中納言師時、法師の玉茎検知の事
宇治拾遺物語(巻1.6)

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 これも今は昔、中納言の師時(もろとき)という方がおられた。そのお屋敷に、真っ黒な墨染めの衣の短いものに、袈裟をかけて、無患子(ムクロジ)の数珠(じゅず)の大きなのを首から下げた流浪の法師が入ってきた。中納言「お宅さんは何をなされるお坊さんどすか」と尋ねると、この法師、ことの外あわれ気な声で「現世は仮の世ではかないもの。世界開闢(かいびゃく)この方、生命は輪廻するという真理に思いを致しますに、煩悩に引きとどめられ、このようにはかない憂き世から脱却することができずにいるのでござります。これでは益のないことと愚考し、煩悩を切り捨て、この程ひたすらに生と死との輪廻の境からの脱却を悟った聖(ひじり)でござりまする」という。

 中納言「はて、煩悩を切り捨てるとは、どないなさるんどすか」と尋ねられると、「ほら、これをご覧めされい」と言って、衣の前を掻き上げて見せると、実にあるべき男性自身がなくて、ひげばかりがのぞいている。

 「こりゃ不思議なこっちゃ」と、よく見てみるとだらりと下がった袋がやけに大きいようなので、「誰かおらんか」と人を呼ぶと、使っている侍が二三人出てきた。「その法師をお連れもうせ」と命令すると、この聖、真剣な顔をして念仏を唱え、「早う、お望みどおりになされい」と言って、あわれ気な様子で、足を広げて横たわった。そこに中納言「足をもって広げさせよ」とおっしゃると、二三人で足をもって広げさせた。そこで十二三才くらいの小侍がいたのを呼んできて、「あの法師の股の上を、手を広げて上げ下ろしさすれ」と命令した。小侍は命令されるままに、ふっくらした手で、上げたり下ろしたりしてさする。しばらくするとこの聖、真剣な顔になって「もうこれ以上はおやめくだされ」と言うが、中納言は「ええ塩梅(あんばい)になってきよった。もっとさすれ、さすれ」とけしかける。聖は「具合が悪いです。もうやめて」と言うのを、意地悪くさすらせていると、毛の中から松茸の大きなようなものがふらふらと出てきて、腹にぽたりぽたりと当たる。

 中納言はじめそこに居合わせた者たちは、大声で笑った。この聖も手を打って、転げ回って笑ったのだった。

 実は、男性自身を下の袋にひねり入れて、米粒のノリで毛を付けて、さりげなくわからないようにして、人を騙し、物ごいをしようとしたのだった。狂惑の法師であったことだ。
                    《終わり》


 《コメント》
 『宇治拾遺物語』を初めて取り上げたのが、この話なのは少し気がひけるのですが・・・。
 まさに奇想天外、馬鹿ばかしさも突き抜けた話です。「をこ(阿呆)話」の最たるものではないでしょうか。言葉の大仰さと、やっていることのアホらしさの、この落差!
 こんなことを作り話でするか?と考えてみると、ちょっとやそっとでは思いつきもしないのではないでしょうか。実はこんな法師が実際にいたのでは、と思わせます。この突き抜けた馬鹿ばかしさは逆に、リアリティを感じさせてしまうのです。下ネタでもこのアッケラカンとしたおかしさは、私は大好きです。
 それにしても男性の象徴を「玉茎」とは、よくも表現したものだと思います。

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