今昔物語・巻30−11
卑しからぬ身分の男、妻をすてた後、復縁する話し

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 今は昔、誰とは明らかにしないが、卑しからぬ身分の君達で受領を仰せつかっている、まだ年若い者がいた。風雅を解して上品な男であった。その人が長年連れ添った妻から心が離れて、当世風の女のもとに通うようになってしまい、元の妻のことは忘れ果ててしまった。男は新しい女のもとにいつづけたので、元の妻はつらく心細い状態で暮らしていた。

 男は摂津の国に荘園を領有していたので、遊びにとでかけた折り、難波の浦を過ぎるあたり、浜辺のたいそう美しい景色を眺めつつ進んでいると、蛤(はまぐり)の小さいものに海藻の海松(みる)がフサフサと生えているのを見つけた。
「これはなかなか面白いものだ」と思い、取り上げて、
「これを可愛がっている人に送って、楽しませてやろう」と男は考えた。そこで召使いの少年の中で気の利く者を呼んで、
「これを都の例の所に確実に届けて、『面白いものがありましたので、お見せしようとお届けします』と伝えよ」と命じて、都へやった。

 召使いの少年は思い違いをして、新しい女のもとには行かず、元の妻の家に届け、言われたことを伝え説明した。これを聞いて元の妻は、あまり思いがけなくこのような趣きのあるものをよこし、
「私が都にもどるまで、これを大事にご覧ください」
と言ってきたので、
「殿は今はどこにおられるのですか」と尋ねる。
召使いの少年は
「摂津の国におられます。ついては、難波のあたりで見つけられた物をお持ちいたしましたのです」という。元の妻はこれを聞くと、どうも不審で、
「これは間違って届け先を誤ってここに持ってきたのだ」と疑ったが、何くわぬ顔で受け取り、
「確かに承りました」と伝えさせた。使いの少年は摂津の主人のもとへとって返し、「確かに送り届けてまいりました」と報告する。主人はてっきり新しい女のもとへ届けたのだと合点していた。
 届けられた元の妻は、これを見るに、実に興趣あるものなので、盥(たらい)に水を張り、それを入れ、あかず眺めていたものだ。

*            *

 そうこうする間に、十日ばかりして男は摂津の国から京にもどり、今の女に、
「先日差し上げた何は、ありますか」と、得意顔で尋ねると、妻は
「届けていただいたものなんてありましたかしら。どんな物ですの」と言うので、男、
「いやいや、蛤の小さくてきれいなのに、ミルがフサフサと生えて出ているの、難波の浜辺で見つけて、なかなか興趣があるので、いそいで届けさせたんだが」と言う。妻、
「そんなものは一向に見ませんこと。誰に届けさせたん?届いたらさぞ、蛤は焼いて喰い、ミルは酢のものにして食べたかったのに」と言う。これを聞いて、男は期待を裏切られ、しらけてしまった。

 さてその後、男は外に出て、使いの少年を呼びつけ、
「おまえは、例の届けものをどこへ持っていったのだ」と問いつめると、召使いの少年は、勘違いをして元の妻の方へ届けた旨を答えたので、主人の男は大いに怒り、
「すぐに取りもどしてこい」と責めるので、少年びっくりして、
「大変なことをしてしまった」と、即座に元の妻のもとに行き、事情を弁解して伝えた。元の妻は、
「やっぱり、届け先の間違いだったのね」と思い、水に入れて見ていた例のものを、急ぎ取り上げて、陸奥紙の懐紙に包んで返させるが、その時、次の歌をその紙に書きつけたのだった。
すなわち、
   あまのつと をもはぬかたにありければ
        みるかいなくもかえしつるかな
   (海からのおみやげが 意外な方からありましたが、
       海松(ミル)のついた貝を見る甲斐もなくお返しすることです)
          《注》「見る」と「海松(ミル)」、「甲斐」と「貝」を掛けている。

 召使いの少年は、これを持ち帰り、かくかくと経緯を報告した。主人は建物の外に出て、これを手にとって見るが、様子は元のままだったので、「よくも無事だったことよ」とほくそ笑んで、家の中へ持ち込んだ。包みを開くと、包み紙に例の歌が書き付けてある。これを読むと男はジーンときてしまった。今の女が「貝は焼いてたべましょ、ミルは酢の物で」と言ったことが思い起こされて、一瞬のうちに心変わりをし、元の妻のもとに行きたいと思う気持ちがつのり、ただちにその蛤をもったまま元の妻の所へいってしまった。
 さだめし新しい女の言ったことを、男は元の妻に語ったことだろう。というわけで、今の女を忘れてしまって、男は元の妻と住んでいる。

 情趣を解する人の心とは、こういうものなのだ。確かに今の女の言ったことには、いや気がさしたのだ。元の妻の心根には必ず夫を引き戻し、ともに暮らすようになる力があることだ、と語り伝えているそうだ。

*                 *

《コメント》
 
この話しに類したものは、現代のTVのワイドショーやバラエティにも溢れていますね。
ただその方向性は幾分の違いと共通点があるでしょう。現代では女が男を選ぶ傾向が強い点は、大きな違いです。一方、男が元の妻の奥ゆかしさより、直截的なセックスアピールに惹かれやすいという点、またあまりのあけすけさに対しては、男の百年の恋も冷めてしまうという点は、現代にも通じるところがあるのではないでしょうか。その道具だてとして、和歌が絶大な効果をあげています。現代のメールでは、こういった機能はあまり期待ができないでしょう。

 しかし、現代では簡単に女性を換えることはとうていできないことでしょう。捨てられた新しい女もだまって引き下がるわけはなく、必ずやドロドロの状態になるでしょうから。

 参考までに、新しい妻が食べたいと語った「ミルの酢の物」をご紹介しておきます。

なかなか美味しそうです。

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