◆稲荷詣で顛末(巻28.01)
今は昔、二月の初午(はつうま)の日は、昔から京に住むすべての人々にとって、(伏見)稲荷詣でにと集う日であった。その年は普段より多くの人々が詣でたものであった。
その日、近衛府の役人たちが集まって稲荷に参った。尾張の兼時、下野の公助、茨田の重方、秦の武員、茨田の為国、軽部の公友などといった錚々(そうそう)たる舎人(とねり)の人々が、食べ物をいれる破子(わりご)や酒などをもたせ、連れ立って参詣した。一同、稲荷山の中腹の中のお社近くまで来ると、参る人返る人がさまざまにすれ違っている中に、素晴らしく着飾った女に出会った。女は光沢のある濃い色の上衣に、紅梅や萌黄といった襲(かさね)の色目を着て、色気たっぷりに歩いていた。
この舎人の集団が来るのに気づいて、女は道を譲って木の蔭に隠れて立っている。そこに来合わせるとこの舎人たち、いい気分でおだやかならぬ卑猥な言葉をかけたり、あるいはかがんで女の顔をのぞき込もうとしたりして、すれ違っていった。その中でとりわけ重方は元々が好き者であった。その細君はいつも重方の浮気を妬んでいたのだが、本人は無実だと否定し言い訳をしていた。そんな重方、この一団の中で目立って立ち止まり、この女をじろじろねめまわし、近寄ってあれやこれやと口説く。女「奥様をお持ちの方が、ただ行きずりの出来心でおっしゃることをお聞きするのは、とってもおかしいですわ」と、かわす声もとても魅力的であった。
「おお、別嬪でいとしいあんたはん、確かに私めは卑しい嫁をもっとりますが、その顔はサルのよう、心だてはさもしい行商のオバハンのよう。離縁しようと思っとりますが、そうするとたちまち着物の綻びたんを縫ってくれはるお人が無(の)おなって困ってしまうので、ええ女(おなご)はんがおらはったら、たちまちそれに乗り換えようと堅う決心しとおるからこそ、このように言うんどす」と、重方は言いたてる。
女「これはまじめにおっしゃるのですか、それとも単なる冗談?」と問うと、重方「このお稲荷さんにも聞いてもらいまひょ。年来考えとおったことを、神様が霊験あらたかにこのようなチャンスを与えてもろたと思うと、ごっつ嬉しいもんどす。ところであんたはんは、独り身でいはるんでっしゃろな。またどこ住んではるんどす」と問う。
女「私にもこれといって決まった旦那さまがあるわけではございませぬ。宮仕えをしたいと思っておりましたが、人が制止ましたので、参内せずに、その人と一緒になりました。ところがその人は田舎で亡くなってしまいましたので、この三年というもの、頼りにできる男はんがいらしたらと、こうしてこのお社にお参りしているというわけでござります。まじめに思って下さるのなら、私の住みます場所もお教えしましょうことを。いやいや、行きずりの方のおっしゃることを信用してしまうなんていうのは、バカですわね。さっさとあちらへ行かれなさいませ。私も失礼いたします。」と、女行き過ぎようとする。重方もみ手をし、それをまた額に当てたりして、女の胸元に烏帽子の先がくるほど頭を下げ、「神さん、お助けくだされ。そんなに冷とおせんといておくんなはれ。ここからはもう、私の家には絶対帰らしまへんよって。」と言って、俯して拝んでいる男のその髻(もとどり)を、この女、烏帽子ごとぐいとわし掴みにして、重方の頬にパシーンと張り手を入れた。
重方、たまげて「こ、これは何をしなさる」と、その女を仰ぎ見ると、何と自分の細君だった。重方狼狽して、「お前さまは、気ィふれたんか」と言うと、女「アンタはどこまでいけシャアシャアとうそをつけるんや。アンタが後ろめたい油断のならないやっちゃと、このお人らが日ごろ言わはるので、私の腹を立たせようと言わはるんやろと信じんかったのに、これは本当やったんや。アンタがぬかしたように今日から家に帰ってきたらきっと神罰の矢ァが当たるにきまっとる。よくもこんなことを言えたもんや。その面(ツラ)をもぎりって、道行くお人にさらし者にして笑ってもらおャないの。」
重方「そんなにいきり立たんと。それも尤もな話しでんなァ」とヘラヘラ顔でご機嫌をとろうとするが、細君は一向に許そうとしない。
そうこうする間、他の舎人たちはこの事情を知らないので、先のガケの上に登り立って「重方はんは何で遅れてるやろ」と下を見ると、女と取っ組み合いをしている。舎人たち「あれはどうしたんや」と走って引き返してみれば、重方は細君にすっかりやられてしまって呆然と立っている。舎人たち「奥さん、ようやらはった。わてらが言ったとおりでっしゃろ」と細君を褒めちぎるが、女こう言われて「このお人らには、アンタの下心はお見通しや」と、重方の髻を放したので、重方はクシャクシャになった烏帽子を被り直して、道を登っていった。一方女は「アンタはそのええ女のとこへ行きさらせ。内に帰ってきたらば、足をへし折ったるし」と言い捨て、道を下って行った。
さてその後、重方が家に帰ってご機嫌をとるので、細君の腹も収まってきた。そんな時、重方「おまはんは、やっぱ重方の嫁はんだけあって、こんなに巧くだましたもんやなぁ」と言うと、「黙んなはれ、このアホンダラ。この目は節穴でっしゃろ。自分の嫁はんの姿も見分けんと、声も気が付かんと、この間抜けぶりを人に曝して笑われるっちゅうのは、大そうなアホぶりやおまへんか」と、細君にも笑われる始末。
その後この事世間に知られて、若い貴族の君たちによく笑われるようになったので、重方、若い貴族の前からは、逃げて歩いていた。
またこの細君は重方の亡くなった後、女盛りになって、今では別の男と再婚しているということだ。
《終わり》
《コメント》
・これは、なかなかよくできた一場の笑劇です。恐らく実話なのではないでしょうか。現代でも吉本新喜劇なんかによくあるタイプの話しです。九百年も前の、こんな市井のエピソードをビビッドに伝える「今昔物語」のすごさを改めて感じます。
またその舞台が、ごく身近かな所であることにも、親近感を感じます。伏見稲荷の初午は、初詣でと同様に今でも盛んに行われる年中行事ですが、九百年前の当時すでに物詣での定番になっていたらしいのには、驚きます(なお伏見稲荷の初詣ではここをクリックしてください)。