◆平安流ダイエットの話(巻28.23)

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 今は昔、三条の中納言という人がいた。藤原の朝成といった。三条の右大臣藤原の定方とおっしゃる方のお子さんであった。この人、大層頭が賢く、中国の故事にも、わが国の故事にも通じて、思慮深く、また勇気もあり、押し出しの強い方であった。また笙(しょう)の名手でもあり、さらに経営の才にも長けていたので、暮らしぶりも裕福であった。

 この人、大柄でそのうえ非常に肥満して、それがあまりにひどく、ただ座っているだけでも苦しくなったので、医者の和気の某(なにがし)を呼んで見てもらうことにした。「こんなに太ってしまったのをどうしたらよいでしょうな。立ち居だけでも身が重うて、苦しゅうてたまらんのですわ」と訴えられる。その医者の申し上げるには「冬は湯漬け、夏は水漬けで、飯を召し上がるのがよろしかろうと存じます。」

 その時は、六月ばかりの頃(現在の真夏)のことだったので、中納言「それじゃあ、しばらくお待ちくだされ。水漬けで飯を食ってお見せしましょう」とのたまうので、医者はそのまま待っていると、中納言は召し使う侍を呼んで「いつものようにして、水飯をもってこい」と命令される。しばらくすると侍はお膳をもって来て中納言の前に据える。また箸の台には箸だけを乗せてくる。続いて侍、盤台をささげ持ってくる。まかないの侍が台に据えたのを見ると、皿の上に白い干し瓜の十センチばかりの大きさのものを切らないで十ばかり盛り付けてある。また別の皿には鮨鮎(すしあゆ)の大きなものを尾頭(おかしら)のついたものを三十ばかり盛ってある。大きな金属のお椀をいっしょにつけている。こういったものをみな台の上に整えた。また別の一人が大きな銀製の器に銀のシャモジを立てて、重たげに持ってきて中納言の前に置いた。

 すると中納言、お椀を取って侍に差し出し、「これに盛れ」と仰っしゃる。すると侍シャモジで飯をうず高く盛りあげ、飯のそばに少しだけ水を入れる。これを捧げると、中納言は台をグイと引き寄せ、椀を持ち上げると、その手があまりに大きいので、大きな椀だと見えたのが手の中に収まってしまって、それほどとも見えなくなってしまう。先ず干し瓜を一つを三口ばかりで食べ、それを三つばかり平らげる。次に鮨鮎を二口で食べ、これを五六匹苦もなく平らげてしまう。次に水飯を引き寄せて、二度ばかり箸を回したと見るうちに、飯が無くなってしまうので、「もう一杯」と椀を手渡しなされる。

 これを見て、医者は「水飯をもっぱら召し上がるとしても、こんなふうに召し上がるのなら、これからも決してお太りになるのは止まらないでしょう。」と言って呆れて逃げていった。その医者、後に人にこのように語って笑ったことであった。

 そんなわけでこの中納言、ますます太って相撲取りのようであったと語り伝えたということだ。
                                  《終わり》

《コメント》
・いつの時代にもダイエットは難しいもののようです。しかし飽食の時代と言われる現代ではなくて、平安末期にこれほどの大食を実現できる財力はたいしたものと言えるでしょう。医者の呆れ顔が見えるようです。
 なお、ここに登場する「鮨鮎」については、ここを見てください。

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