大峰を通る僧、酒仙郷に行ったこと(巻31.13)

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今は昔、仏の道を行う僧がいた。大峰という所を通る間に道を間違えて、見覚えのない谷の方に迷い込んでいったが、そこで大きな人里に出た。
 この僧「嬉しや、人の家を訪ねてここがどこかを訊いてやろう」と思っていると、この里の中に一つの泉があった。石を敷き詰め立派にしている。その上に屋根をつけて覆っている。これを見て僧が泉の水を飲もうと近づくと、その泉の色ははなはだ黄色がかっている。「なぜこんなに黄色いんだろう」と疑問に思ってよく見ると、この泉は何と、水ではなくて酒がわき出ているのだった。
 この僧、びっくりして茫然としていると、人が集まってきて「おまえさんは何者だ」と問いつめてくる。僧は大峰を通っていて道に迷い、思いがけずここに出てしまった経過を答えた。里人の一人が「さあ、おいでなさい」と、この僧を連れて行こうとするので、僧は気が動転して「どこへ連れて行かれるんだ。殺されるのではないか」と思ったが、断ることも出来ないので、この人の後に付いていった。すると賑やかで裕福そうな大きな家にきた。その家の主らしき人が出てきて、ここに来たわけを僧に尋ねるので、同様のことを答えた。

 その後、主は僧を家に上げ、食事を食わせてから、この主、若い男を呼び出し「この人をいつもの所に連れて行け」と命じる。僧は「さては主はこの里の長者なのだな。自分をどこへ連れて行こうとしているんだ」と、恐ろしくなってきた。命じられた若い男「さあこちらへ」と行こうとするので、僧は恐ろしかったがどうしようもなく、言われるままについて行った。

 するとぽつんと離れた山があるところに連れてきて、その男が言う「実はおまえさんを殺すためにここに連れてきた。これまでもおまえさんのように、ここに来た者を帰らせてこんな里があることを言いふらされるのを恐れ、みんな殺していた。だからここのことは誰にもまったく知られていないのだ」と。これを聞いて僧は、すっかり取り乱して「自分は仏の道に仕える者。人々のためと、大峰をめぐる間に発心をして、一心に修行をしてきた。たまたま道に迷い思いがけずにここに行き着き、殺されようとしている。死ぬことはだれも逃れられないので、それは免れようと思わない。ただあなたが、仏に仕える罪のない僧侶を殺そうとするのは、罪が深いので、もしや助けて下さらぬか」と言うと、男「実におっしゃることはごもっとも、助けてあげたいが、もし帰ったときにこの里のありさまを言いふらされるのが怖いのだ」と言うと、僧「自分はここの里のことは絶対に他言しません。この世の人、命以上に大事なものはないので、命さえ助けていただければ、このご恩をなんで忘れましょうか」と言う。男「おまえさんは僧侶の身。仏の道を修行される身。お助けしよう。もしここのことを他人に話さないと約束すれば、おまえさんを殺したことにして助けてあげよう。」僧、喜んでいろいろ誓いごとを並べて、絶対に他言しないと繰り返す。男「絶対に約束を破らないように」と返す返し口固めをして、道を教えて許してやった。僧は男に礼拝をして「来世までこの恩は忘れません」と約束をして、泣く泣く分かれ教えられた道を進んでいくと、通常の道にもどることができた。

 さて、もとの家に帰るとこの僧、口が軽く軽率な僧だったので、早々と会う人ごとにこのことをべらべらとしゃべってしまった。これを聞いて人々はみな、もっともっとと催促するので、僧はこの里のありさまや酒の泉のあったことなど、何から何までしゃべってしまった。すると勇み肌の若者たちが「こんなすごいことを聞いて、見ないでおくわけにはいくまい。鬼や神なら怖いかもしれないが、聞けば人間のようだ。ならばどんなに勇ましい者といってもそれほどのことはないだろう。ぜひ行ってみよう」と、若者の中で勇敢で力が強く、腕に自信のある五六人ばかりが、おのおの弓矢をもち刀をさげて、この僧を連れて繰り出そうとはやったのを年寄りが制止する。「止めておけ。相手は土地勘があるから、対策が立ててあるだろう。こちらはアウェイだから不利だ」と。若者たちは言い立てたことなので、あとに引かず聞き入れない。また僧もはやし立てたのだろう、そろって出発してしまった。

 一方、この出発した者たちの親や親類たちは、不安がり、嘆き合うことかぎりない。案の定、当日も帰らず、翌日になっても帰ってこない。二三日経っても帰らないので、さらに悲しみ嘆いたが、どうしようもない。こうして何時までも帰って来なかった。探しに行こうという者も誰一人なく、とうとう帰る者はだれもいなかった。彼らは恐らく一人残らず殺されてしまったのだろう。このことが結局どうなったかということは、何の情報もないままになってしまった。つまらぬことをしゃべった僧であったことだ。自分も死なず、多くの人も殺されずに済んでいたならば、どんなによかったことか。

したがって、人というものは、約束を破り、おしゃべりすることは、厳に慎むべきだ。またたとえ僧がおしゃべりであっても、無謀に出掛ける者たちもたいそう愚かだ。
 その後、その場所は噂にも聞こえてくることもなかった。この話しは、例の僧が語るのを聞いた人が語り伝えたということだ。

《コメント》
この話しは文字通り酒仙郷の伝説です。この種の話しは中国の詩人・陶淵明の「桃花源記」の系統を引いていることは容易に想像できます。ただ陶淵明が平和的なのに対して、この話しは血なまぐさいのが気になりますね。

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