壬生狂言1

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 京都の「壬生」(みぶ)と言えば、すぐに思い出されるのは、新撰組の屯所があったということでしょう。しかし、壬生でもう一つ見逃してはならないのが、この「壬生狂言」なのです。
 「カンデンデン」と俗に呼びならわされる鐘と太鼓のお囃子。そのリズムに乗せて演じられる素朴な無言劇は、洗練された能楽や狂言とは一味ちがった味わいがあります。舞台も寺の本堂のかたわらの半野外と言っていいようなところで、観客はその向かいにしつらえられた別の建物の、吹きさらしの席から見物するという具合になっています。舞台のとなりは、幼稚園の園庭になっていたりします。

 壬生狂言は、普通春と秋と節分の、一年に三回の公演が行われます。春は壬生大念仏会と呼ばれ、9日間で現存の三十曲すべてが演じられるといいます。秋には三日間、節分には二日間行われます。節分には、『節分』の演目が繰り返し演じられるとのことです。

 昨年(2000年)には、壬生狂言は創始以来700年を迎えたということです。一見素朴と思える狂言も、気の遠くなるほどの伝統の重みを背負っているわけです。

上と下の写真は『節分』の演目が演じられているところです。なんとなく雰囲気を理解して頂けるでしょうか。

 以下には、『土蜘蛛』という演目をご紹介しましょう。

平安中期の武将で、大江山の酒呑童子を退治したという伝説をもつ源頼光は、最近原因不明の気の病にふせっています。


頼光病んで登場。

家臣の渡辺綱と平井保昌は、主人の気分を晴らそうと酒宴を催します。しかし頼光の気分一向に良くなりません。頼光が寝入っていると、土蜘蛛が現われ、糸を吐いて襲ってきます。


土蜘蛛が襲う。

頼光の病はこの土蜘蛛の毒気によるものだったのです。


渡辺綱、土蜘蛛に立ち向かう。



綱と土蜘蛛の死闘。
土蜘蛛は最後には綱と保昌に退治され、首を取られてしまいます。梅原猛氏によると、「土蜘蛛は古代の怨霊」であるとのことです。

この演目では、土蜘蛛が撒く糸の先の金の部分を財布に入れておくとお金がたまるという俗信があり、観客に非常な人気があるということです。

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