上賀茂神社・競馬(くらべうま)2

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この競べ馬の歴史は、平安時代末期にまでさかのぼるそうです。鎌倉時代の吉田兼好の「徒然草」には、この競べ馬を舞台としたエピソードが登場します。今自分の目の前で繰り広げられている行事が千年の昔から、そのままの形で行われていることに、感動します。兼好もこれを見ていたのだと。そこで件の「徒然草」の部分(第41段)を私流に現代語に訳してみることにします。


「樗の木・徒然草に見ゆ」

第41段「五月五日、賀茂の競馬(くらべうま)を見侍りしに・・・」
兼好法師は、競べ馬を見物にでかける。見物人が多く、立錐の余地もない。見物に恰好な埒(らち)と呼ばれる馬場の柵に行こうとするが、近づけない。そんなところ、向かい側の樗(オオチ)の木に、一人の坊主が登って、その木の又のところで居眠りをしている。コックリコックリして、落ちそうになると、ハッと目をさまし、体勢を立て直すということを繰り返している。これを見た見物人たちは、「なんてバカやつだ。あんな危ないところでよくも居眠りができるもんだ」と、嘲笑している。

「そこでワシはふと思いついて、『自分らもいつ死ぬか知れないのを忘れて、物見遊山している。バカなことはあの坊主には劣らないものだ』と言ってみた。すると、埒(らち)の前にいた人々が『ごもっともです。バカなことです』と、後ろのワシの方を振り返って、『ささ、ここにお入りなさい』と埒のそばのよく見物できる場所へ、招じいれてくれた。」というお話し。

『こんな理屈は、だれでも分かっていることだが、日ごろは思ってもみないので、こころに響いたのだろう。人は木石ではないので、時に感動することもあるのだ。』といったコメントを兼好は残しています。取り澄ましたことを言って、旨い目を見て、さらにそれを自慢している。最後のコメントもそれに輪をかけている、といった印象なのです。この段の兼好からは、どうも鼻持ちならない坊主というイメージが感じられてしまいます。さすがの兼好も、ここではあまりいただけないようです。


「見返りの桐」の遠景

また、この競べ馬が行われる五月五日のころには、「見返りの桐」がその枝いっぱいに薄紫色の花をつけるのです。はずかしながら、私はこの木を見て、初めて桐の花を知ったのでした。


「見返りの桐」の下にしつらえられた、監視役の席。
右下のおじいさんがマイクをもって解説をしています。


桐の花


拝殿の前の盛り砂

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