女、医者の家に行き、腫れ物を治す話 (巻24.8)

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 今は昔、典薬寮の長官に某という、名の知れた名医がいた。国手ともいうべき程の人で、多くの貴人たちはこの名医に診てもらっていた。

 ある時、この典薬頭(かみ)の家に、艶かに装飾し裳裾を垂らした牛車が入ってきた。頭はこれを見て、どなたの車でござるか、と尋ねるが返事もなくて、ただズンズンと敷地に内に入り込み、屋敷の間近かまで来て、車の長柄をおろし、頸木(くびき)を蔀(しとみ・かき上げ式の雨戸)の木にかけ、従って来た使用人たちは、門のそばにかしこまっていた。

 頭は、その車に近寄り、
「これはどなたでいらっしゃるかな。何をおっしゃるためにおいでになられたのか?」と問いかけると、車の中から、名乗ることはなく
「いい所に部屋を用意していただけません?」と、魅力的でかわいい雰囲気で言われる。
 この典薬の頭、そもそも鼻の下は短いほうでなく、その気になりやすいジジイだったので、奥の隅の間の人目につかない所を急いで掃き清めて、屏風を立てて仕切りをつくり、板敷きの上に畳を置いたりと、あわただしく立ち働く。ようやく一段落し、車の脇に行き「準備が整いました。」
 「だったら向こうに行っててくださらない?」と女。頭、少し離れて見ていると、女は扇で顔を隠しながら車からいざり降りた。他の女房なんかも乗っているだろうと思いきや、車は女唯一人だった。女が降りると、十五六と見える下仕えの少女が車に近づき、中のトイレ用の蒔絵塗の櫛の箱を持ち出すと、下人たちがよってきて、車に牛をつけ、そそくさと姿を消してしまった。

 女は件の場所におさまり、下仕えの少女は、例の櫛の箱を布で包んで大事そうに隠しながら、屏風の後ろで屈まっている。頭、近寄って「これは、どんなお方が、どんなご用件でおいでになられたのでしょう。早くお教えくだされ。」と言うと、「こちらへお入り下さいませ。ご遠慮は要りませぬ。」と女。頭は簾の中に入った。
 女と差し向かうと、年のころは三十ばかり、つややかな髪の様子、目鼻口の造作、欠点というところなく端正で、髪も大層長い。薫き込めた香が馥郁として、素晴らしい衣を着ている。恥ずかしがる様子も見せず、長年連れ添った嫁さんのようにリラックスした様子。

 この様を見るにつけ、頭「こんなん、あっていいんだろうか。それにしても、千載一遇のチャンス。何とかしてこの女、わしのものにしてやろう」と思うと、歯もなくなって、シワだらけの顔をホクホクさせて、ますます近寄って尋ねる。ましてこの頭、長年連れ添ったばあさんたちも三四年前に死んで、後添えもなかったので、嬉しさも倍増。そこで女、
 「人のこころの浅ましい点は、自分の命の惜しさには、どんな恥ずかしいことでも、なりふりかまわず何をしてもいい。命さえ助かって生き延びれば、と思うこと。そして私もこうしてここに参ったのでございます。こうなれば、生かすも殺すもあなたさまの御心しだい。私の身はすべてお任せいたします。」と、さめざめと泣き崩れる。

 頭このさまを見て、愛しさに哀れさが募る。
 「一体、どんなご事情がおありになるのでしょうや」
女、袴の横を切れ目を引き上げて見せると、女の股の雪のように白いところが少し腫れている。その腫れは、極めて不審に思われたので、袴の紐を解かせて前の方を見るが、ヘアの中に隠れて見えない。そこで頭、手で探ると局所の近くにハレモノを触る。そこで両手でヘアをかきわけてよく見ると、フルンケルという非常に危険なデキモノだ。「よし、ベテラン医のこの腕にかけて、あらゆる手段を使って治してみせるゾ」と決心し、頭、その日から、他の者は近寄らせず、襷掛けで、夜昼のへだてなく、治療にあたった。

 七日間ほど治療を続けると、病は回復してきた。頭は嬉しくてしかたなく、「もうちょっと、このままにしておこう。せめて名前を聞くまでは返せないぞ」なんぞと思って、今では冷やすことは止めて、茶碗の中にどんな薬か擦りいれたものを、一日に五六度、鳥の羽で付けるだけになってきた。
 「こうなれば大丈夫だ」と、頭もついつい陽気になってくる。

 そんな折り、女の言うには、
 「これまで浅ましい様までお見せしてしまいました。ただただあなた様を親とも拝しなければないところです。なので、返していただくにも、車で送っていただきます。その時に名前を名乗りましょう。またここにも、普段に出入りさせていただきます」と。頭「まだ四五日ばかりはこのままでいるだろう」と思い、油断していると、その夕暮れに、寝間着の薄物を一枚着ただけで、あの下仕えの少女を連れて逃げてしまった。そうとは知らぬ頭は、「さあさ、夕ごはんを持たせましょう」と、膳を整えさせて、頭自らもって屏風の中に入ると、まるで人気がない。
 「今はきっとトイレ中なんだ」と思って、食事をもって帰った。

 そうこうするうちに、すっかり日が暮れたので、「まず火を灯そう」と燭台に火を入れてもって行くと、衣類が脱ぎ散らされている。例の櫛の箱もある。
 「こんなに長く屏風の後ろに隠れて何をしているんだろう」と思い、「こんなに長く何をなされている」と声をかけて、屏風の後ろを覗くと、女も少女もいない。衣も袴もそのままになっている。ただ寝間着として着ていた薄綿入りの衣一つがなくなっている。
 「いなくなってしまったのだろうか。あの人はこの薄衣を着て逃げたにちがいない」と思うと、頭は胸ふさがり、目の前が真っ暗になった。

 門を締め切り、家来たちに火をもたせ家の中を隅々まで捜させたが、いるはずはない。日ごろの女の顔つきやちょっとした表情が思い浮かんで頭から離れず、恋しく悲しく、「病気を気にせず、自分のものにしておけばよかった。どうして治療ばかりで肝心のことをしなかったんだ」と悔しくて仕方がない。「独り身で、何はばかる人もいないし、たとえ人妻だったとしても、妻にしなくとも、時々密会を楽しむ極上の相手ができたと思ったのに」と、返す返す後悔する。
 このように、だまされ逃げられ、そのあげく手を打って悔しがり、地団駄踏んで、顔を歪め泣き泣きしているのを、弟子の医師たちは、陰で笑いころげていた。世間の人々もこの話を聞いて、笑いながら尋ねたりすると、頭は真顔になって怒って、言い争ったものだ。

 思えば、この女賢い女だ。とうとう誰とも知られずに終ったということだ。

《終わり》(教科書に出ない度★★★)


《コメント》
良くできた艶笑落語を聞いているような話です。典薬の頭の心理状態が、目の前に浮かぶように展開しています。それがうまく表現できたかは?です。私の好きな話の一つです。

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