◆三河の守大江定基が出家した話(第19.2)

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 今は昔、円融院の帝の時代に、三河の守(かみ)大江定基という人がいた。慈悲の心をもち、非常に才能豊かな人であった。六位の蔵人から五位に昇進し、三河の守に任ぜられたのだった。
 さてこの定基、本妻の外に輝くように美しい若い女に恋をして、通うようになった。この女への惚れ込み様は、一方ならぬものがあった。そうこうするうちに、本妻に発覚。本妻はこれを妬み激怒して、たちまち夫婦別れとなってしまった。その後定基は、この若い女を妻としてともに棲んだが、やがて任国の三河へこの女を連れて下った。
 三河の地で、この女は重病に罹り、長い間ふせり苦しんだ。定基は心をつくしてこの女のために、さまざまな祈祷などをして女の病気の回復をはかったが、病は徐々に重くなった。美しい女の顔はやつれ、身体も衰弱していった。定基の嘆きは深かった。とうとう女は病のために死んでしまった。
 定基は悲しさのあまり、きまりの野辺送りもせず、女の遺体を掻き抱いて添い臥していた。数日の後、女の口を吸うと、ひどい死臭がする。これにはさすがに耐え難く、疎ましい気持ちが起こり、なくなく弔いをした。その後この定基は「この世はつらく苦しいものだ」と、仏をたのむ発心をしたのだった。

 その三河の国には、風祭りという行事があった。里人たちは猪を生け捕りにして、生きながらさばいているのを見て、ますますうとましく道心をおこし、「早くこの国を出て、都に帰ろう」という思いが募った。

 またある日、生きたキジを捕らえ携えもってきた者がいた。守の言うには、「さあ、この鳥を活き造りにして食おう。きっと旨いに違いなかろう。」 これを聞いて家来の中の、守に取り入ろうとする者は、追従し「その通りでございます。旨くなかろうはずはございませぬ」としきりに勧める。少しは分別のある者たちは、「むごいことをしようとするものだ」と思ったが、口には出さなかった。
 こうして、この生きたキジの羽根をむしらせた。しばらくはパタパタとあがいていたが、それにはおかまいなくひたすら羽根をむしり続けると、キジはその目から血の涙を流し、しばたたかせ人間たちの顔を見る。そのむごさに耐えられず、そっとその場を去る者もあった。また「鳥が泣いとおる」と笑い、容赦なくむしり続ける者もあった。むしり終わり、さばかせる段になり、包丁が入るに従い血が流れでる。包丁を拭きふきしてさらに続ける。キジは断末魔の声をあげ事切れた。さばき終わり、あぶり焼きにして味見をする者、「ことのほか旨あであかんわ。死んだのをあぶり焼きにしたのとは格段の差だなも」と言うのを、じっと動かずに聞いていた守は、大粒の涙を落とし、声をあげて泣き出す。「旨い」と言った者は、肝を抜かした。守はその日のうちに国府を出て都に上っていった。出家の志し堅く、髪を切り僧侶になった。その名を寂照と云った。世間で三河の入道と云われるのがこの人なのだ。
      《以下、略》 (教科書に出ない度★)
《コメント》
 この段は、寂照という高僧の出家半生記といった内容で、ここに上げたのはその前半部。出家に至る経過を述べています。死んだ女に口吸い(キス)をするというのは、圧巻です。こんなところが、さすが「今昔」といえます。外の物語では考えられないように思います。
 後段のキジの場面は、定基の道心と逆行しています。語り手はこれを彼が心を固めるために、わざとしたこととして解釈していますが、私は彼の心の不徹底とみたいと思います。

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