◆尾張の守某、鳥辺野に人を出す話(巻31.30)

戻る

 今は昔、尾張の守某という人がいた。その身内の女がいた。この女は歌詠みに数えられ、気立てもまことに優雅で、特定の男を持つということもしなかった。

 尾張の守はこれを哀れに思って、任国の尾張で一つの郡を預けて治めさせていたので、裕福に暮らしていた。子供も二三人はいたのだが、これは母親に似ず、他国に放浪に出て行方知らずになっていた。この女、年老いて衰えてきたので、出家して尼になったのだが、だんだん尾張の守も面倒を見なくなっていった。最後には兄であった人を頼って生活していたが、生活に困窮してきた。もともと教養のある者なので、見苦しいこともせず、なお気位を高く保って奥ゆかしく暮らしていたのだったが、ついには病を得てしまった。

 月日が経つうちに病は重くなり、意識もおぼつかなく見えたので、自分の家で死なせるのは死の穢れがあると、兄は「家の中では死なせまい」と考え、家から出そうとした。この女はそれを「自分をどうにかしてくれるつもりなのだろう」と善意に解釈した。

 昔の仲間であった者が、清水の辺りに住んでいるのを頼みに、車に乗って行ったのだったが、その頼みの所も考えをひるがえし「ここで死んでもらっては困る」と言ってきた。切羽詰まって葬送の野である鳥辺野に連れていき、小きれいな高麗風の縁を付けた敷物を敷いて、その上に座らせた。この女は大層穏やかで優雅な人であったので、墓地の盛り土の陰に隠れるようにして、身繕いをして敷物の上にきちんと座っていた。やがて敷物に寄り伏して横たわったのを見て、この人の使っていた女は帰っていった。

 これは哀れなことであると、当時の人々は言い合ったことだ。
 「身元のはっきりした人であるけれど、気の毒なのでここには書かない」と典拠にとした本には述べられている。かの尾張の守の妻か、妹か、娘かは分らない。「どんな関係の人だったのかを追及しなかったのは、ひどく残念なことだ」と、これを聞いた人々は言い合ったということだ。
                  終わリ

《コメント》
 病んだ老人の介護の問題は、極めて今日的な問題でもあると思います。この話からは、平安末期の介護事情がほの見えてくる気がします。その後の、この女の運命はどうなったのか。それは当時の「今昔」の読者には、了解されていたと考えるのが順当と思われます。体力のない女は、恐らくは凍えるか飢えるか、あるいは野犬に襲われるかで死ぬことななるのでしょう。

 乱世の時には、京の町中にも死体がゴロゴロしていたこともあるようですから、こういったことはそれほど珍しくはなかったろうと思われます。これに似たことは姥捨て伝説や、地獄絵などに出てくる図柄に重なってきます。
 しかし、裕福な受領階層の身内で、名の通った歌人でもあった女が、墓地に放置されるということは、当時としても珍しく町の話題になったのだと想像されます。

 それにしても教養もあり優雅な性格をもった主人公の、最後までその性質を変えることなく、墓地に捨てられるにおよんでも、身繕いに腐心するけなげな姿は、哀切を極めています。

 この主人公の女と尾張の守との関係は不明なのですが、またこの話のタイトルからすると、今昔の作者は、尾張の守がさせたこととして責任を帰していることは、注目してよいと思います。

 尚ここに登場する葬送の地、鳥辺野の入り口「六道の辻」の現在については、こちらを見てください。

戻る