三善清行の宰相、引越しで妖怪に会う(巻27-31)
今は昔、宰相三善清行という人がいた。世に善宰相と呼ばれていた人がこれである。浄蔵大徳の父君である。万事を知り尽くして、たいそう偉いお方であった。陰陽道までも極めておられた。
ところで、五条堀川のあたりに荒れ果てた古い邸宅があった。縁起の悪い家だといって誰も住まずに長年放置されていた。善宰相、当時家をもっていなかったので、この家を買い取って、吉日を選び引っ越そうとした。ところが近い親戚筋から横やりが入り「わざわざ縁起の悪い家に住もうというのは、はなはだ感心しないことだ」と制止されたが、善宰相は聞き耳をもたず、十月二十日ころの吉日、引っ越しをした。儀式ばったことは省略し、午後六時のころに宰相が車に乗り、畳一枚を従者にもたせただけで、その家に行った。
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到着して見渡すと、五間ばかりの平凡な寝殿がある。そのありさまは、古びていつごろ建ったのかわからないほど。庭には松の大木や楓、桜や常盤木などが生えている。樹木はみな古木であり、こだま(樹木の精)が住んでいそうである。紅葉した蔦が這っている。庭は地面が苔むして、いつ掃除をしたかわからないほど。宰相は寝殿に上り、中央の橋隠しの間の蔀(しとみ)を上げさせるて見ると、ふすまなどは皆破れている。放出(はたちいで)の間の板敷きを直させ、持たせてきた畳を中央の間に敷いて、灯火を点させ、その畳の上に正面向きに座る。牛車は車宿りにしまわせ、使用人や牛飼いなどを「明日の朝に参れ」と言いつけて返した。
宰相はただ一人、南向きになって眠っていると、真夜中になったころ、天井の、格子組みになった処に、何かが蠢く音がする。見上げるとその格子の一つ一つに顔がある。しかも顔ごとに入れ替わるのだ。宰相はこれを見たが騒がずにじっとしていると、突然その顔が消え失せる。またしばらくして見てみると、南の庇(ひさし)の間の板敷きから、身の丈一尺(三十センチ)ほどの者たちが、馬に乗って続々と西から東の方向へ四五十人ばかり横切っていく。宰相、これを見ても騒がずにじっとしていた。
またさらにしばらくして見ると、四方が囲まれた塗籠(ぬりごめ)の寝室の戸を三尺ばかり引き開けて、女が這い出てきた。その女、座高が三尺ばかり、檜皮色(ひわだいろ)の衣を着ている。髪は肩にかかるほどで、たいそう上品で美しそうだ。焚きしめた香がつややかに薫る。麝香の香りがむせかえるほど。赤い扇で顔を隠し、その上からわずかにのぞいた額つきは色白で美しい。額髪がかかり、目尻を長く引いた目で、流し目をよこすありさまは不気味ななかにも気品がある。鼻や口つきなど、どれほど素晴らしかろうと思わせる。宰相、じっとそちらを見守っている。女はしばらくそこに留まり、またいざりながら返るきわに、扇を顔からのけるのを見ると、鼻は高々と赤く、口の両脇には銀でできたと見える四五寸(十五センチばかり)の牙が上下互い違いに出ている。恐ろしい奴だと思うまもなく、塗籠(ぬりごめ)の寝室に入って戸を閉めてしまった。
宰相、これにも騒がずにさらにじっとしていると、有明の月がひどく明るいなかに、庭の茂みの暗闇から浅黄色(薄い青色)の上着と袴を着た老人が、落ち着いた態度で文挟(ふばさみ。文書を挟んで貴人に差し出す棒)に文をさして、目の上に捧げもち、平伏して階段のもとに寄ってきて膝まづいて控える。そのとき宰相は声を張って「老人よ、何を申したいのじゃ」と問うと、老人はしわがれた小さな声でわななきながら言うには、「年来私どもが住みついておりました所に、このように転宅されてこられましたので、大変なことと案じ、訴え申したいと参じました」と。
宰相これに対して応える。「おまえの訴えは見当違いじゃ。なぜというに、人が家を所有することは、正当な手続きを経て手に入れるわけだ。ところがおまえは人が所有して住むべきところを、人を脅して住まさせず、強引に奪い取る。言語道断である。まことの鬼神というものは、道理を心得て曲げないからこそ恐ろしいものなのだ。おまえはきっと天の罰を受けるにちがいない。正体は古狐が人を脅すにすぎぬのだろう。鷹狩の犬の一匹でもいれば、みな喰い殺させてやるものを。おまえの道理を述べてみよ」と。
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老人は言う。「仰せられること、申し開きございませぬ。ただ私どもが昔より住み着きおります所でございますので、その事情を申しましたまででございます。人を脅して参りましたことは、私の仕業ではございませぬ。一人二人使うております小童部(こわらべ)が、私の制止にもかかわらず、ついついやらかすことでございます。今となっては、このようにあなたさまが来られまして、われらにはなすべきことがございませぬ。この世にはどの場所にも所有者がございますので、われらには居場所がありませぬ。ただ大学寮の東の脇に空き地がございます。お許しをいただきその場所へ参るというのはいかがでございましょう。」
宰相、答えて「それはたいそう結構だ。さっそく一族郎党引き連れて、そこへ渡れ」と言う。そのとき老人が声を張って答えると思うと、四五十人ばかりの声で一斉に答えてくる。
夜が明けて、宰相の使用人たちが迎えに来ると、宰相はいったん家に帰り、その後この場所に家を作らせ、改めて通常のやり方で引っ越しをした。こうして住む間、何の怪奇なこともなく無事に過ごした。
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そういうわけで、心賢く、知恵をもつ人のためには、鬼といえども悪事を働くことができないということだ。知恵と分別のない愚かな人が、鬼によって被害をうけるものだ、と語り伝えられていることである。
《コメント》
私がこの話しをここに出した一番の眼目は、善宰相が見た幻影のイメージの鮮烈さです。天井の四角い格子の一マス一マスに顔が現れ、その顔たちがてんでばらばらにギョロついた目を光らせて、また一瞬で消え去るというイメージは、ゾッとするほど強烈で新鮮なものです。ジャン・コクトーだったらきっと飛びついて採用する映画のシーンになるのではないでしょうか。
また『となりのトトロ』に登場する「まっくろくろすけ」ことスス渡りは、ここに登場する鬼の、なお退化した子孫であるように思えてきます。屋敷から逃げ出す妖怪たちの姿は、さつきとメイの家から月夜に飛んで宿替えをしているススワタリたちの姿を連想してしまうのです。中世には、人々が怖れる妖怪も、昭和・平成の世には子供たちが愛するかわいらしいキャラクターになりさがっています。
また善宰相が妖怪を論破するにあたって、「所有権」という徹底的に現世的な論理を用いており、実際に妖怪の代表の老人がその論理に反撃できないで、かえって妥協交渉をしているのは、興味深いところです。また「まことの鬼神というものは、道理を心得て曲げないからこそ恐ろしいものなのだ」という善宰相の認識は、注目に値します。一般に我々は怪異について、現世の論理が通用しないからこそ恐怖を感じるのではないでしょうか。そこのズレにも興味が湧くところです。
なお文中の檜皮色(ひわだいろ)とは、黒みがかったスオウ色を言います。