丹波守(かみ)平貞盛、児干(じかん)を取りし語(巻29.25)

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 今は昔、平の貞盛の朝臣という武士がいた。丹波の守であったころ、その任国に棲んでいたが、身体に悪性のデキモノが出てきたので、某という高名な医者を都まで迎えにやらせ、診てもらった。その医者の言うには、「これは放っておくと大変なことになるデキモノです。児干という薬を捜して治さなければならない。それは秘薬である。手遅れになるとその薬をもってしても効果はなくなってしまう。早くこの児干を探しなされ。」と言って、帰ってしまう。

 そこで丹波の守、我が子の左衛門の尉(じょう)維衡(これひら)を呼び出して言った。
 「あの医者はワシのデキモノを、鋭くも矢傷と診た。あっぱれなヤツだ。ましてこの児干という薬を大っぴらに探そうとすると、俺のデキモノが実は、武士の恥の矢傷だということは、ミエミエになってしまう。そこで相談だが、お前の嫁さんは妊娠していたな。それをワシにくれろ。」
 維衡はこれを聞くと目もくらみ、呆然としてしまった。とはいうものの、出し惜しみもできないので
 「よろしゅうございます。差し上げましょう。どうぞお召しください」と答えると、貞盛
 「ああうれしや。それではさっそく、お前はしばらく外で、葬り(はふり)の準備をするのだ。」と堅く約束した。

 さて、維衡は件(くだん)の医者のところへ行って、泣き泣き事情を話すと、その医者もこれを聞いて貰い泣きをしてしまった。医者の言うには、
 「これを聞くに、実にあさましいことだ。ワシが一つ構えて作戦を練ってやろう。」と、貞盛の館へ乗り込んでいった。
 「薬はありましたかな」と貞盛に尋ねると、貞盛
 「それがなかなかありませんでな。しかたないので、左衛門の尉の嫁さんが妊娠しているのを頼んでもらうことになったのですワ」と答える。医者は
 「それをどうしょうというのです。ご自分のタネでは薬にはなりませぬ。はやく別のを手に入れなされ」と言う。 これを聞いて貞盛の慌てよう。
 「どうしょう、どうしょう。早く捜し出してこい。」
そこで家来の一人が、 「飯炊き女が妊娠六カ月になるそうです」と報告する。
「じゃあ、それを早く取ってくるのだ」。開いてみると女児だったので、それは捨ててしまった。またさらに外を求めて、ようやくのことで貞盛は命をつなぐことができた。

 さて件の医者に、よい馬と装束、米など様々なものをやって都へ帰らせる段になった。貞盛、子供の維衡をひそかに呼んで、
 「この医者、都でワシのデキモノは矢傷だったので、児干で治したのだと、世間に言い触らすだろう。お上もワシを頼もしい者として、夷(えびす)討伐に陸奥の国へ派遣しそうな情勢だ。そのワシが矢傷を負ったとなれば、これは面目丸つぶれだ。そこでだ、維衡よ。この医者を京の都に帰す前に射殺せ。」
 維衡、 「おやすいことです。京に上るところを山中で強盗に襲われたとみせかけ、射殺しましょう。そうとなれば、夕刻に医者を出してください。」
 「それもそうだ」と貞盛。維衡は「さっそく準備をいたします」と急いで出て行く。

 さて維衡はその足で、忍んで医者に会い事情を告げた。「どうしたものでしょうか」
医者はあきれ驚き、「ただあなたが何とかうまく立ち回って、私を助けてくだされ」と答る。
維衡「都に帰られるにあたって、山まで送りつけられる判官代という役人を馬に乗せ、あなたは歩いて山を越えてください。先日のこと、一生忘れられないほど嬉しく、恩に感じておりますので、このようにお教えするのです」と。
 医者は手を擦り合わせて喜び、気取られぬようにして、夕刻、都をさして出発した。

 維衡が教えた通り、山に差しかかると医者は馬から降りて、従者のよう歩いていくと、強盗が出てきた。強盗は馬に乗った判官代を主人と思うようにして、準備したことなので、射殺した。従者たちは皆逃げてしまい、散り散りになったが、医者は無事に都に着くことができた。一方維衡は館に帰って、医者を射殺したことを貞盛に報告すると、貞盛は非常によろこんだ。

 そうこうするうちに、件(くだん)の医者は都で生きていることが聞こえててき、判官代が射殺されたことが明らかになってきた。これに不審をもった貞盛、 「これはどうしたことだ。」と詰問すると、維衡は
 「医者は歩いて従者のような風情でいたのを知らずに馬に乗った判官代を主人と思い、誤って射殺したのでした。」と釈明したので、貞盛は納得し、それ以上の追求はなかった。こうして、維衡は医者に恩を報いることができたのだった。

 貞盛の朝臣が婦(よめ)の妊娠した腹を開き、児干を取ろうと思ったことは、極めて破廉恥な了見である。

 これは貞盛の第一の部下、館諸忠(たてのもろただ)の娘が語ったことを、聞き継いで、このように語り伝えたものだそうな。 
《終わり》
《コメント》
・ここに登場する「児干」とは、もうみなさんご想像の通り、胎児の肝臓を指しています。文脈から推察するに、当時これは矢傷の特効薬として知られていたようです。貞盛の酷薄な人間性は、この物語りに余すところなく語られていますが、私は、息子の維衡について興味をもちます。我が妻の身に災難が降りかかってきたので、たまたま被害者風の立場に見えますが、はたしてそうだったのか。父親のために、他の妊婦の児干は採ったのではないか、という疑念は残ります。また児干を処方する医者にも、咎は免れないところでしょう。しかしこれらは、あくまで今日の基準から観てのことです。今日の感覚から、昔の人々の行為を断罪することができないことは明らかなのでしょう。

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