妻と丹波の国に行く男、大江山で縛られる話(今昔、巻29.23)

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 今は昔、京に住む男、その妻が丹波の国の者であったので、妻を連れて丹波の国にでかけていった。妻を馬に乗せ、自らは竹の箙(えびら、矢の入れ物)に矢を十本ばかり差したのを背負い、弓を手にもって馬の後を歩いていたが、大江山のふもとで刀を差しただけの大層強そうな若い男と道連れになった。

 成り行きで連れだって行ったが、互いに世間話などをしているうち、「お主はどちらまで」などと会話をしているうち、道連れの刀を差した男は「拙者が差しているこの太刀は、陸奥(みちのく)伝来の逸物。これをご覧なされ」と、その刀を抜いて見せると、言葉に違わず素晴らしい刀だった。男、これを一目見てすっかりほれ込んで、我が物にしたいと渇望した。この気配を見透かして若い男は「もしお主がこの太刀をお望みならば、お主の持つその弓と交換してもよいが」と言う。男の持つ弓はそれほどの逸品ではなく、それに較べこの太刀は実に素晴らしい逸物だったので、男はその太刀欲しさ「大した得になる」と考え、一も二もなく交換したのだった。

 さて、そのままに進んでいくと、若い男「拙者が弓だけで矢を持たずにいるのは、人目に見てもおかしい。山を行く間、その矢を二筋ほど貸してくだされ。お主にとってもこうして伴をしていくのだから同じことでしょう。」と言う。男これを聞き「それもそうだ」と納得し、逸品の太刀を手に入れて喜ぶにまかせ、矢を二筋与えた。こうして、若い男は弓を持ち、矢を二筋、直接手に持ち後からついていく形になった。男は竹の箙(えびら)だけを背負って太刀を腰につけて進んでいった。

 こうする内に、昼飯を食べようと薮の中に入っていった。若い男が「人目につくところは見苦しいので、もう少し奥に入りましょう」と言ったので、薮の奥に進んでいった。ほどよいところに来て、女を馬から抱き降ろしたりしていると、この若い男、突然弓に矢を番えて男に狙いを定め弓を引き、「動くと射殺すぞ」と叫ぶ。男、不意をつかれて、茫然と立ち尽くしている。「山の奥へ入れ」と脅す。男は命惜しさに妻を連れて七八百メートルばかり山の奥に入っていった。そこで若い男が「太刀と脇差を取って投げろ」と命令するままに、皆投げ捨てて立ち尽くしているのを、ねじ伏せて馬の縄を使って木に堅く縛りつけた。

 こうして若い男、女に近寄りよく見ると、女は二十歳ばかりで、身分は低いもののなかなか愛嬌があり魅力的であった。若い男、この女にすっかり心を奪われ夢中になり、女の着物を解こうとする。女も拒否することもできず、言われるままに着物を解いた。すると男も自分の着物を脱ぎ、女を掻き抱いて二人で伏した。女はどうしようもなく、男のいうままに従ったのだが、本の男は木に縛りつけられ一部始終を見ていただろうと考えると、その心中はいかばかりだっただろうか。

 その後、若い男は起き上がり、元どおり着物を着て、竹箙を背負い、太刀を取って腰につけ、弓を持ち、その馬によじ上って女に言う。「気の毒とは思うが、外に仕様もないので俺は行く。お前に免じてその男は殺さず許してやる。馬はいただいておくぞ。」と言って、全速力で逃げていった。その男の行方は、杳として知れなかった。

 その後、女は夫の縄を解き放ったが、男は茫然とした顔付きをしていたので、女「何とあなたは情けないの。こんな有り様ではこれからも、ろくなことにはならないわ」と、吐き捨てるように言う。男は言葉もなく、そのまま妻を連れて丹波に向ったのだった。

 女の着物を奪いとらなかった若い男の心ばえは、なかなか立派である(当時女の着物は、盗賊の絶好の標的だった)。元の男の心は、情けない。山の中で見知らぬ男に弓矢を与えてしまったことは、まことに愚かな行為だ。この犯人の男はその後も行方知らずのままに終わったということだ。
                     終わり
《コメント》
 この話は、芥川龍之介の『薮の中』で取り上げられ、さらにはそれをもとにした黒沢明の有名な『羅生門』の題材になったのでした。『今昔物語』の中でも屈指の物語りと言えるでしょう。しかし芥川の物語りには、「真実は薮の中」という近代的な懐疑主義的な解釈と、黒沢明の映画には、ヒューマニズムの味付けがなされており、物語りとしての面白さを若干そがれているという感を免れないと、私は感じます。その点この『今昔物語』の原話は、素朴なままの形で語られているのが、かえって好ましいと思うのです。黒沢の映画の魅力の多くは、山の中の木々を漏れる瑞々しい光にあるのではないでしょうか。

 この話のあと、この夫婦はどうなるのだろうか、という疑問が当然湧いてきます。私の考えるところでは、このまま破局を迎えるようなことはなく、外見的には何事もなかったように生活を送るのではないでしょうか。ただ夫はこれから一生、力関係が大きく変わり、妻に対して頭が上がらないという状況が続き、何かことあるごとに、妻からはこの事件を思いださせるようなことをほのめかされて、鼻白むということになるのではないでしょうか。

 最後のコメントで、女の着物を取らなかった盗賊をむしろ褒め、夫をけなしているのは、例によって、大変興味が湧きます。

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