旅の男の蕪の使用法とその顛末(巻26.02)

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 今は昔、京から東(あずま)の方に下る者がいた。どの国のどこの郡(こおり)とは詳らかでないのだが、一つの村を通っているときに、急に性欲が勃々と沸き起こり、物狂おしく、女の事で頭が一杯になってしまった。心を静めることができず、このままでは済みそうにないと考えあぐねているうちに、見ると通りの脇の垣根の内側に勢いよく青菜が茂っていた。十月(現在の十一月)ころだったので、蕪(かぶら)が大きく育っていた。この男、これを見るとすぐに馬から飛び降り、一本の大きな蕪を引き抜き、それに穴を彫って、その中に淫をなし(射精し)てしまった。事が終るとすぐ、その蕪を垣根の中へ投げ入れて、何事もなかったように行き過ぎていった。

 その後、この畑の持ち主が青菜を収穫するために、下女たちを大勢連れて、また幼い女の子たちも連れてその畑にくりだした。そこで青菜を収穫している間に、十四五才ばかりの、まだ男を全くしらない女の子が青菜を引いているうちに、垣根の辺りで遊び回っていたが、例の男が投げ入れた蕪を見つけ、「ここに穴のあいた蕪があるわ。これは何でしょう」などと言って、もてあそんでいるうちに、萎びてきたきたところを削って食べてしまった。そうこうするうちに、収穫も終わり、みながそろって帰っていった。

 その後この女の子は、何となく大義そうな様子になり、食事もとらず、気分が悪そうになってきたので、両親が「どうしたことだ」と心配して騒いでいたいたが、そのまま月日がたってくると、何と妊娠していたことが明らかになってきた。父母は非常に驚いて、「一体何をしたんだ」と女の子を問い詰めるが、「私は男には少しも近づいたことはないの。ただ心当たりのことは、しかじかの日に、しかじかの蕪を見つけて食べたことがあったわ。その日から気分が普段とちがってきて、こんなになったの」と言う。しかし父母は了解できないことなので、この言葉をたいしたこととは思わずに、聞き流していた。家の従者などに事情を聞きただしたが「男が近くに寄っていたということも全く心当たりがございません」と答えるだけだった。不思議に思ったがそのまま月日が経過し、月が満ちて可愛らしい男の子が無事に産まれた。

 その後、どうこう言っても仕様のないことなので、父母はこの子供を育てていた。そうこうするうちに、例の東に下った男が任国に何年か住んで後、また都に上ってくる途上、家来を大勢引き連れて、その畑の所を行き過ぎようとする時、ちょうど十月のころだったので、この女の子の父母がかつてと同じように、青菜を収穫しようと、使用人を引き連れてこの畑にいたのだった。この男は、件の垣根のあたりを過ぎようとして、人と話しをしていたが、声高に言ったものだった。
 「おおそうだ。先年東国へ下るとき、ちょうどここを通りかかったとき、無性に女が欲しくなってがまんできなくなった。この垣根に入り込んで、大きな蕪を一つ引き抜き、穴をくり抜いてその穴の中でやってしまい、すっきりして、そいつを垣根の中に投げ込んでおいたことがあったなあ。」というのを、この母が垣根の内側で確かに聞きつけ、娘の言ったことに思いあたり、垣根の内から出てきて「何とおっしゃる!何とおっしゃる!」と、詰問する。男はてっきり「蕪を盗んだ」と言って咎められているのだと思って、「冗談ですよ」と、ただ言い訳をして逃げようとするが、母は「ぜひともお聞きしたい重大なことがありますので、どうぞ教えてくだされませ」と、泣くばかりに言うので、この男、何か事情があるのだろうと思い、「何も包み隠すようなことではありません。また私にとっても大変な咎を犯したというわけでもないはず。ただ生身の凡人に過ぎないので、こんなことをしたまでのこと。単に雑談のついでに話したものです。」
 母はこれを聞いて涙を流し、泣きながらこの男を引っ張って家に連れていこうとするので、男も不審には思ったが、強引に連れて行かれるまま、家までいった。

 その時に、女はこれまでの事情を語り、「こんなわけですので、その子供をあなたさまに引き合わそうと存じますので」と言って、その子を連れてくるので男が見ると、自分に瓜二つであった。これには男も驚き心を打たれ、「うーむ、こんな不思議な運命もあることよ。それにしても、私はどうしたものでしょう」と言う。女は「こうなれば、あなたさまのお心一つでございます」と、この子の母親を呼び出して男に会わせると、身分は低いものの結構美しい女であった。年齢は二十歳ばかりのようであった。その子も五六歳ほどで、大層かわいらしい男の子であった。これを見て男が考えるに「自分が都に帰ったとしても、両親も頼れる親類もこれといってない。ただこれほどの深い運命的な因縁があることだ。とすれば、この女を妻にしてここに留まることにしよう。」と、真剣に考えを巡らした。やがてその女を娶り、この地に生活をすることになった。

 これは、まことに珍しい話である。こんなわけで、男と女はまぐあいをせずとも、身中に淫(精液)が入れば、このように子供ができるのだと、語り伝えているということだ。

                            《終わり》

《コメント》
 この話しは、男の生理事情についての深い洞察に基づいていて、男の身としては、身につまされる思いがしてしまうのです。
 冒頭の内容がかなりきわどいものなのに下品にならず、ポルノグラフィーと一線を画しているのは、人の性の充足がそれだけで終らずに、その人の人生そのものに大きくかかわって、ついには人生を大きく変えるものとなる、という真実を語っているからでしょう。
 主人公の男の態度の変化、最初の軽いノリから、物事を真剣に考えるという態度の変化は、打算ばかりではない、運命に従おうとする人間の姿を見る思いで、一種感動すら覚えます。

 結語は、相変わらずのおとぼけぶりで、これはこれなりに楽しませてくれます。しかし現代の科学常識から考えて、その内容は性についての素朴で妄想的な誤解に基づいているといえます。

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