の研究、ルソーの研究など)。そういえば、京大式カードシステムというのは、この人文研の共同研究から生まれてきたということです(梅棹忠夫『知的生産の技術』岩波新書)。
・いまでは残念なことに、人文研の本館は東一条の味気無いコンクリートの建物に移っていますが、この建物は人文研の一部として研究のために使用されています。
・この建物の付近の北白川小倉町は、貝塚茂樹氏(湯川秀樹のお兄さんで、中国古代史の碩学だった)の旧宅があり、また近くには映画俳優の大川橋蔵や高田浩吉の旧宅があったりする地区です。また付近には、昔から学生下宿が多く(ちなみに私も学生時代もう少し北に行ったところに下宿していました)、学生向けの安酒場などがたくさんあります。そんな訳で人文研の若い研究者たちもきっと安酒場で熱く議論したことでしょう。終電車を気にする必要のない、こういった環境が、分野を越えた共同研究を促進した一つの要素だったと、どこかで読んだ記憶があります。
・部外者にとって、この建物の内部はなかなか見ることのできないものですが、私は二三度中に入ったことがあります。それは人文研が毎年開催している一般向けの講演会で、今では東一条の本館で行われているのですが、十年程前まではこの建物の中で行われていました。
・この講演会は、夏休みに三日間ほど開催され、若手の研究者たちがその成果を発表するという体のものです。

・この建物の玄関を入るとすぐホールがあり、そこにはガンダーラの仏頭や、ギリシャ風の乙女の像といったものが、そこここに無造作に配置されていました。そういった像の間に並べられたイスに腰をおろして、中庭からの輝く光にまだらに照らし出された少女の像の横顔に目を奪われながら、中東の遺跡の話しや中国の古代史の話しに聴き入るといった具合でした。
・時おり涼しい風が吹き入ってくる中庭は矩形で、芝で覆われ、中央に西洋風の井戸が掘られています。この眩しい光に満ちた中庭と、その中庭を取り囲む回廊とホールとのほの暗さ、そして回廊やホールのそこここに置かれた仏頭やテラコッタは、人を異次元の世界に運ぶ力を持っています。
・この建物の外壁には、日時計が取り付けてあり、これがアクセントになっています。建物の外壁に取り付けられた日時計は、ヨーロッパにはよく見られますが、日本では珍しいものです。

・二十数年前、まだ学生だったころの秋の一夜、私は学生サークルの活動をして、東九条という京都の南の端の地域で仲間と酒を飲んでいました。学生運動の高揚の余波が残っていた当時、なかなか熱した議論になり、気がついたときにはすっかり夜も更け、バスや電車がすっかりなくなり、かといってタクシーに乗るようなぜいたくはできず、京都の南の端から北の端にある私の下宿まで歩いて帰ったことがありました。『五条楽園』といった少し危ない地帯をドキドキしながら過ぎ、四条・三条を上がり、北白川までたどり着いたときには、空はほんのりと白みはじめていました。
・ふと目を上げると、そこには明々と明けの明星が光り、人文研の尖塔がほの白く輝いていたのでした。

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