◆美濃の国、因幡河(長良川)の洪水で人が流された話
(今昔巻26.3)

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 今は昔、美濃の国に因幡河(現在の長良川)という大きな川があった。大雨が降り増水するときには、大洪水となる暴れ川である。そんなわけでこの川の辺りに住む人々は洪水になったときに退避する構えとして、家の天井を強く造って、板張りの床のように堅固にして、いざ出水というときにはその上に登り、食事もできるようにしていた。
男たちは船に乗ったり、泳いだり歩いたりして出歩くのだが、幼いものや女たちをその天井に避難させていたのだった。その天井のことを人々は「つし」と呼んでいた。

 この因幡河が大洪水を起こしたときがあった。水位が天井をはるかに越えてしまい、付近の家はことごとく流され、多くの人が皆死んでしまった。この中で天井の上に女を二三人、子供を四五人乗せた家があった。並の洪水の時には柱もしっかりして天井もがんじょうなつくりでびくともしない家だった。このがんじょうな家もこのときには、柱は浮き上がらず家の棟と天井がばらばらになかったものの、家全体が水に浮かんで船のように流れていったのだった。
 高みに逃げ延びてこれを見ていた者たちが「あの流れていく者たちは助かるんだろうか。どうなるんだろう」と、取り沙汰をしている内に、その天井で炊事をするためにおいていた燠火に、風が強く吹いて、屋根の上板に吹き付けたので、火が付き燃え上がってしまった。天井に居た人々は声を挙げて叫びあったがだれも助けにいける者はなく、見る間に燃え尽きてしまい、水に流されて死ぬかと思っていたところ、人々はみんな火で焼け死んでしまった。

 「水に流されていく間に、火に焼かれて死んでしまう。なんということだ」と、打つ手もなく空しく見守っていると、その中に十四五才ばかりの子供が火から逃れて、水に飛び込んで流れていくので、それを見ていた者たちは、「あの子供は、火難を逃れはしたが、もう助かることはなかろう。溺れて死んでしまう運命なのだ」と言い合っていた。ところがその子供が流されていくうちに、水面に草よりは短い青い木の葉が出ているのに手が触れたので、それをつかむと、それに引っ張られて流れなくなった。そこでこの木の葉が強いと感じ、力を入れて引っ張ってみると何とそれは木の枝だったので、さらに力を入れてこの枝につかまった。

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 ところで、この川は大水になるかと思えばすぐ水の引く川なので、やがてだんだん水が引いてくるうちに、この引っ張っていた枝がだんだん水面に姿を現し、木の股が出てきたので子供はその股にちょこんとすわって「水が引けば、助かるだろう」と考えていたのだった。しかしそのうちに日が暮れて夜になった。あたりは真っ暗闇になり、物も全く見えなくなったので「今夜は水が引くのを待って、この木から降りよう」と考え、その子供は夜の明けるのを今か今かと待っていた。やがて漸く夜が明けて日が昇って下を見ると、目も届かぬほど、雲の中かと思うほどの高さのような感じがしたので、よっく見ると、山の峰の上から深い谷に傾いて生えている木が、途中で枝がなく、30メートルばかりの高さのてっぺんの小枝を引っ張っていたのだった。

 少しでも動いたら、枝がゆさゆさと揺れて折れてしまうと、落ちて身体は粉みじんだと思うが、どうしようもない。子供心に観音さまに祈って「どうぞ助けてー」と叫ぶがそれを聞き付けてくる人もいない。「やっと水から助かったと思ったら、火に焼かれそうになり、火から助かったと思ったら、今度はこんな高い木の上から落ちて死んでしまうとは、なんて悲しいんだ」と考えているうちに、この叫ぶ声をかすかに聞きつけた人がいた。「あそこにいる子供は、昨日水に流され、その上で火に焼かれ、家から水に落ちた子供だろう。あれは何とかして助けてやろう」と考えたが、何せどうにも助けようがない。

 その木の元を見ると、枝もなく掴まえる手掛かりがない。三十メートルの高さの木で、足場を降ろすような方法もない峰なので困りはてていたところへ、事情を聞き付けた人々が大勢集まってきて方法をあれこれと議論したが、これといって良い手はなく、途方に暮れていた。そうこうするうち、その子供が叫んだ。「もう我慢できない。このまま落ちてしまう。同じ死ぬなら、網をたくさん集めてそれを張って受けてください。その上に落ちれば助かるかもしれない。」これを聞いて人々は「それもそうだ」と言って、その付近にあった網をたくさんもってきて、強い縄で高く張り、これを支えにして網を幾重にも重ねて張った。子供は観音を念じて、足を離して網の上に向かって飛び降りた。するとその身体はくるくると回転した。それほど高かったのだ。観音のご加護だったか子供は網の上に落ちた。人々が近寄ってみると、意識をなくして動かない。その身体をそっと降ろして介抱すると、二時間ばかりで目を覚ましたのだった。

 まっこと九死に一生を得た者だ。水難や火難、さらにはバンジーなみの飛び降り。こんな目にあっても生きているということは、よほど前生によいことをしていたのに違いない。この話しは隣国まで広がり、これを聞く人々は皆、信じ難く珍しいことだと思った。

 この話しを考えるに、人の命はどんなものであれ前生の宿報によるのだと、人々はみな言いあっていたと語り伝えているとか。

                                  《終わり》



《コメント》

 これは私の故郷、長良川にまつわる話しです。長良川は昔から洪水をよく起こし、特に下流の木曽・長良・揖斐の三川合流部では、頻繁に洪水があり、輪中が発達していたことは有名な話です。このことは社会科の教科書にも出てきます。この地域の家の造りもこの話しにあるように、二階をしっかり造り、避難できるようになっていたようです。実際、1976年には長良川の氾濫によって、この地域が水に浸かって、新幹線も不通になったことはまだ生々しく覚えています。(この洪水で輪中の有用性が再認識されたとのことです)

 こういった事実からすると、この話しの前半はまさに、この地方の地理的な特色とぴったり符合するのですが、高い木の枝にひっかかる場面以降はどうもウソくさいのです。つまりこの地方は濃尾平野の平らな低地であるために洪水が起こりやすいわけで、30メートルもある木は生えてはおらず、ましてや高い峰や谷があるわけではありません。
 
 こう考えると、洪水に流される前半の話しに尾ヒレが付いて、まるでハリソン・フォードの映画「インディージョーンズ」のような、冒険譚に仕上げられたのだと思います。このことで奇譚としては派手になったものの、そのかわり決定的にリアリティがなくなってしまいました。同情的に見ると、おそらく前半の部分に近いことは、事実としてあったのではないでしょうか。

 この話しは、私の故郷への愛着の一つの現れとして、載せてみました。

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