今昔物語29・22
鳥部寺参詣の女、強盗に襲われる

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 今は昔、すこぶる寺詣での好きな人妻がいた。だれの嫁さんだとはあえて伏せる。年のころ三十ばかり、みめ形はなかなかのもの。
 その女、「鳥部寺(現在の東山七条あたりにあった)のびんずるさんは、えろ、ご利益があるそうな」と、お供に召使いの女の子をつれて、十月二十日ごろ真昼どきに、きれいに着飾ってでかけた。寺に到着して休んでいると、少し後から屈強な下男風の男が一人、参詣にやってきた。
 この男、寺の内でその供の子を引き寄せて身体をさわる。女の子はおびえて泣き出す。あたりに人気のない野の中のひっそりした寺なので、女あるじ、これを見てただおそれるばかり。男は女の子を捕まえ「従わねば刺し殺すぞ」とおどし、刀を抜いて押し当てる。供の子は声も出せず、着物を次々に脱ぎ捨てていった。男はこの着物をとり、今度は女あるじを引き寄せ、手を伸ばしてくる。女は驚き肝をつぶしたが、もうどうしようもない。男は女をご本尊の後ろに引っ張ってゆき、押し倒した。女は拒もうにもいかんともしがたく、男の言うままになった。ことが済んで男は起き上がり、女の衣を引きはいで「不憫だから下の袴は見逃してやる」と言い捨て、二人分の着物を抱えて、東の鳥部山の方面に走って消えた。
 女あるじと供の女の子はともに泣いていたが、どうしようもない。こうばかりもしていられないので、この供の子を、かねてからの知り合いの清水寺の僧のもとにやった。訴えるに「これこれの事情で、鳥部寺に参詣されましたとき、追い剥ぎに襲われ、丸裸かにされ、今もその寺にいらっしゃいます」と言って、僧の薄墨色の衣を一つ借り、自身は僧の普段着の紬の衣を借り着て、小僧を一人付けてもらい、それを連れて鳥部寺にもどった。女あるじにその衣を着せてから、京の町へ帰っていくと、鴨川の河原に迎えの牛車などがちょうどやってきたのにいき会ったので、それに乗ってともかくも家に帰りついたのだった。

 というわけで、分別のない女の外出は止めるべきである。このような恐ろしいことがあるものだ。
 この男、女あるじと懇ろになったというなら、せめて衣をはぎ取ったりせずに退散すべきだ。浅ましい根性のやつだ。この男は元は侍(貴族の警護人)だったが、強盗を犯し牢獄に繋がれたのちに、放免(下級の警官)になった者だった。
 このことは隠そうとしたが、自然と世間に広まっていったようで、このように語り伝えられている。

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 巻の第二十九は、「本朝悪行」とされている通り、当時の犯罪がらみのエピソードが集められ、今どきのワイドショーよりもよっぽど興味深く面白い話しが目白押しです。この話しも、強盗・強姦事件を扱っています。被害者のご婦人については、名前は伏せられていますが、当時この話しはゴシップとして世間に知れわたっていたようなので、夫の名前も知られていたのだと思います。また犯人の男について、割りと詳しく述べているので、おそらく誰ということも分かっていたのでしょう。作者はむろん犯人を非難しているのですが、被害者の婦人に対してさほど同情的ではないようなのは、興味深いところです。それにしても、今の感覚からすると犯罪者を警官の手下に使うことはないだろうと思いますが、こういった例はよくあったようで、しかも日本ばかりではなかったようです。

 また現在の東山七条あたりは、「京」の外であったことは、意外な感じがします。実際、加茂川の東は都の外だったのです。「京」の範囲については、『方丈記』の飢饉の記事で、死者の統計を記述した部分が参考になるかと思います。

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