口上

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 ここでは、私が愛する「今昔物語」と「宇治拾遺物語」の本文を、私が現代文に翻訳したものを掲げます。翻訳にあたっては、できるだけ抵抗が少なく読んで楽しんで頂けるのを第一として、文法的な正確さは求めませんでした。かなりの意訳や省略、転置といった操作を経ています。ただ翻案といったものではなく、内容としては、できるだけ本文に沿うとを原則としました。
 また「今昔」の本文は膨大な量ですので、その一部をとりあげることになりますが、その選択は、全面的に私の主観によります。要するに、私が面白いと感じたもの、翻訳したいと思うもの、ということになります。
 しかしその選択の大まかな目安として、「教科書に出ない」ということがあります。国語の教科書に出ている古典文学で、面白いと感じることはまずなかった、というのが私の実感です。同じ作品でも、教科書でカットされた部分が面白い!のは、体験的実感です。「教科書に出ない」理由はさまざまあるでしょうが、あまりに残酷、あまりに性的、あまりに政治的、あまりにバカバカしい・・・。そしてあまりに人間的。そんな「あまりに・・・的」な「今昔物語」こそ、私がここで皆さんにご紹介したいものなのです。「今昔」の中には、現代の社会では、巧妙に覆われ隠微に隠されてしまった、人間の野生・人生の実相が躍動しているように思えるのです。

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 私が日本の古典文学に興味をもったのは、ご多分にもれず高校時代の古典の時間でした。元来理科系の私は、まだ27-8才くらいの若い先生(井上良平という先生でした)に教えてもらったのが大きな転機でした。その井上先生の授業は明快で、少年たちの疑問にできるだけそってくれているようでした。
 特に私は、説話文学、「今昔物語」や「宇治拾遺物語」の世界に魅せられていきました。その中に都・京都の地名が出てくるが、どんなところなのだろうとあこがれたものでした。大学を選ぶにあたって、理科系ながら京都の大学を選んだのも、一つにはこんなところにも理由があったのでした。
 そしていつか、この「今昔物語」を自分なりに訳してみたいという夢を抱いていたのでした。「今昔」は芥川の小説をはじめ、多くの小説家などの訳がすでにあり、いまさら、という感じもあるかも知れませんが、なにせ「今昔」は膨大な説話の森ですので、あまり取り上げられていないものも多くあり、そういった中にも面白い話は尽きないのです。
 ともかくも、私が面白いと感じ、現代語に訳したいという意欲を起こさせたものを、順にご紹介するということになると思います。
 どうぞごゆっくりお楽しみください。
 ご意見、ご感想などを、掲示板などにお寄せいただければ、嬉しいです。よろしくお願いします。
 なおテキストとしては、「今昔物語」は、岩波文庫版と角川文庫版です。「宇治拾遺物語」は角川文庫版を参照しました。

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