今昔物語巻19・44
達智門の捨て子の話し

目次へ トップページへ

 今は昔、嵯峨のあたりに出向こうとしたある男が、朝に(大内裏の)達智門をすぎようとすると、この門の下に、生まれて十日ばかりに見える、たいそう美しい男の子が捨てられていた。一見して、下層民の子供ではなかろうと思われた。ムシロの上に寝かせられているのをよく見ると、まだ生きて泣いているので「ああ可愛そうに」と思ったが、急ぎの所用があったので、そのまま行きすぎてしまった。
 翌朝の帰るさ、同じところにくるとその子はまだ生きて昨日と同じような有り様でいた。これを見て男は内心驚いた。「昨日のうちに犬に喰われてしまうにちがいない」との予想に反して「これほど野犬が多いのに、今夜もよく喰われなかったことだ」と不思議に思い、しばらく立ち止まって見守っていると、昨日よりは大人しく泣かずに、ムシロの上で寝ている。この様子を見てそのまま家に帰った。

 帰ってこの赤ん坊のことをあらためて思い出すと、「ずいぶん珍しいこともあるものだ。あの子供は今ごろまだ生きているだろうか」と気になってくる。
 翌朝、気になって例の場所に行ってみると、子供はまだ生きており昨日と同じようにしていた。これを見た男は「なんとも不思議なことだ。これには何かわけがあるにちがいない」と思って、またそのまま引き返した。

*                *

 家に帰っても不思議でならず、夜に入って男は密かに達智門へでかけ、土塀の崩れの部分に隠れて様子を窺っていると、付近には野犬が数多くうろついているが、子供の寝ている周囲には寄りつこうとしない。
「やはりそうだ。これには訳があるにちがいない」といよいよ不思議に思ってさらに見守っていると、夜更けてどこからともなく、ひどく大きな白い犬が現れ出てきた。これを見ると他の犬たちはみな逃げ去ってしまう。この白犬が子供の寝ていほうにどんどん近づいていく。
「そうだ、この大犬が今夜子供を喰おうとしているんだ」と思って、なお見ていると、その白犬は子供に近寄ってその傍らに寄り添って横になった。その子供に乳を吸わせようとしているのだった。子供は人の乳を飲むように元気によく乳を吸っている。
男はこれを見て「そうだったのだ、この子供はこうやって夜ごとに犬の乳を吸っていたので元気に生きていたのだ」と納得して、その場所からそっと去って自宅に帰った。
 次の夜また「今夜も昨夜のようにしているのだろうか」と思って、またそこに行ってみると、昨夜と同様に白い犬が出てきて乳を飲ませていた。その次の夜も、やはり気になるので出かけてみると、その夜には子供の姿は見えず、犬も出てこなかった。「昨夜、人の気配を感じて場所を移したのだろうか」と疑問に思いながら帰った。その後の様子はわからぬままになった。

*                  *

 これはまことに不思議なことである。これを考えるに、この白犬はただものではないに違いない。他の犬たちがこの白犬を見て逃げ去るのは、しかるべき鬼神などなのではなかろうか。そうであったならば、さだめしこの子供を無事に育てあげたことだろう。また仏や菩薩がお姿を変えてこの子供を助けようとして来られたのかもしれない。

 犬は元来こういった慈悲心のあるものではないが、それでもまた前世からの因縁がこのようなことをさせたのであろうか。などとあれこれ考えてみるが、どれも納得しがたい。

 この話しはこれを見た男が語ったことを聞き継いで、このように語りつたえたということである。
                                           《終わり》
《コメント》
 この話しでは、観察者の視点が大変興味深いと思います。放置しておけば、赤ん坊は野犬に喰い殺されることがほとんど確実に予想される状況。多少「可愛そう」とは思うが、それでも急ぎの所用を優先して放置する。赤ん坊を助けようという発想は全く感じられません。何度も助けるチャンスはあったはずなのに、自分の家に連れて帰るということは思いつきもしない。この判断に特に疑問を感じている様子でもない。ただ翌朝になって子供がまだ生きていることに驚いている。・・・
 おそらくこの観察者は、都の生活の中で、今回と同じような状況を幾度も経験してきているのでしょう。いわば捨て子は日常的であり、また朝になってその捨て子が野犬に喰われて死体をさらしているのも日常茶飯事であったのだろうと推測できます。(この今昔物語の中でも人が野犬に喰われた例が出てきます)
 これが女性であったなら、愛らしい赤ん坊を放っておかず、この話しの男のような観察者にとどまることは少ないのではないかと思われます。
 この話しからは、当時の平安京の非常に厳しい状況が見えてくるような気がします(時代が少し下りますが、都の悲惨な状況については「方丈記」をご覧ください)。

 また当時の野犬はかなりどう猛で危険な存在だったようです。行き倒れの人々やこのような捨て子を襲って、その肉を食い散らすということが珍しくなかったようです。
 野犬はリーダーを中心とした群れを作り、この群れはある程度統率がとれているものです。この話しに出てくる大きな白犬は群れのリーダーで、この赤ん坊はリーダーの母性本能によって助けられていたのだと思われます。

 それにしても、この子供がどうなったかを知りたいものです。現代の科学的な常識からすれば白犬が「鬼神」であるという説は問題にはならないのですが、白犬がリーダーでそれが慈しむ子供を他の犬たちが襲うことをしないというのは十分に考えられることと思います。子供が姿を消したのは、他の犬に喰い殺されたのではなかろうという推論は上のことから成り立ちそうです。またその痕跡もないようです。
 では子供はどうなったのか。一つは白犬が育てる場所を変えたということ。あるいは他の人間(主に女)が子供を拾っていったということが考えられるのではないでしょうか。この場合、女が自分で育てるということもあるでしょうが、子供を売るなどの利用価値があるかも知れません。それにしてもこの赤ん坊が無事に成長して人生を全うできる確率は、理性的に考えるとごく低いものでしょうが、どうかそうあってほしい願うばかりです。

 いずれにしてもこの話しは、平安末期の京都での生活の一面について、想像をかき立ててくれるエピソードです。

目次へ