鈴鹿の山中、見知らぬ堂で一夜を明かす話(巻27.44)

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 今は昔、伊勢の国から近江の国に山越えをする三人の男があった。位は低かったが、三人ともになかなか豪胆で知恵もあった。三人が通る鈴鹿の山中には昔からだれが言い出したか鬼が出ると云われる古いお堂があり、そこには人は決して泊まらなかった。深い山中にあり格好の宿泊場所と思えたが、このような伝説があるので人はだれも近寄らなかったのだった。

 時は夏。件の三人、山道を行くに、にわかに辺りが暗くなり激しい夕立に逢った。「すぐに止むだろう」と、厚く茂った木立の下に立って雨宿りをしていたが、なかなか降り止まない。日も暮れてくる。そのうちの一人が「一丁、例のお堂に泊まってやろうじゃないか」と言い出した。他の二人は「あのお堂は昔から鬼が出るっつうのに、どうしてわざわざそんな所へ泊まろうっていうんだ。」
 初めの男「こんなついでに、ほんとに鬼が出るんなら、見てやろうじゃないか。鬼に喰らわれるものなら喰らわれてやるだけだ。どうせ死ぬ身だ。なにが怖いもんかい。またキツネやタヌキのやつらが人様を化かすのを、こんなふうに言い始めただけかもしれんぜ。」と云うと、他の二人は、日も暮れて辺りも暗くなってきてもいたので、しぶしぶ「そんならしゃあない。泊まってみるか」と、このお堂に泊まることにした。

 こんな所なので、三人とも寝ないでとりとめなく話しをしていると、一人の男「昼間通った山中に男の死体があった。それをこれから行って取ってくる、ってのはどうだい」と言う。それに対してこのお堂に泊まろうと言った男「そんなことぁ、朝飯前だ」と言うのを、他の二人の男「そりゃあ、今からでは無理だろう」とけしかける。この男「よおしっ!それじゃあ、取ってくるッ」と、濡れるのがイヤなので着物を脱いで、裸になって雨の中を走り出て行った。

 雨は相変わらず降り続き、全くの闇夜であったが、もう一人の男、また同じように着物を脱いで裸になり、初めの男の後を追って出て行った。前の男よりひそかに脇道を先回りして、例の死人の場所にきた。この男、その死人を取って谷へ投げ棄て、その場所に死骸のふりをして横たわった。

 やがて、初めの男がやってきて、死人の代わりに横たわった男を背負おうとしたとき、この男、背負う男の肩をガブリと噛んだ。男「そんなに噛まんでおくれ、死人さんよ」と言い、そのまま背負って走り、例のお堂の前まできて、死体をそこに置き、「おーい、お前たちよ、ここに背負ってきたぜ」と、堂の中に入る。そのスキに、背負われてきた男は物陰に隠れてしまった。男が戻ってみると死体がない。「何と、死体が逃げてしまったゼ!」と叫ぶ。その時、背負われていた男が物陰から現れ、大笑いして事情を話してやると、「とんでもない奴だ」と、二人してお堂の中に戻って行った。

 この二人の男の豪胆さは、どちらも劣らないとは言いながら、背負ってきた男が勝っているだろう。死人になる者はありもしようが、死人を背負ってもっくる者はそうはいないだろうからだ。

 ところでこの二人が出て行った後、このお堂では天井の格子の一マスごとに、さまざまな怪奇な顔などが出てきた。残りの一人の男は、刀を抜いて一振りひらめかせたところ、一度にさっと笑いさざめいて消えていった。この男、それでも騒がなかった。この男の度胸も他の二人に劣らず座っているのだった。三人ともにたいした奴らだった。
 この三人、夜明けとともにこのお堂を出て、近江へと山を越えていったのだった。

 お堂の現象を考えるに、その天井に顔を差し出してきたものは、キツネが化かしたのだろうと思われる。それを人々が鬼がいると言い伝えたのではなかろうか。
 この三人の男たちは、無事にこのお堂に一夜を過ごし、出て行った後でも、これといってたたりなどはなかった。本当の鬼であったなら、その当座もその後にも、無事でいられることはないだろう。このような言い伝えられているそうだ。

                           《終わり》
(教科書に出ない度★)


《コメント》
・この三人の若者の、無意味なエネルギーの爆発は、青春特有のものでしょう。このような無鉄砲は分別盛りから見ると、非難の対象にはなっても、称賛には値しないはずです。
 しかしこの語り手は一貫して彼らを賛美しています。これはとりもなおさず、語りる者が、既に青春をなくし、このようなエネルギーの爆発にまぶしさを感じているからではないでしょうか。この物語りの中で、三人の若者は青春を永遠に定着したように思います。とはいいながら、青春の真っ只中にいる者にとって、そんなことはどうでもいいことなのです。

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