下鴨神社矢取りの神事
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京都の歴史とほぼ並行する歴史をもつ下鴨神社には、一年を通じていろいろな行事が行われています。その中には、葵祭りのような有名なものもありますが、世間にはあまり知られていないものがいくつもあります。その中で、たまたま今年、私が見ることのできた矢取りの神事を紹介しましょう。
この行事は毎年、立秋の前夜に行われているそうです。十数名の厄年を迎えた『裸男』《ハダカオトコ》と呼ばれる男たち(現在では、下鴨地区のボーイスカウトの世話をしている人たちらしい)が、御手洗川に二本の大きなものを中心に、円形に立てられた『五十櫛』《イグシ》と呼ばれる矢の形に似た櫛を奪い合う、という行事でなのです。
イグシと御手洗川
この『五十櫛』は霊験あらたかで、この一年無病息災で過ごせるといいます。従って見物人たちは、この矢を手に入れたがるのですが、何せ数が50本にすぎないので、神社がそつなく準備したお祓い済みの小型の矢を、いくばくかの金額を払って入手することになります。
見物人は、ヤブ蚊と蒸し暑さを我慢しながら長い時間またなくてはなりなせん。しかし、この行事の見所であるイグシの奪い合いは、ごく一瞬で終わってしまうものです。
禰宜のご祈祷につづいて、お祈りを書き付けて、人々が奉納した『人形』《ヒトガタ》を、神主たちが御手洗川にいっせいに撒き散らします。暗闇の中を白い《ヒトガタ》のお札が、いっせいに撒かれるのは壮観で、これを合図に『裸男』たちは、一斉に矢に向かって突進し、一本でも多く取ろうと競い合う、ということになるのです。
この奪い合いは、ほとんど一瞬のうちに終わってしまうので、シャッターチャンスはほんの一瞬しかありません。上の写真も、人形《ヒトガタ》が花吹雪のように撒かれた瞬間からは、ほんの少し遅れてしまいました。二時間待って、クライマックスは5秒とない希有な行事と言えるのではないでしょうか。
しかし蚊を追いながら、二時間待つうちに、明るかった空が茜色に染まり、夕焼けの雲がやがて灰色へと一刻一刻変化し、夜の闇へと移って行くさまを目の前にし、こんなに空をゆっくり見たことは、子供時代以来、久しくなかったということに気づきました。
それゆえに、この行事のクライマックスが一瞬で終わることに、快いいさぎよさを感じるのでした。