◆破戒僧綺談(巻31.03)

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 今は昔、文徳天皇の御代に湛慶阿闍梨という僧がいた。慈覚大師の弟子であった。密教の真言を窮め、仏の教え、唐の諸書にも通じていた。さらには諸芸にも通暁しているのだった。

 この湛慶阿闍梨、仏の行をよくし、朝廷にも貴族たちにも信頼あつく加持祈祷のため召されていた。藤原良房公の病の折、快癒を祈祷するため、この湛慶が召されて参上した。霊験よろしく、良房公の病はすっかり癒えたのだった。「しばらくお待ちくだされ」と引きとどめられているところへ、一人の若い女房が現れ、湛慶の前にお供物をしつらえた。湛慶、この女を一目見て深く愛欲をおこし、ひそかにこの女と語らい、互いに愛を契り、ついに初めて戒を破って堕落した。その後このことをひた隠しにしようとしたのだが、隠しおおせるわけはなく、いつの間にか、世間に露見するようになった。

 湛慶は、これまでひたむきに不動明王に仕え修行を重ねてきたのだが、夢の中に不動明王があらわれお告げになる。「汝は専らワシに仕えてきた。ワシは汝を加護しよう。汝は前世からの因縁によって、某の国の某の郡に住む某という者の娘に落ちて、夫婦になるだろう。」と仰せられ、夢は覚めた。

 その後湛慶はこの事を嘆き悲しんで、「何でオレが女に落ちるというんだ。そうだ、この教えにあった女を尋ね出してこれを殺してしまおう。そうすれば安心できるだろう」と考えた。そこで修行をするふりをして、ただ一人そのお告げの国へ出掛けた。件(くだん)の土地を尋ねあて、そこに某という者が住んでいるかを尋ねてみると、実際にその者がいた。湛慶は喜び勇んで、その家に出かけひそかにその様子を覗き見る。人夫のふりをして家の南面を伺っていると、十才ばかりのかわいい女の子が庭に走り出て来て遊んでいる。その家から下女が出てきたので、湛慶「あそこに遊んでおられるお嬢さんはどなたですかな」と尋ねると、「あの方はこのお屋敷の一人娘さんです」と下女。これを聞いて「これだ」と嬉しかったが、その日はそこまでにした。翌日ふたたび出かけ、南面の庭で待ちぶせをしていると、昨日のようにその女の子が出てきて遊びあるく。このとき折よく、辺りに人はだれもいない。湛慶、しめたと思い、走り寄って女の子を捕らえその首をかき切った。これを見ていた人はだれもいなかった。「後で見つけられて大騒ぎになるだろう」と湛慶、急いで現場を逃げ去り、そのまま京に帰ったのだった。

 「もう大丈夫だ」とすっかり安心していたところに、このように思いがけぬ女に落ちてしまった湛慶は、「昔、不動尊のお告げになった女は殺してしまったのに、思いもよらぬ女に落ちてしまったのは情けない」と思いながら、女を抱いて共寝をしている。ふと思いたち女の首を探ると、首に大きな疵跡がある。焼き綴って処置をした跡もある。「これは何の疵だ」と湛慶。女「私は某の国の出身で、某という者の娘でございます。幼いころわが家の庭で遊んでおりました時、見知らぬ男が突然現れ出て、私を捕らえ首をかき切ったのでございます。後で家の者たちが見つけ大騒ぎになりましたが、その男の行方は知れぬままになってしまいました。そして治療にこの疵を焼き綴ったのでございます。危うく命を拾いましたのでございます」と説明する。「ちょっとしたご縁でこのお屋敷にお仕え致しております」と言うのを聞くにつれ、湛慶は驚き心をうたれた。自らの前世よりの深い因縁に根差した不動尊のお告げを思いおこし、慟哭しながら、この事情を女に語った。女も心打たれた。そしてその後二人は夫婦として添い遂げたのだった。

 湛慶は妻帯し破戒僧となってしまったので、忠仁公「湛慶法師は妻をもち戒を破った。僧の身分にしておくわけにはいかん。しかしこれはまた学識を究めた者だ。これをただいたずらに捨て置くべきでない。速やかに還俗させ、朝廷にお仕えさせるべきだ」と決定し、湛慶を還俗させた。俗名を公輔(きんすけ)という。もとの俗姓は高向(たかむこ)であった。還俗と同時に五位の位を授け、朝廷に仕えさせた。世間はこれを高太夫と呼んだ。もともと豊かな才能の持ち主であったので、何事についてもよろしく断を下すことができた。やがては、讃岐の守(かみ)に命じられ、その家もますます豊かに富んだのだった。これを考えるに、忠仁公はこのように才能ある者を捨ておかず、活用されたのであった。

*                  *

 この高太夫が還俗した後の話しなのだが、極楽寺という寺に、金剛・胎蔵の両界の諸仏がおられたが、永い間この位置の順序が違っていた。これを誰かお直しできる方を捜していた。これまでさまざまな真言の高僧が呼ばれて直させたが、あれやこれや意見が食い違い、直すことができないでいた。高太夫は真言の密教の行を熟知していたので、これを聞くと極楽寺に行き、その両界を見るに「本当にこのみ仏の座位は、まったく間違っておられる」と、木の枝をもち「この仏はここにおられるべきです」「あの仏はあそこにおられるべきです」とその枝を指すのに従って、仏たちは、人の手も触れぬうちにひょいと自然に動いて、指示された所に納まられる。

 多くの人々はこれを見て「高太夫が仏の座位を直すために極楽寺に行かれる」と前以て聞きつけて、しかるべき高貴な人々もそろっていたのだが、このように仏たちがご自分から動き直されるのを見て、感動し、貴んだ。

 高太夫はこれほどにも、仏の教え、中国の諸書に通暁していたと語り伝えられていることだ。

                       《終わり》
《コメント》
 この話の主人公のいちずさ、行動力は驚くばかりです。そのために人を殺すことを厭わぬ信仰心、また女に対する情熱も。女に「落ちる」ことは、そのまま僧侶の出世の階梯を外れ、エリートコースを諦めなければならないことを意味しています。そんな状況の中で主人公は、理屈より何より、自らの情熱に身をまかせ、出世を放棄したという意味で、現代にも通じる生き方を選択したといえるのではないでしょうか。「情けない」と思いながらも女と共寝すると描かれる湛慶の人間像は、近代小説のそれを陵駕する実在感があります。

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