食べ物二題(巻第31.31と32)
《ご注意》以下の話しは、食前・食後に読まれないことをお勧めします。
◆太刀はきの陣に魚を売る女の話(巻第31.31)
今は昔、三条天皇がまだ皇太子であられた頃、皇太子を警護する太刀はきの詰め所に普段出入りして、魚を売る女がいた。太刀はきたちはこの魚を買わせ食べていたが、なかなか味が良いので女をもっぱら贔屓にして、この魚を日々の総菜としていた。干した魚を小切れにしたものであった。
そうこうするうちに、秋八月ころ、この太刀はきたちが小タカを使った鷹狩りに、北野の野に出て遊んでいると、この魚売りの女がやってくる。太刀はきたち、この女の顔を見知っているので、「こいつは野っ原でいったい何をしているんだ」と思い、駆け寄ってみると、この女、大きな竹駕籠をもっている。それに木の枝を一本かかげ持っている。
女は太刀はきを見ると、妙に逃げ腰になって、大慌てに慌てている。太刀はきの従者たちが「竹駕籠の中は何だい」と見ようとすると、女はいやがって見せようとしない。怪しんで駕籠を奪い取り中を見ると、何と蛇を十センチあまりに切って入れてある。「これを何にしようというのだ」と詰問するが、女は答えず、ただ立ち尽くしている。
何とこの女は、木の枝で薮をつついて、はい出してくる蛇を打ち殺し捕らえ、それを切り刻み、家に持ち帰り、塩付けにして干し、これを売っていたというわけなのだ。太刀はきたちはこれを蛇とも知らず、専ら食べていたのだった。
このことを考えてみるに、「蛇を食べるのは身体によくない」と言われるので、どうして蛇を食って毒にならなかったのだろう。こんなこともあるので、その姿がはっきりしないような、切れ切れの魚なんかを売っているのは、うかつに買って食うものではないとは、この話しを聞いた人々の教訓だということだ。
《終わり》
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◆酒に酔った物売り女の所業を見てしまった話(巻31.32)
今は昔、京に住む人、知人の家に行き、馬から降りてその家の門に入ろうとするとき、その向かいにある古くて閉じっぱなしの門の下に、物売り女が臥せっていた。その脇には、売り物を入れた浅い桶を置いている。その人「どうして臥せっているのか」と不審に思い、近づいて見ると、この女は酒に酔っ払って寝ているのだった。
この人、それが解るとそのままにして、知人の家に入り、しばらくして帰ろうとまた馬に乗ろうとしたとき、ちょうど物売り女が驚いて目を覚ました。その途端ゲロを吐いたが、よりによって売り物の入った桶に入れた。「うゎっ、汚ねー」と思ってよく見ると、その桶には鮨鮎(すしあゆ・アユのナレずし)が入っており、その上に吐いたのだった。物売り女、「やってしまった!」と、急いで手でその桶の中身をかき回してスシアユと交ぜてしまった。これを見て、この人汚いのを通りこして、胸が悪く動転してしまったので、馬に乗ってその場所から急いで逃げていった。
これを考えるに、鮨鮎は、もともとゲロのような外見のものなので、怪しいようには見えないだろう。きっとこの鮨鮎を売っても、買った人はそれを食べないハズはない。それを見てしまった人は、この後ぱったり鮨鮎は食べなくなった。こにように売られている鮨鮎ばかりか、自分の目の前で確かに作ったと確認した鮨鮎でも食べようとしなかった。こればかりでなく、あらゆる知人にこのことを吹聴して、「鮨鮎はくれぐれも食べなさるなョ」と止めてまわった。さらには、食事中に鮨鮎を見るとそれだけで、物狂おしくツバを吐いて、立って逃げていくのだった。
こんな具合なので、市場で売っているものも、物売り女の売るものも、極めてキタナイものなのだ。従って、少しでも懐に余裕のあるお方は、よろずの食べ物は、自分の目の前で確かに調理させたものを食べるべきだと語り伝えられているという。
《終わり》
《コメント》
平安時代にも、現代にも、食べ物商売には、似たようなことがあるものですね。
最初の話しは、事情を知った太刀はきたちの、「えずく」様子が目に見えるようです。よく考えると、この最後の教訓は現代でもなかなか含蓄の深いものだと思われます。ソーセージなんかの加工食品の中身などは、消費者には確めるスベもないのですし、これだけ食品会社に信用がおけないとなると、「形のわからないようなものは、うかつには買わない」は、生活の知恵になりそうです。
第二の話しは、上の話しに増して、エゲツナイ話しですが、これもありそうなことです。実際私は、昔「どぼ漬」(野菜のヌカ漬け)が怖いというおばさんを知っていました。これも似たような理由だったのでした。この話しを読んだときに、すぐ思いだしたことでした。
それにしても、この主人公はスシアユに対して、こころのトラウマを作ってしまったのでしょう。お気の毒なことです。
それにしても、現代は平安時代よりいったい進歩していると言えるんでしょうか?