◆人に知られぬ女盗賊の話(巻29.3)
今は昔、どの帝のころであったろうか。貴族に仕える侍の身分のもので、名前は不明であったが、年の頃は三十ばかり。背丈はすらりと高く少し赤ひげの者がいた。
夕暮れ方にこの男、京のとある町を徒(かち)で通り過ぎようとしたところ、路傍の家の窓辺からネズ鳴きをして手招きをする者がいる。男は近寄って「お呼びになられたかな」と言うと、女の声で「お話し致したいことがございます。その戸は締め切ってあるように見えまするが、押せば開きます。どうぞお入り下さいませ。」という。
男、思い掛けぬこととは思ったが、戸を押し開けて入った。
女、簾(すだれ)ごしに「その戸は、錠を掛けておいでなさい」と言うので、男は言われるままにして近寄ると、「お上がりなさいませ」の言葉に従い、上がった。さらに簾の中に呼び入れるので入ってみると、こぎれいに整えられた所に、服装もよく愛嬌ある顔立ちの二十歳ばかりの女がただ一人座り、ほほ笑みながらうなづくので、男はさらに近寄っていく。女がこれほどに仕掛けてくるのに、男としては据え膳を食わぬわけにはいかぬと、とうとう二人は共寝した。
この家には、女以外だれもいないので、男は「どんな家なんだ」といぶかったが、一度関係をもってしまうと、男、この女にすっかり魅せられ、日の暮れるのも気づかず共寝していたが、夕暮れになって、戸を叩く者がいる。人もいないので男が出て、戸を開けると、使われる侍風の男二人と、宮仕えの女房ふうの女が一人、下女をつれて入ってきた。窓を閉めたり、火を熾したり、なかなか立派な料理を銀の食器に盛り付けて、女にも男にも食べさせた。
男、「オレが入って錠を差した。そのあと女は人に申し付けるようなこともなかったのに、どうしてオレの食べ物までもってきたんだろうか。もしや別の男でも居るんじゃなかろうか」と考えたが、腹も減っていたので、よく食った。女も男に遠慮もせず物を食う様子は、どうに入っている。食事が終わると、女房ふうの女は後片付けなんかをして出て行ってしまった。その後、女は男に戸を締めさせ、また共寝した。
夜が明けてまた門を叩くものがいる。男が開けてみると、昨夜のとは違う者たちが入ってきて、窓を開けそこここを掃除などをする。しばらくすると、寝起きの粥と朝食の飯をもってきて、それを給仕し、さらには昼食までもってきて、それを食べさせ終わってまた皆出て行った。
こんなふうに二三日過ごしていると、女、「どこぞおでましになるところがお在りになりますの」と問うので、「少々知人のもとに行き、伝えたいことがある」と答える。「ならば、お早くおいでなさいまし」と。しばらくすると立派な馬に相応の鞍を置いて、水旱(すいかん)を着た下男三人ばかりを、馬丁として連れてきた。また過ごした部屋の後ろに、壺屋めいた所があったが、そこからなかなか良い装束を取り出してきて男に着せる。男はそれを着て馬に乗り、従者を従えて出発する。この従者たちは、思い通りに動き、使いやすいこと限りない。
さて帰ってくると、女が何も言うわけでないのに馬も従者も知らぬ間に姿を消している。食事も女が何を指図するわけでないのに、どこからともなく持ってきて、ただ同じようにする。
こうするうちに、不足を感じることもなく、二十日ばかりが過ぎていった。女、男に言うに「思いもよらぬ、とりとめのない偶然のようですが、然るべくしてこのように立ち至ったものと存じます。さすれば、生きるとも死すとも、これからわたくしの申し上げることを、よもや否とはおっしゃるまいな」。男「今では、生かすも殺すも、そなたの心しだいだ」と答える。女「まあうれしや」と、食事をして片付けなどをする。
この家は昼の間は二人の外はだれもいない。女「さあ、こちらへおいでなさい」と男を離れの家に連れていく。そこで男の髪に縄を掛け、身体を幡物(はたもの)という拷問道具にくくりつけ、着物を剥いで背中を出させ、足を曲げ縛りあげる。女は烏帽子(えぼし)を被り水旱袴(すいかんばかま)という男装で現れ、片肌を脱ぎムチを手に、男の背をしたたかに八十度打ち付けた。女「どんな具合だ」と問う。男「これしき何でもない」と答る。女「やはりね。想像通りよ」と、止血効果のあると言われる竈(かまど)の土を湯に溶いたものを呑ませ、また良質の酢を呑ませる。土をよく払い寝かせて、二時間ばかり休ませ、状態が回復してくると、その後は普段より良い食事をもってきた。
その後は懇ろに介抱し、三日ばかり過ぎて、背中のムチの傷がほぼ癒えたころ、また同じように男を幡物に縛り、前の傷の部分をムチ打つ。傷あと沿って血が走り肉が盛り上がるのをかまわず、八十度ムチ打った。女「がまんできるか」と問うと、男いささかの動揺もせず「大丈夫」と答るので、今度は初めの時よりさらに感心し、さらによく介抱する。また四五日ほどして、また同じようにムチ打つが、これもまた同じように「へいちゃらだ」と男の言うので、今度は腹をムチ打った。それでも尚「痛くも痒くもない」と男の言うので、女この上なく褒め感じて、よくよく介抱を何日間か過ぎた。ムチ傷が癒えたころになって、さる夕暮れに、女黒い水旱袴と、立派な弓と胡録(やなぐい、矢入れ)、脚絆に草鞋(わらじ)などを取りだしてきて、男に着せ、身支度をさせた。
そこで女の教えるには「ここから蓼中(たでなか)の御門に行って、静かに弓の弦(つる)うちをなさいませ。すると弦うちを返してきます。また口笛を吹くと口笛を返すものがきっと居ます。そこに近づくと『お前は誰だ』と尋ねてくる。このときはただ『参りました』とだけお答えなさい。連れられる所に行って、言われるに従い、指示された場所に立って、人などが出て来て妨害するのを防ぐのです。その後は、船岡山のふもとに行き、戦利品を山分けするでしょうが、おまえさんにくれるというものを、決して何も受け取ってはならない。」と教え含めて、出発させた。
男、教えられた通りに行くと、その通りに呼び寄せられた。様子を見ると、同じような者たちが二十人ばかり立ち集まっている。この一団から少し離れて色白の小男が立っている。この男には皆がかしこまっている様子だ。その外に、下男風の者が二三十人ばかり集まっている。そこで手筈を命令されると、皆が連れだって京の町なかに入っていく。大きな家を襲おうと計画して、二十人ばかりの者をあちこちの厄介そうな家の門に二三人ずつ見張りに立て、残りの者は皆、目的の家に入っていった。頭は「この男を試してやろう」と考え、特に厄介そうな家の門の見張りに、この男を加えて立たせた。そこから人が飛び出して来て、これを防ごうと弓を射て命中させたり、方々の戦いぶりに対して目配りもしっかりしていた。
船岡山中腹の建勲寺社
さて略奪を終わって船岡山のふもとまでもどり、戦利品を分ける段になり、この男に分け前を与えようとすると、男「ワシは物はいりませぬ。ただ、このようなことを見習おうとしてまいっただけなので」と、受け取ろうとしない。これを聞いて頭とおぼしき先ほどの小男、感心して目をつけていた。こうして三々五々解散していった。
男が、もとの家に帰ってくると、女は風呂を焚き、食事の準備をして待ち受けていた。風呂も食事も済むと、二人は共寝をして休んだ。この女、男を去りがたく愛しく思い、また男もこの盗賊の仕事を嫌だと思う気持ちもなかった。そうこうする間に、このようなことが七八度にもなった。ある時には太刀をもって家の中まで押し入った。またある時には、弓矢をもって外に立つということもあった。男は、どの役目もみなそつなくこなした。こうする内に、女はカギを一つ取り出し、男に言う。「これは、六角小路よりは北、某通りよりは東の、しかじかという所に行くと、そこに蔵がいくつかありますが、その中のこれこれを開けて、これはといったものをよく荷造りして、その付近に車貸しが多くいるので、それを呼んで積んでもっておいでなさい。」
男は教わったままに行ってみると、実際に蔵が並んでおり、その中で教えられた蔵を開けてみると、欲しいと思うものはすべて、この蔵の中にあった。「何ということだ」と驚いて、言われたままに車に積んで運び、思うように取り出して使っていた。このようにして一二年が過ぎていった。
そうこうする間に、この女、ある頃から心細げにつねに泣くようになった。男「普段はこんなではなかったのにおかしい」と思い、
「なぜそのように泣くのだ」と問うと、女「心ならずもお別れをしなければならないようなこともあるかと思うと悲しくて」と言う。男「今更なぜそのようなことを考えるのだ」と問うと、女「はかない世の中は、みんなそんなものかも知れない」というので、男は「言っているだけなんだ」と解釈し、「ちょっと出掛けてくる」というので、女はこれまでと同様に用意をして出してやった。
「お供の者も乗る馬もいつものようにして行くのだろう」と思っていたが、二三日は帰れない所だったので、共の者も馬もその夜は留めていたのだが、次の日の夕暮れに、女はちょっと出掛けてくるようにして、そのまま姿をかくしてしまった。男「明日には帰ろうと思っていたのに、これはどうしたことだ」と思い、いろいろ探しまわったが、そのまま見つからない。驚き怪しんで、人に馬を借り手急ぎ帰ってみると、女と暮らした家は跡形もなく消えうせている。「これは何ということだ」と驚き、蔵のあった所へ行ってみると、これもきれいに消えている。尋ねる人もなく、途方に暮れていると、女の言ったことが今思いあわされた。
男、せんかたなく、昔からの知り合いのもとに世話になり、しばらく過ごしていたが、し慣れたことなので自分から盗みをして二三度になったが、やがて捕らえられてしまった。検非違使で尋問され、男ありのままにこれまでの経緯をもれなく語ったのだった。
この話しは、非常に不思議な話しだ。件の女は妖怪変化の類いであるのだろうか。一二日のうちに家も蔵なども跡形もなく撤収してしまうというのは、あり得ない不思議だ。またそれほど多くの財宝や従者たちを引き連れて去っているのに、その後のことはさっぱりうわさにも聞かない。これも不思議だ。また家にいて言い付けることもないのに、自分の思うままに、従者たちが時間も間違えずに振る舞うというのは、まことに腑に落ちない。その家に二三年女と暮らしていたのだが、男は最後まで「そうだったのか」と納得することはなかった。また強盗に入ろうと集まった者たちも、それが誰れということも最後まで全く知らないままであった。
ところがただ一度だけ、盗賊たちが落ち合った所に、少し離れて立っている者に対して、外の者たちが畏(かしこ)まった様子を見せている。これを松明の火影でほの見ると、男の肌の色にしてはひどく白く美しいもので、頬の作りや顔立ちが、わが妻に似ていて、「そうではないか」と感じたことがあった。しかしそれも確かなことはわからないままに終わってしまった。
この話し、あまりに不思議なことなので、このように語り伝えられているということだ。
《終わり》
《コメント》
この話しは、「今昔物語」の数多い話しの中でも、屈指の名作であると思います。この名作を凡庸な現代語に訳すことに忸怩たるものはあるのですが・・・。
それにしても、この女盗賊の不思議なシステム!また男をムチ打つ場面などは、人間心理の不思議な深淵を覗き見させ、濃密な大人の愛の危険な匂いを漂わせています。
盗賊たちの集合地になっていた船岡山は、高さ45メートル程の小山で北大路の南にあり、現在では住宅街の中に島のように浮かんでいますが、当時は都のはずれで、さびしい土地であったと思われます。中腹にある建勲神社は信長を祀ったもので、物語からさらに四百年以上経過しなければこの世に存在することはありません。
この話しは、芥川龍之介の「偸盗」の素材になったということですが、この芥川の小説を読んでみると、構成は全く違っています。この小説が「今昔物語」の中のイメージの断片を切りはりした一種のコラージュであることがわかります。(なお「偸盗」を含め、芥川の多くの作品は「青空文庫」でダウンロードして読むことができます)