今昔物語巻29・28
清水の南の辺りに棲む乞食(こつじき)、女を使い人を騙し殺す話し

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 今は昔、その名は不明だが、高い家柄の君達で、まだ年若く、スタイルよくハンサムな者がいた。近衛の中将などであったのだろうか。

 その人、お忍びで清水詣でに出かけたところ、えらく美形で、着物の着こなしも上品な女が歩いて来るのに行き会った。中将、この女を見て、「身分のある方がお忍びで、わざと歩いて清水へ詣でているのだ」と合点した。女がふと顔を上げたのを見ると、歳のころは二十歳ばかり。なかなかの美形で、チャーミングなことこのうえない。
「いったいどんな女だろう。これは声掛けずしてどないしよう、据え膳食わぬは武士の恥」と思うと、そわそわして他の事は目に入らなくなってしまった。
女が清水の本堂から出てくるのをうかがって、この中将、召使いの少年を呼んで、「あの女の帰る家を確かにみとどけよ」と命令して後をつけさせた。


 さて中将、家に帰りついてしばらくの後、少年が戻って報告する。
「確かに見届けてきました。家は都ではございません。清水の南辺り、阿弥陀の峰(鳥辺山)の北の付近です。たいそうにぎやかで裕福そうにしている屋敷です。あの方のお供をしていた年配の女の方が、自分が後をつけてくるのに気づいて、『どうなさったの。後をおつけのようにお見受けしましたが』と尋ねてくるので、『清水寺のお堂で、あなたさまをご覧になった殿が、あなたさまがお帰りになるところを確かめてこい』と仰せ付けられましたので、と申し上げると、『今後もしこちらにおいでになることがあれば、私をお訪ねなさい』とおっしゃいました」と語る。中将、喜んで手紙をやると、この女は素晴らしい字の返事をよこした。

 こうして、手紙のやり取りが度々になってきたが、一通の返事に女の書くには、「山里暮らしですので、京の都などに出ることはとてもありそうにありません。ですので、どうかこちらにおいでくださいませ。私が直接に簾越しにでもお話しいたしましょう」と言ってきた。中将はこの女に会いたい一心で、喜んで侍を二人ばかりとこの下使いの少年、それに馬の口取りを供にするだけで、夕暮れ時、暗くなるのをはかって馬に乗って京をしのび出ていった。

*               *


 先方に行き着いて、使いをやり「しかじか」と案内を請わせたところ、下女が出てきて「こちらへおいでくださいませ」と案内するのでついていく。周囲の土塀は頑丈な作りで、門は高い。庭には深い堀に橋が渡してある。これを渡る際、お供や馬などは堀の外の建物に控えさせた。中将一人、この橋を渡り入っていくと、いくつもの屋敷が並んでいる。その中で来客用とおぼしい所がある。妻戸がありそこから入って見ると、たいそう立派なしつらえで、屏風や几帳に、畳を敷き、母屋の境には簾を掛けている。

 山里なのに風情あるのを見て、中将なかなかなものだと感心し、そこに休む。夜が更けて、女主(おんなあるじ)が出てきて、几帳の内に入って臥した。親しい関係になって近くでまじまじ見れば、いよいよ愛しく思えてくる。

 女にこがれる自分の心中を吐露し、将来を誓いなどしたが、この女、考えこむ風情。忍び泣きを泣くように思われる。中将は不審に思って「お泣きになるのはなぜ?」と問う。女は「ただなんとなく・・・」と言う。中将はさらにいぶかしく、「今ではこんなに深い仲になったのですから、何もお隠しにならぬよう。さてどうしたというのです?尋常のご様子ではありませぬ。」と、強引なほどに尋ねる。

女「申し上げないわけではございませんが、申し上げるだけでも、心みだれることなので・・・」と、泣きながら答える。中将さらに「さあ、おっしゃってください。もしや私が死ぬようなことでもあるのですか?」と言うと、女「もう、隠し通せませぬので申し上げます。私は都に住んでおりましたしかじかという者の娘でございます。父母が死んでのち一人で住んでおりました。この家の主(あるじ)、乞食(こつじき)がたいそう裕福に成り上がり、長年この清水のあたりに住んでいる者でございますが、それがはかって私を誘拐し、この家に監禁したのでございます。そして私を着飾らせ、ときどき清水寺に参詣させ、行き会った男の方が私を見て恋心を起こすと、このようにこの家に誘惑するのです。そしていざ寝ようとする間際に、天井から鉾(ほこ)をスルスルと下ろすので、それを私が男の方の胸にあてがったときに刺し殺し、その着物を剥ぐのです。また供の方々も堀の外の家の中でみな刺し殺し、その着物を剥ぎ、乗り物を奪うのです。このようなこと、すでに二度になりました。これから先もこんなことが続くのでしょう。ですので、今度はあなたさまの代わりに、私がその鉾に刺されて死のうと思います。いますぐにお逃げくださいませ。お供の方々はもうみなさま殺されてしまっているでしょう。ただ、もう二度とお会いできないと思うとそれが悲しい・・・」と言って、さめざめと泣く。

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 中将、これを聞いて茫然としてしまった。しかし思い直して、「実に奇っ怪なこと。私の身代わりになっていただくとは、ありがたいことだが、あなたを見捨てて一人逃げるわけには参りませぬ。こうなっては二人で逃げましょう」と中将が言うと、女「繰り返しそういうことも考えましたが、鉾を下しても手応えがないとなると、すぐに下りてきて、二人ともいないことが露見すれば、必ずや追われて二人とも生きてはおられませぬ。ただあなたさまだけでも、生き延びて私の冥福をお祈りくださいませ。これから先もこのような罪作りを重ねるのは耐えられませぬ。」
中将「あなたが私の身代わりになろうとされるのに、どうしてあなたのご恩に報いないでおれましょうか。それよりも、どうにかして逃げましょう。」
女「堀割りの橋は、あなたがお渡りになってからすぐ、外してしまってあると思いますので、こちらの引き戸から出て、そちらの堀の狭くなったところを跳び超えて、土塀に狭い水門がありますので、これから外へ這い出なさいませ。はやその時が近づいております。鉾が下ろされたら、私は自分の胸に押し当てて刺されて死にます。」
と言い終わらぬうちに、奥の方から人の声が聞こえてくる。恐ろしさは身の凍るようだ。

 中将、泣く泣く起きて、衣を一枚だけ引っかけて、女が教えた引き戸からこっそり逃れ出て、堀を渡り、水門を這ってくぐりでた。出たのはいいが、全く方向の見当がつかず、たまたま向いた方向へ走った。すると後から人が追ってくる。「追っ手が来るな」と思い、無意識に振り返ると、なんと自分の召使いの少年なのだ。
喜んで「どうしたんだ」と尋ねると、少年「殿が屋敷にお入りになるとたちまち橋を引き上げたのを、怪しい、と思いまして、何とか塀を越えて逃げてまいりました。残りの者たちは、みな殺されたと聞きましたので、殿の身の上もどうなされたかと悲しく、そのまま引き返すこともようしないで、藪の中に身を隠して、ともかくもご安否を確かめようと思っておりましたところへ、人が走って参りましたので、もしや殿では、と追いかけて参ったしだいです」と。中将、これを聞き、「こんなことになろうとは、恐ろしいことじゃ」と語りつつ、二人連れだって京の都の方角へそのまま走っていくと、鴨の河原の辺りに着いて振り返って見ると、例の屋敷の方角に、大きな火が出ている。

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なんと、鉾を差し下ろして突き殺したと思ったところが、いつもと違い、女の声もしないので、(下手人が)怪しんで急いで下りてみると、男の姿は見えず、女を刺し殺している。その下手人、「男が逃げたとなると、すぐに俺が捕まってしまう」と思い、まもなく屋敷に火を付けて逃げていったのだった。

中将はようよう家に帰りつき、使いの少年に堅く口止めをし、自分もこの事件についてはけっして人に語ることはなかった。ただ、誰のためともいわずに、毎年盛大に法要を行い、事件の当日に功徳を積んだ。これは例の女のためだったのだろう。この経緯が世間に知られるようになって、ある人が、事件の家の跡には寺を建てた。これは某寺といって今に残っている。

この話しを振り返ると、この女の心ばえは、まことに尊いものだ。また使いの少年もなかなか知恵を働かせた。
こんな次第であるから、美女を見て、好き心をおこし、知らないところへ行くようなことは、この話しを聞いたら止めるべきだ、と人が云ったと語り伝えられていることだ。
《コメント》
 この話しは、清水詣でにまつわる犯罪事件を扱っていますが、『今昔物語』有数の大長編物語になっています。語りの展開の意外さおもしろさ、構成の確かさでぐいぐいと読ませ、女の心根の哀れさが伝わってきます。闇の中の大きな炎が、この物語を鮮やかに象徴しています。また中将が女を供養する後日談も、共感を呼ぶところです。

 それにしても色仕掛けで、綿密に計画された犯罪に感心してしまいます。ここにも闇の世界、乞食(こつじき)が登場します。乞食がこれほど組織的に勢力をもっていたというのは、意外な気がします。また人を殺す目的が、主にその付けている着物(と馬など)であることも、当時は着物が財産であったことを物語っているように思います。

 著者の最後の論評の、あいかわらずのおとぼけぶりは健在です。

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