今昔物語巻30・13
夫に死なれた女

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 今は昔、某の国、某の郡にある女が住んでいた。その親は娘に婿をとりともに住んでいたが、婿が死んでしまったので、親はまた娘に別の男をあてがおうとした。娘はこれを聞いて母親に次のように話した。
「私は夫に最期まで連れ添う運命にあったならば、前の夫が亡くなるようなことにはならず、添いとげることができたはずです。私が夫に添いとげられない運命にあったればこそ、夫は亡くなったのでしょう。例え私がまた夫をもったとしても、私の運命ではその方にも死に別れることになるに違いありません。こんな訳ですから、このお話しは止めてください。」

 母親はこれを聞いて大いに驚いて、父親に報告すると、父は
「わしはもう年老いている。間もなく死ぬことにもなろう。そのときおまえはどのようにして生きていこうとするのだ」と、強引に話しを進めようとする。
すると、娘は父母に次のように言った。
「この家には巣を作って子供を産んでいる燕のつがいがおります。そのオスの燕を殺して、メス燕に目印をつけて放してみてください。来年にそのメス燕が他のオス燕を連れてくるようなら、私に夫を世話してください。
動物でさえ夫と死に別れて他の夫を迎えることはありませぬ。いわんや人は動物よりも心をもっているはずです。」

 これを聞いて両親は「なるほど、それもそうだ」と合点し、その家に巣を作って子供を産んでいる燕を捕らえて、オスを殺して、メスには赤い糸を首につけて放した。

 翌年の春、燕がやってくるのを待っていると、首に赤い糸をつけた例のメス燕がオス燕を連れずに来た。そのメス燕は巣を作ったが、卵を産むことなく夏の終わりには飛び去った。

 これを見た両親は、
「ほんとうに、おまえの言う通りだ」と了解して、娘に再び夫をあてがおうという気持ちがなくなった。
 これを聞いて娘は次のように歌った。
かぞいろはあはれとみらむつばめそら
ふたりは人にちぎらぬものを
(両親は自分をかわいいと思ってくださるが、ツバメさえ
二人の相手と連れ添うことはしないのに)

 この話しを考察するに、昔の女の心はこのように悟ったものだったことよ。近頃の女の心ばえとはまったく違っている。
ツバメも他のオスがいないので子供を産めないものの、もとの巣に戻ってくるのはいじらしいことよ、と語り伝えられているということだ。

             

《コメント》
 ただツバメの貞節さを証明するためにオスを殺してしまうというのは、今の感覚からすれば何とも残酷な話しですが、それを割り引いても、著者の最後の評語の言うように主人公はなかなか悟りきった聡明な女性のようです。
 しかしツバメのオスとメスを見分けるのはなかなか難しいのではないかと思うのですが・・・。また殺されたツバメがオスでもメスでも同じ結果になったのでしょうか、少し疑問が残ります。
 ところで、著者の言う「近頃の女の心ばえ」とはどのように把握されていたのでしょうか。「近頃の若い者は・・・」といった永遠の世代間ギャップの一例なのでしょうか。

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