認知療法って何?
認知療法トップへ
このページでもDr.Itoの『中年期のこころ模様』(かもがわ出版)を基にしていることをおことわりしておきます。
□出発点
・認知療法の基礎は、「人の気分というものは、現実の物事や状況によるのではなく、その人の物事のとらえ方によって左右される」という事実から出発します。
・エピクテートスというローマ時代の哲学者の言葉が、この事情をよく語っています。
「人を悩ませるのは、事柄そのものではなくて、事柄に関する考えである。」
エピクテートス「提要」
・つまり、人の気分というものは、客観的な事情によるというよりは、むしろ多くの場合、自分の主観的な考えや感じ方によるのだ、ということです。
・例えば、同じような困難な状況に陥っても、ある人は前向きに切り開いていき、また別の人は後悔をしたりして前に進むことができない、と言うようなことです。
・逆に考えると、人の気分は、その人の考え方や感じ方によって変るということになります。またこのことは、ストレスに弱く、すぐに落ち込むような考え方・感じ方と、ストレスに強い考え方・感じ方というものがあるといえます。
□「こころのくせ」
・こういった考え方や感じ方は、すっかり身についてしまっているものなので、自分で意識しないうちに自動的に出てくることが多いのです。
・したがって、落ち込んだり、沈んだ気分になるときには、その基になっている考え方・感じ方について、自覚していないものなのです。
・こういった考え方や感じ方のことを、認知療法の一般的な教科書(多くは英語の本の翻訳)では、「自動思考」という言葉で表現しています。しかしこの言葉は、英語のautomatic thinkingの直訳で、日本語としては生硬で、しっくりきません。
・Dr.Itoはこの「自動思考」のことを、本の中で「こころのくせ」と言う言葉で表現しています。
・「こころのくせ」とは言い得て妙です。Dr.Itoは、次のように語っています。
「 この命名は、われながら気にいっています。 単なるネーミングというだけではなく、これはある洞察を含んでいると自負しています。 つまり、思考のなかの「くせ」であって、知らず知らずのうちに出て来て、気がついた時には、どっぷりとつかってしまっているわけです。 普通の意味の「くせ」は、たとえば「爪をかむくせ」というように無意識のうちに行動として出てくるものですが、「こころのくせ」は、考えかたの上での「くせ」で、一見外からは見えないのでわかりにくいのですが、無意識のうちに自動的に出てくるという点ではまったく事情は同じだといってよいのです。
これはまた「こころの習慣」という表現を使ってもよいでしょう。 しかし私は「習慣」という言葉はよい意味も含めた、より広い意味で使い、「くせ」は適応的でない、どちらかと言えば生活に障害を起こす原因となるようなもの、という使い分けをすることにしたのです。」(『こころ模様』p54)
・この「こころのくせ」「こころの習慣」の中で、特に人を落ち込ませたり、沈んだ気分にさせたりするものが問題になります。
・これはまた教科書的に言えば、「認知の歪み」と表現されます。
・「認知」とは、簡単に言えば外界をどう捉えるかということなのです。それが「歪んで」いるとは、たとえて言えば、外界を映すこころの中の鏡が、グニャリと曲がっていて「歪んで」いるということになります。
・しかし、「認知が歪んでいる」と言われた人は、決していい気分ではないでしょう。実際、Dr.Itoは治療の中で、この言葉を使って患者にしかられたというエピソードを語っています。
・このような事情を考えると「こころのくせ」という言葉が、事態を正確に表現して、かつ対象となる人々にも容易に受け入れられる優れた表現だということが分かります。
□認知療法の方法
・「こころのくせ」は文字通り、「くせ」であるので自分が気づかないうちに作用して、いつの間にか気分を暗く、うっとおしいものにしてしまいます。
◆認知療法では、以下のような段階を踏むことになります。
(1)ストレスに弱く、人を落ち込ませるといった作用をする「こころのくせ」を、何種類か分類して提示する。
(2)自分がその「こころのくせ」のどれをもっているのかを自覚してもらう。
(3)沈んだ気分になったり、落ち込んだりしたときに、このストレスに弱い「こころのくせ」にはまっていないかを、自分でチェックする。
(4)これにはまっていることが分かれば、これを自覚して、より合理的で適応的な考え方・感じ方に修正していく。この
ために、一定の練習をしていく。
・以上のような段階から成り立っています。特に、(3)と(4)の段階では、これを援助するために、様々な方法が工夫されていてるのです。その具体的な方法については、次の項でお話ししましょう。
・この修正は、その人がこれまで身につけてきたものの見方を変えるわけですから、ある種の練習が必要となります。このための努力がいるということは事実ですし、また何カ月かの時間がかかります。しかしこれは根気よくやれば、それほど難しいものではなく、ある場合には一人でも可能だといわれています。無論、専門家の援助があったほうが良いことは言うまでもありませんが。
・またこの修正というものは、自分をがらりと変えるというようなものではない、ということに注意してください。
・人がガラッと変ってしまうような大きな変化が、それほどたやすくできるとは考えられません。それに人は必ずそれぞれの良さを持っているものであり、それまでの人生を全く否定することなどは必要ありませんし、できることでもありません。
・認知療法が目指す変化というのは、もっと自分を認めて人生を肯定的に生きようというもので、それまでの人生を否定するものではありません。人生を肯定的に生きるために、障害になっている自分の中の考え方・感じ方を取り除こう、というのが認知療法だと考えてよいと思います。
・そのために必要な変化は、Dr.Itoによれば、たかだか5%ぐらいであり、95%はそのままでいいということです。
・こう考えると何か勇気が出てくるような気がしませんか。
□認知療法は万能ではない
・これまで述べてきたように、少々の努力と根気を必要としますが、その効果は大きく、「うつ」をはじめとした多くの精神的な障害に応用が利くとされています。実際に、私もこの認知療法に出会って、これを実行して大きな効果を得ることができました。
・しかしそうかと言って、認知療法が万能であるというわけではありません。精神的な障害には、様々な程度、様々な種類があり、その中で認知療法が効果を発揮するのは、比較的軽い状態のものと考えたほうがいいようです。
・認知療法をやって、かえって状態が悪くなったという話しは私はあまり聞きませんが、ないとは言い切れません。気分がうっとうしい状態があまり強い場合や、長く続く場合には、やはり専門家(精神科医)を受診して、投薬を受けたり、アドバイスを受けたりすることをお薦めします。やはり餅は餅屋ですからね。
・しかし、認知療法についての知識をもっていることは、ちょっと気分が沈むときや、落ち込んだときには、たいへん役に立つものです。みなさんにも、認知療法というすばらしい方法があることを、ぜひ知っていただきたいと思って、私はこのホームページを作ったのです。
・次回は、「こころのくせ」についてお話ししましょう。