◆百鬼夜行と透明人間(巻16.32)
今は昔、これはいつの時代であったかは定かでないが、都に下っ端の若侍がいた。
常日ごろ六角堂に参詣し熱心に信心をしていた。ある年の大晦日、夜になって所用ができ、知人のもとに出かけていたのだが、夜更けて家に帰ろうと、一条堀川の戻り橋をわたって西に行こうとしていた。すると西の方角から多くの人々が火を灯してこちらに向かってくる。「高貴な方がお通りなるのだろう」と考え、この男、橋の下に急ぎ降りて姿を隠した。その一団がやってきて、橋を東の方向へ通り過ぎるのを見上げていると、何とこれは人ではなく、恐ろしい形相をした鬼どもが行進していくのだった。一つ目や、角を生やしたの、あるいは何本もの手があるもの、さらには一つ足でピョンピョンはねる奴までいる。
男、これを見て生きる心地もせずあっけにとられていると、鬼の一団がまさに通り過ぎようとするとき、最後の鬼が「ここに人影があるぞ」と気づいた。「そのようなものは見えないが」、「すぐに捕まえて、引き連れてこい」と別の鬼が言う。「もうだめだ」と男は観念していると、一人の鬼が走ってやってきて、男をわしづかみにして橋の上に引き上げた。鬼どもの相談するに「この男はたいして重い罪を犯したわけでない、許してやろう」ということになり、四五人ばかりの鬼が、男にツバを吐きかけて、そのまま過ぎて行ってしまった。
その後この男、殺されずに済んだのを喜び、気持ちは動転し頭はガンガン痛むものの、「早よ家に帰って、この事を嫁さんに話したろ」と、家路を急いだ。家に着いて入ると、妻も子どももこの男を見るのだが、話しかけようとしない。また男が話しかけても、返事をしようとしない。男不審に思い近くに寄ってみるが、そばにいても、いるように思わない。この時はっと気づいた。「そうや、鬼のやつがワテにツバかけたによって、ワテの身体は見えなくなってしもたんや。」そう気づくと、情けなくなってくる。自分には人が元のように見えているし、人の言うこともすべて聞こえている。ところが人には自分の姿は見えず、声も聞こえない。だから人が置いた食べ物を取って食っても気がつかない。・・・こうして夜が明けた。妻子は「ゆうべお父さんは人に殺されたにちがいない」と嘆きあっている。
六角堂のへそ石
こうして、日にちが過ぎていったが、いかんしようもない。それで男は六角堂に詣でお籠りをして「観音さま、ワテをお助けてくだされませ。長年ワテは願をかけお参りを欠かしたことはおまへん。そのおしるしに、どうぞワテをもとのように皆に見える身体にしておくんなはれ」と祈って、参籠の人々の食べ物や托鉢の飯などを取って食っていたが、そばの人々は全く気がつかない。こうして十四日ばかり経って、夜に寝ていると明け方の夢にご本尊のとばりの辺りから、高貴な僧が現れ、男の傍らに立ち次のように告げた。
「おまえ、朝になったら速やかにここを出て、初めて出会った者の言うことに従うのだぞ」と。このように言ったと思うと夢はさめた。
夜が明けて堂を出ると、その門ぎわに牛飼いの下男が、大きな恐ろしげな牛を引いていくのに出会った。その牛飼い、男を見ると「そこのおまえさん、ワシに付いて来な」と言う。男これを聞くと「ワテの身体が見えているんや」と気が付いて、嬉しくて、喜びながら夢のお告げに従ってこの牛飼いに付いていくと、西の方角に十町ほど行くと、大きな棟門(むねもん)があった。門は閉じて開かないので、この牛飼い、牛を門に結わえて、扉の隙間の人通れないようなところから入ろうとする。男を引っ張り「おまえさんも一緒に入れ」と言うので、男「こんな隙間からどうやって入るんや」と言うと、牛飼い「文句を言わずに入れ」と、男の手を取って引き入れると、男も一緒に入ってしまった。見渡せば、家の中は大きく、大勢の人がいた。
牛飼い、男を連れて板敷きの廊下に上がり、内にズンズン入っていくが、「誰や」といって咎めるような者もいない。随分奥まで入ってくると、姫君が病気で苦しそうに臥せっている。枕元や足元には仕える女房たちが居並んでお世話をしている。牛飼いは男をそこに連れて行き、小槌をつかませ、この臥せる姫君の傍らに座らせ、頭や腰などを打たせる。するとそれに合わせてこの姫君が頭を振り立てて苦しみもだえる。これを見た両親は「この病で姫さんの命もこれまでかいな」となげきあっている。辺りを見ると、お経を上げ、何とかという貴い修験者を呼んでくるとさわいでいる。しばらくすると、その修験者が到着した。臥せった姫君の傍らに座り、般若心経を上げて祈ると、この男感激して、寒い時のように総毛だった。
一方牛飼い男は、この僧を見るや一目散に逃げていってしまった。僧が不動明王の火界の呪文を唱え、臥せる姫君を加持すると、男の着物に火が付いた。見る間に焼けていくので、男は声を挙げて叫んだ。するとどうだろう、男の姿はすっかり見えるようになった。その時家の人々、姫君の両親はじめ女房たちには、随分下賎な男が病み臥せった姫君の傍らにいるのに気がついた。びっくりして、とり敢えずこの男を捕らえて、引出す。「一体これは、どういうわけや」と尋問すると、この男、事情をありのままに語ると、辺りにいた人々はみな、これに驚愕した。
ところで男が姿を現してから、臥せっていた姫君は、拭うようにすっかり病いが癒えてしまった。一家の人々が喜ぶこと限りない。このとき、修験者「この男には罪があるわけではない。六角堂の観音の御利益をこうむった者なのだ。従って早く放免しておやりなされ」と言うので、人々は男を逃がしてやった。
男は早速家に帰り、事情を話すと、嫁さんは驚きながらも喜んだ。あの牛飼いは疫病神の使者だったのだろうか。誰かの呪いによってこの姫君に取り付いて悩ませたのだった。
その後、姫君もこの男も病気にもかからず健康で過ごした。これは不動明王の火界の呪文の霊験あらたかなおかげである。
観音の御利益にはこのような驚くべきことがあるものよ、と語り伝えられていることだ。
《終わり》
清明神社に保存された一条戻橋
《コメント》
この巻16は、観音の霊験話を集めています。ここでは、六角堂の観音さまをとりあげています。
注目すべきは、透明人間のアイデアが、日本ではこの平安末期の「今昔」の世界にまでさかのぼる点です。これは、SF史上でも驚くべきことだと思います。ただ透明であることを自覚的に悪用するという発想はまだあまりないようです。
さらにこの話の中には「一条戻橋の説話」も盛り込まれています。一条戻橋は、昔から都と外部の境、この世と霊界との境をなすものとみられており、渡辺の綱の妖怪退治の話し(渡辺綱が橋上で美女に会い、その美女が鬼の本性を現したので片腕を切り落とした話。壬生狂言参照)も残っています。ここでは、大晦日の百鬼夜行が登場しています。そして鬼の唾(つばき)が透明人間にさせるのです。
現在でも一条戻橋は、一条堀川に架っていますが、この百鬼夜行の面影はすでにありません。ただ近くにある陰陽師・阿倍清明を祭ったことで有名になった清明神社の境内に、昔のこの橋の名残が保存されています。
なお平凡社の「世界大百科事典」には次のように解説されています。
「京都の〈一条戻橋〉は,橋占で名高い。この橋は,死刑を執行する〈果ての二十日〉(12月20日)に罪人が立ち寄り,餅と花を供えて,次にこの世に戻ってくるときは真人間になれと申し渡されたところでもある。第2次世界大戦中は,出征兵士がこの橋を渡って出発すると,無事帰還するともいわれた。」