今昔物語・巻20・7
染殿の后、鬼のために乱れる話し

目次ページへ  トップページへ

 今は昔、染殿の后と申されるのは、文徳天皇のお母上(実は后)であった。藤原良房大政大臣と申された関白の娘御(むすめご)であった。その容姿の美しさはぬきんでていた。ところがこの后、いつも物の気(け)に悩まされておられたので、種々のご祈祷をさせておられた。その中でも世間に知られた霊験あらたかな僧たちを召し集め、修験者の修法を行わせたが、少しもご利益はなかった。

 ところで、大和の葛木山の頂に金剛山というところがあるが、その山に一人の尊い聖人(しょうにん)が住んでいた。平生ここで修行を重ね、鉢を飛ばす行により日々の食事を得、瓶を遣って水をくんだ。こうして修行を重ねたので、その霊験は並びないものになった。しだいにその名声が高まり、そのうわさは天皇と父の大臣の耳に届くまでになった。天皇は「あの聖人を召しだして、后の病を祈祷させよう」とお考えになり、召し出すよう命令された。勅使がこの聖人のもとに使わされ、この事情を説明するが、聖人ははじめ幾度も辞退申し上げた。しかし天皇の命に背くことはできず、とうとう承知して参内したのであった。

*                 *

 后の御前にまかり出て、聖人は祈祷をしてさしあげる。するとその効果は著しく、后の侍女の一人がたちまち正気を失い興奮してなきわめきだした。侍女は神憑りとなりあたりを走り叫びまわった。聖人がさらに祈祷を続けると、この侍女は呪縛され祈祷で責められる間に、懐中から一匹の老狐が飛び出した。転がり倒れ伏し、走り逃げることはかなわない。聖人はこの狐を捕らえさせ縄に繋いで、二度と人に憑かぬよう教化した。父の大臣はこれを見て、たいそうな喜びようであった。そして后の病は二三日ほどで快癒した。

 大臣は喜んで、聖人にしばらく逗留するように勧めると、聖人はこれに従ってしばらく滞在した。季節は夏のころとて、后は単衣のみのお姿でおられた。そこへ風が几帳(きちょう)の垂れ絹をさっと吹き、まくれ上がった隙間から、ほのかに后の姿が見えた。かつて見たこともない美しい姿を目にして、聖人はたちまち心を奪われ、后に対し深い愛欲の念にとらわれたのだった。

 しかしなすべき方途もなく、聖人は心中悶々としていた。胸は焼き焦がされ、一ときも心から忘れることができず、分別を失って、人目を避け几帳のなかに忍び込んだ。聖人はついに后の寝ておられる腰に抱きついた。后は驚きあわて、汗みずくになって怖がったが、女の力では抵抗しようがない。后の力つきたところで、聖人は力に任せて、后を犯したのだった。

*                *

 これを見た女房たちが騒ぎたてた。ここに侍医の当麻の鴨継(かもつぐ)という者がいた。彼は天皇の命を受け、后の病を治療するために参内していたのが、殿上の方がにわかに騒がしく叫び声が聞こえてきたので、驚いて走って参上すると、几帳の内からこの聖人が出てきた。鴨継、聖人を捕まえ、天皇にこの経緯を申しあげた。天皇はたいそうお怒りになり、聖人を捉えさせ、投獄させられた。

 この聖人は、投獄されたとはいえ、まったく弁明せず、天を仰いで泣きながら自ら誓って言った。「我ただちに死んで鬼となり、この后の生きておられる間、念願のごとくに后と睦びあうのだ」と。獄司がこれを聞き、父の大臣に報告した。大臣これを聞いて驚き、天皇に奏上した。天皇は聖人を許し、元の金剛山へ返すことにした。

 そんなわけで聖人は元の金剛山に帰ったが、后を恋いこがれる思いは耐えがたく、后といっしょにいたいと強く願い、従来より帰依していた三宝に、懸命に祈ったが、この世では願いは実現できない。聖人「本願どおりに、死んで鬼になろう」と思って、断食をして、何も口にしなかったので、十日あまりで飢え死にした。その後、たちまちに鬼となった。その姿は、身は裸で、頭はざんばら髪。身の丈は八尺(二米二十四糎)ばかり、膚(はだ)の黒いことは漆を塗ったよう。目には金の椀を入れたようで、口は広く開いて、剣のようなするどい歯が生えている。また上下に牙がのぞいている。赤い褌を掻いて、腰には小槌を差している。

*                *

 この鬼が突然、后のおられる几帳のそばに立った。人々はこの姿をはっきりと目撃し、皆驚き惑い、その場に倒れ伏す者、逃げ出す者もある。女房などもこれを見て、ある者は失神し、ある者は衣を引き被ってふせってしまう。お側に出入りできない者は、目撃していない。

 そうこうする間に、この鬼の霊魂、后の正気を奪い狂わせてしまったので、后はすまし顔で身づくろいをし、微笑んで扇で顔をおおい、几帳の内に入られ、鬼と二人で共寝をされた。

 近くの女房たちには、日頃ただ恋しく侘しかったことなどを鬼が語るのが聞こえてくる。后もうれしそうに笑っておられる。女房などは皆逃げ出してしまっている。時が経ち、日が暮れるころになると、鬼は几帳から出て行ったので、「后はどうされているだろう」と女房たちが急いで参上するが、后のご様子は普段とお変わりにならず、「そんな事があったか」とも考えられる気配もなく、ケロッとしておられる。すこしだけその目付に、ふっと普通でない様子をお見せになる。

 この経緯を天皇にご報告申しあげると、驚き恐れられるというより、むしろ「后はこれからどうなってしまうのだろうか」と、たいそう嘆かれる。その後、この鬼は毎日同じように現れるようになったが、后は怖がるということもなく、正気をなくし、ただただこの鬼をいとおしい者として応対していた。これを見て、宮中の人々はみな后を哀れと思い、嘆きあっていた。

 そうこうする間に、この鬼は、人に託して言うに「我必ず、あの憎っくき鴨継の怨念を晴らしてやる」と。鴨継はこれを聞いて、心中恐怖におののいていたが、その後どれほども経たないうちに突然死んでしまった。また、鴨継の息子は三四人いたが、みな気がふれて死んでしまった。

 こんな事情なので、天皇と父の大臣はこれを見て、たいそう恐れられ、諸処の高貴な僧たちを集めて、この鬼を祈祷で鎮めようと、入念に祈らせたが、さまざまな祈祷が効果があったのか、この鬼三月ばかり現れなかったので、后のお心もすこし正気にもどり、元のようになられたので、天皇はこれをお聞きになって、「今一度、后にお会いしてみよう」と、后の住居の宮に行幸された。普段の行幸より特に感慨深いものとなった。さまざまな官位のもの欠けることなく従った。

*               *

 天皇は后の宮にお入りになり、后にお会いになり、泣きながらしみじみしたことなどをお話しになるので、后も感慨深く感じられた。外見も以前と変わらぬお姿であった。

 そうしていると突然、例の鬼が部屋の隅から躍り出て、后の几帳の内に入った。天皇はこれを「あさましい」とご覧になっている間に、后は様子が例のようにさっと変わり、几帳の内へ急いでお入りになる。

 しばらくして、この鬼は南の正面に躍り出た。大臣や公卿からさまざまな官位の者がまともにこの鬼の姿を見て、恐れおののき、「あさましい」と思う間に、后が鬼に続いて出てこられた。衆人の見る前で、鬼と共寝をして、口に出して言えない見苦しいことを、はばかることもさらになく、し始めた。やがて鬼が起き出し、続いて后も起きて奥にお入りになった。天皇は一部始終をご覧になり、なすすべもなくお嘆きになりながら、お帰りになった。

 そんなわけで、高貴なご婦人はこの話しを聞いたらば、このような僧を身近かに近づけてはならない。この事件はきわめて不都合で、はばかりがある事とはいえ、未来の世の人々に知らせて、法師にみだらに近づくことを強く戒める目的で、このように語り伝えているということだ。
《コメント》
 今昔物語一二を争う不思議な物語。ここに登場するのは、容貌からしてまさに鬼なのですが、表題では実は「天狗」と表記してあります。当時は鬼と天狗のイメージは重なっていたのでしょうか。
 精神的に惑乱したといえ、実在のファーストレディー(后は実在の人物)のスキャンダルですので、よくもまあこのような話しが記録されたものだと、現代に生きる私ですら驚いてしまいます。天皇は当時は絶対的ではなかった、ということでしょうか。そういえば「源氏物語」も天皇の后のスキャンダルを扱った小説に他なりません。驚天動地の大スキャンダルと言えるでしょう。こんな話しは教科書には絶対に出ることはないでしょう。

目次へ トップページへ